第21話:佐原拓海、目覚めて現実
二章スタートです。
完結まで毎日21時に投稿します。
よろしくお願いします。
ゆっくりとしたバスの振動。
ゴゴゴ、プシュ、ゴゴゴゴ……
握りあった手の感触。
暖かい。柔らかく、力強く。
ゆらゆらと揺れる視界。
隣には頼りになる人がいて、肩を貸してくれている。
何よりも安心できる場所。
真っ白な光の中、どこまでも、一緒に……
「ん……」
うっすらと開いた視界が眩しくて、拓海はゆっくりと瞼を上げた。
声が出しにくい。喉に違和感を感じる。
(……あれ?)
視界がぼやけ、目のピントがなかなか合わない。しばらく瞬きを繰り返して、やっと目に映った光景は、見覚えのない場所だった。
白い壁、周囲を囲むカーテン、そして柵のある鉄製のベッド。
「病院? なんで……?」
鼻に細いチューブが入っている。これが違和感の正体だ。
ピッピッピッ、というアラーム音につられて見ると、枕元のモニターに波形が映っていた。右手には点滴が繋がっている。
(俺、入院してるのか?)
どうして、こうなっているのか思い出せない。
手元のシーツを触り、現実を確認するように握り締めた。
窓の外を見ると、雑多な建物が見える。
都会の景色を見るのは何年ぶりだろうと、拓海は思う。
あの村では、山と森と、神社と、黒い……
そこまで思い出して、拓海ははっきりと目が覚めた。
(……っ! そうだ、旅人は……っ)
ガタンッ!
ドサッ!
ピッピッピッピッ!
大きな音を立てて、点滴スタンドが揺れる。
何故か体がうまく動かなくて、そのままベッドからずり落ちてしまった。
慌てて起き上がろうとしたが、思うように動かせない。自分の体が自分のものじゃないみたいに重い。昨日までの自分じゃないみたいだ。
しかし、すぐに気を取り直す。あの村では理不尽が当たり前だった。
(旅人、どこにいる……?)
状況を冷静に把握しようと、もう一度窓の外を見る。
灰色の普通の空。曇っているが、安心できる色だった。
(ちゃんと、現実に戻ってきた……んだよな?)
あの村から決死の脱出をしたのは、ついさっきのことのように覚えている。
最後にバスに乗っていた気がするけど、その後の記憶がない。
あのあと、怪我でもしてしまったんだろうか。
(旅人は、無事なんだろうか……)
ベッドに上半身を預けて、何とか体を支える。
どこか怪我をしているのか、自分では全くわからない。
四苦八苦していると、パタパタと足音。
引き戸が開く静かな音。
シャッとカーテンが開く。
「佐原さん! 大丈夫ですか!?」
血相を変えた女性看護師が、ベッドから落ちた拓海を見て、慌てて駆け寄ってくる。
「誰か、誰か来てっ! 佐原さんがベッドから落ちて……っ!」
耳元の大声がうるさいが、生きてる人間の力強さと熱を感じる。
触れた手が柔らかくて、暖かい。
「先生を呼んできて!ご家族にも連絡して!」
叫びながらも、瞳孔をライトで照らしてきた。眩しい。
バタバタと騒がしくなる病室で、ろくに話せない俺は『鈴木コウイチ』のことを聞けなかった。
その後、医師がやってきて診察を受けた。「2ヶ月間、よく頑張ったね」と言われて驚愕した。
――あんなに長く村で過ごしたのに、ここではたった2ヶ月しか経っていない?
体感では、数年は経った気がする。最初の頃は鐘の音で日数を数えていたが、記憶があいまいになったあたりからそれも出来なくなった。それに、ただのリセット音だったとしたら意味はない。
日の出も日の入りもなく、季節も、何もかもが止まっていた。あの村で過ごした日々が、まるで昨日のことのようにも、遠い過去のようにも思える。
頭が混乱する。
今ここにある感覚、匂い、風景、全部がリアリティのある現実なのに。
心はまだあの村の中にいるみたいだ。
助かったと安心するには、あの世界にいた時間が長すぎたのか。
何とも言えない不安を感じて、思わず目を閉じた。心の奥がざわつく。
(まさか、旅人も怪我したりして……最悪、死んで……)
想像してゾッとする。
旅人の青白い顔を想像してしまい、頭を振って否定する。
(いや、最後のバスの記憶……あれが夢でないなら、俺も旅人も怪我はなかった……)
村にいた期間、現実の俺が意識不明だったのなら、旅人も同じ状況かもしれない。
そして、その長い年月が、現実ではたったの2ヶ月というなら、旅人が村にいた3日間なんて、ほんの一瞬じゃないのか? だったら、それこそ夢だと思うんじゃ?
