第29話:周囲に吹く風。正体はバス
恒一と香珠浄は雑草が生い茂る道なき森を歩いていた。
周囲には、怪異の気配が満ちている。
漂っているだけで、攻撃してくることはないが、その気配が意識を削ぎ、周囲を見えにくくする。その上、森は深く、木の根で足場も悪い。真っ直ぐに歩くのは困難だった。
しかし、恒一には道が“視えて”いた。
確かに獣道すらない森の中だ。だけど、確かに俺はここを通った。
細くて長い未舗装の一本道。
ここだけがバス停へと続く道。あとはループで閉じていた。
一本道の気配だけが、周囲に漂う怪異たちのものとは明らかに違う。
術師としてすごい腕を持っていそうな香珠浄には視えないのだろうか?
そう思いながらも、前へと進む。足場は悪く、なかなか進めないが、道は間違っていない。途中にあった石、道のカーブ。記憶の通りに地面が続いている。
一時間は歩いただろうか。
汗だくになって到着したところは、これまた何もない場所。――の、はずだった。
「嘘だろ……、なんでこんな所にバス停が……」
「…………あ、すごい」
そこには、1年前に見た光景が広がっていた。
バスの轍、カーブの先に消える土の道路。周囲は森、森、森、その中にぽつんと佇む停留所の看板。朽ちかけた待合所。
「本当に、あったんだ……夢、じゃない」
この場所に来て、初めて見た、あの時と同じ光景。
「うわ、これは……」
香珠浄の言葉に目を向けると、ひと際大きな怪異の澱みがあった。
「あ、そこは……」
(巫女が成仏した場所だ……)
脳裏に浮かぶ配置。
恒一は立ち位置を思い出して、場所を移動する。
俺はここに立っていた。
背後にはバス。
正面には、あの怪異。
「……霊媒師さん、その澱みの場所で、巫女さんは消えました」
「――!」
指差した場所を確認して、香珠浄の背筋がピンと伸びる。
澱みを睨みつけて、忌々しそうに呟いた。
「うまく隠してくれたなぁ。お陰で随分と苦労した」
香珠浄の左手には複数枚の破魔札が握られている。
「そこを退いてもらおうか……」
右手を剣の形にして、顔の前で構える。
「古式の守宮札だ。……こいつは効くんじゃないか?」
札の中央上部に押された印が霊的な光を放つ。
「吹き飛べ!」
掛け声と同時に手刀を澱みに向かって切る。
バッ!と煙が払われるように割れて薄くなる。
しかし、残った澱みはまたその場所に戻って固まる。
「まだまだっ!」
香珠浄が再び手刀を振り上げた瞬間、恒一は叫んだ。
「霊媒師さん、待ってくださいっ!」
「あ?」
ピタッ
香珠浄は術を放つ直前の姿勢のまま、固まった。
そのまま、ゆっくり恒一を見る。
(止まってくれるとは思わなかった!)
「あ、あの、その澱み自体に悪意はなさそうなんで、……必死そうで……なんていうか、可哀そうというか……」
「はあ? 可哀そう? この澱みが?」
説明しろ、と視線で訴えつつ、香珠浄は数歩、後退した。
(弱弱しいし、威圧感もない。でも、これ、きっと黒い靄の怪異だ……)
巫女が天に還った時の悲痛な声なき声を思い出す。
生きて帰るためには、ああするしかなかった。
それでも、怪異にとっては望まぬ別れだったはずだ。
(今なら、霊媒師さんもいるし。大丈夫だよな。たぶん……)
すう、と大きく息を吸い込み、
パン、パン、と恒一は柏手を打った。
「? おい、何をするつもりだ?」
「覚えてますか。俺は、須々木恒一です」
ザワッ
名乗った途端、今まで怯えているようにしか見えなかった澱みが波打った。
「おま…っ」
「そこに、巫女さんの遺骨がありますよね。身内の方が引き取りに来られてます」
心を込めて、澱みに通じるように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「大事な人と離れたくない気持ちが伝わってきます。でも、守宮澄さんは、成仏しました。だから、もう、遺体は返してあげてください」
ザワッ、ザワワッ
――イヤダ。イヤダ。『オマモリサマ』ドコ。
悲しみの感情が澱みの中で、さざ波のように揺れている。
「澄さんも謝ってましたね。でも、人間は怪異といつまでも一緒にはいられないんですよ」
弱体化して、もう怒るエネルギーがないのかもしれない。
澱みが、しょんぼりと肩を落としているように見える。
ザワ、ザワ、ザワ……
(ごめんね。でも、もうそこに巫女さんはいないんだ)
じっと怪異の動きを観察していると、黙ってみていた香珠浄が呆れたような声を出した。
「お前、信じられねぇ……なんつーことを」
「もうちょっとだけ、待ってもらえますか? なんか、戸惑ってるみたいで」
「戸惑ってる……?」
その時、香珠浄がハッとした顔で振り返った。
「おい、なんか、来る……っ!」
え、と恒一も、香珠浄が見た方向に顔を向ける。
「あ……、まさか……」
ゴゴゴ、プシュ、ゴゴゴ……
遠くから聞こえてくる、不自然なほど長閑で、懐かしい音。
森の木々がざわりと揺れ、森の鳥が一斉に飛び立った。
ゴゴゴゴ……、プシュ、ゴゴゴ、プシュ
音が段々と近付いてくる。
見ると、澱みがまた怯えたように固まろうとしている。
やがて、カーブの向こうから古びたバスが姿を現した。
「マジか……」
香珠浄が冷や汗をかいて、札を持ち直すのが目に入った。
「大丈夫ですよ。霊媒師さん、あのバスは敵じゃないです」
「……もう。……なんなの、お前」
げんなりした顔で、それでも警戒は解かずに、香珠浄はバスの到着を待った。
プシューーー……ガッチャン、
バスの扉が開いて、中から運転手が出てくる。
容姿が多少ワイルドになってる気がする。
(暴風だから?)
心の中でツッコミながら、恒一は運転手、――『道渡る暴風』に体を向ける。
「前は、助けてくれて、ありがとう」
「こっちはお役目だったからな。礼はいらねーよ」
暴風が、呆然としている香珠浄に目を向ける。
「こいつは? 人にしちゃあ、強いな」
「怪異がしゃべってる……」
「そりゃ、しゃべるだろうよ」
すぐに香珠浄に興味を失った暴風は、今度はじっと固まってしまった澱みへと目を向ける。
「お前、まだやってんのか? 素直に渡してやれよ」
ビク、と澱みは小さく動いたが、すぐに縮こまってしまう。
「俺は再戦でもいいんだけど?」
暴風の周囲に風が吹き始める。
「ひっ!」
香珠浄が小さく悲鳴を上げ、恒一の腕を取って奥へと引っ張っていく。
「ヤバいって、巻き込まれたら、お前なんかイチコロだぞ!」
「俺と拓海、あの暴風の中に入って、脱出したんですけど……知らなかったんですか?」
香珠浄が一瞬、言い淀む。
「…………比喩だと思うだろ、普通……」
(そういや、俺、強い弱いじゃなく、悪意のあるなししか見てないかも)
「とにかく、暴風は悪いヤツじゃないですよ」
「そうみたいだな……」
香珠浄は気を取り直して、怪異に視線を戻した。
二体の怪異は対峙したまま、動かない。
ゴウッと風が澱みを吹き飛ばす。
――――キュイッ
小さく鳴いて、澱みはますます小さく固まっていく。
「往生際が悪ぃなぁ。元の性質が違うからか? 負けたんだから、もやもやせずに、さっさと渡せ。靄だけに」
ハッハッハッと笑いながら、暴風は澱みを表層からどんどん吹き飛ばしていく。
「そもそも相性が悪ぃんだ。せっかく貯め込んだ力も使い果たしたお前に、勝ち目はねぇんだって」
――――キュ……キュ……
澱みはますます小さくなっていく。見ていて痛々しいほどに。
「おい、いいのか。俺は止めたくせに」
香珠浄が皮肉そうな笑みを浮かべる。
「……たぶん、怪異たちにしかわからないルールがあるんじゃないかな……」
暴風は澱みに向かって、圧倒的な力の差を見せつけている。
そこには、それが当然とばかりの空気がある。
暴風がひと際強く“風”を圧縮させた。
「山の靄に戻れ」
それを澱みに投げつけると、澱みは激しく波打ち、最後は破裂するように飛び散った。
――――キュ……
無数の破片ひとつひとつが、空気に溶けて消えていく。
澱みが完全に消えると、そこには真っ白な骨が残されていた。
「……全く、こんなもんに執着しやがって」
暴風は白骨に背を向けて、こちらに向かって歩いてきた。
「ほら、人間、いるんだろ。持ってけ」
「わかった」
香珠浄は素直に従い、骨の場所へと駆け寄っていく。
その背中を見て、恒一は大事なことを思い出した。
「あっ! そうだっ!」
暴風に会ったら聞きたかったこと。
「道渡る暴風! 拓海は、ええと、あの時は先客って呼んでた男の子! あの子をどこに送っていったか覚えてるか!?」
「覚えてるとも。名前はチケットで確認済みだ。ちゃんと元の体に送り届けたぜ」
暴風の言葉に、今度こそ本当にホッとする。
香珠浄から無事と聞いていても、不安は消えなかった。
送り届けた怪異(本人)が言うのだから、間違いない。
「何、お前たち、まだ会えてないのか? ウケる」
「バラバラの場所に送るからだろ」
「そういう決まりだからな」
「はあ、俺、めっちゃ探したんだぞ。……心配して就職活動ボロボロだ……」
「ウケる」
暴風と会話している間に、香珠浄は持ってきていた桐箱に何か(おそらく遺体の一部)を入れている。
それが終わると、周辺の木や石にお札を貼り付け始めた。
「もういいよ。あとで場所だけでも教えてよ」
「ヒトの住所が俺にわかるかよ」
「ああー、じゃあ、案内できる?」
「できる。元『案内人』だからな」
「頼む!」
「おう」
自信満々にニヤリと口角だけを上げる暴風を見て、ふと思った。
彼は、現在バスの運転手の制服を着ている。
恒一は見慣れたから怖くはないが、この人形のような表情の怪異を連れて歩いて大丈夫だろうか。時々、人間離れした挙動を取るし……
(覆面とか、マスクとか被せるか? それも目立つよな……やっぱり霊媒師さんから聞く方が良いか? あとで相談しよう)
「……そういや、バス停だけなんで残ってるんだ? 目印になって助かったけど」
「ああ、ここに『黒い靄の』結界の穴があってな。俺が霊道と繋げた。その目印に盗ってきた」
「盗んで……って、ことは現物?」
指先で弾くと、カン、と安っぽい音がした。