(死んで、魂だけ呼ばれたとか……まさか、そんなことはないよな……?)
悪い考えを否定しても否定しても、新たな不安が頭をもたげる。
あんな異様な世界では、何が起こっても不思議はない。しかも、それを確認する方法もないんだから、不安になるだけ無駄なのに。
(早く退院して、旅人を探したい。いや、ひょっとしたら探してくれているかも? でも、入院してたら見つからないんじゃないか? やっぱり早く退院しないと。でも、どこを探せば……)
いけないと思っても、不安が思考を空回りさせる。
意識がない間になまっていたのは体だけじゃないようで、段々と思考も鈍くなってくる。
いつの間にか俺は眠ってしまっていた。
耳に、どこか慌ただしい足音が聞こえた。
引き戸が開く音と、シャッとカーテンを引く音が短い間隔で重なる。
目を開けると、慌てた様子の母親の姿があった。
「拓海っ!」
「ママ……」
体が思うように動かない。
掠れた声で咄嗟に出てしまった言葉だった。
「拓海、ママは心配したのよぉ~!!」
「お母さん、まだ体力が戻ってないので、あまり力は……」
ぎゅうぎゅうと力任せに抱きつかれ、思わず息が止まった。
止めてくれた看護師さん、ありがとう。
「ご、めん、声が……」
チューブが入っていたせいで喉が痛い。
「看護師さん! 拓海が喉が痛いってっ!」
真っ青な顔で看護師に食ってかかる母親を看護師がなだめる。
「長期間チューブが入っていたせいですよ。抜いたので、すぐに良くなります」
たしなめられても、涙目で看護師を睨む母親。
ああ、こういう人だったなぁ、と拓海は思い出す。
「拓海、ごめんね。急いで来たから、ママ何も持ってきてないの……秘書の沢口に言って、すぐに用意させるから、食べたいものない?」
俺は首を振って、「いらない」と意思を示す。
「そうだわ! 『パレス・ロワイヤル』の新作アンサンブルがいいんじゃないかしら! それとも、ジャン=ポール・エヴァンに特注で? あ、あそこの桐箱入りのプレミアム・マンゴーの方がリハビリにはいいかしら?」
しかし、母親の口からは、言葉が止めどなくあふれる。
「 明日の朝一番で届けさせるわね!」
今までの俺なら、面倒で頷いていた。
でも、もうそんな気分にはなれなかった。
村で過ごした時間が、少しだけ俺を変えていた。
焦らず、落ち着いて受け止められる。こんな母親だけど、こういう形の愛情なんだ、と気付いたから。
コホ、と小さく喉を整え、ゆっくりと声を出す。
「おれ、まだ、たべれないから、……いらない。それより、顔見せに、きてよ……」
母親の目が大きく見開かれる。
「え……」
いつもマシンガンのように出てくる声が止まった。
真っ赤な唇がパクパクと小さく動くが、言葉は出てこない。
「おれ、ずっと、さみし、かった」
高校生が言うには恥ずかしい言葉だと思う。
けど、あの世界に行って、伝えることの大事さを痛感した。
「あ、あの、拓海……あのね、ママは……」
母親の声の語尾が小さくなっていく。
まさか、そんなことを言われると思っていなかったんだろう。
「しごと、いそがしい、大変なの、知ってる、でも、たまには」
一緒にいて欲しかったんだ。
「かあさん」
そのあと、母親は別人のように静かになった。
しばらくベッド脇の椅子に腰かけて、俺の顔を見ていた。
俺も、声が出しにくかったから、そのままじっとしていた。それだけの時間。
声が出しづらかったのが幸いした。黙っていても不自然じゃない。
逆に母の方は、ちらちらこちらを見て、不安げだ。
(なんだ。こうやって見ると、子供の反応が怖いだけの、ただのおばさんだ)
厚い化粧で武装して、職場という戦場で戦っている。そんなことも、昔の自分は気付いていなかった。外向きの外見に拒絶されていると感じていた、ただの子供だった。
村の住人たちの、“本当に見ていない”視線を知ると、母の目線や表情は饒舌すぎるほどに感情を伝えてくれているじゃないか。
ブブブ、と振動音が聞こえた。
母はハッとした顔でスマホを取り出すと、「仕事だわ」と立ち上がった。その顔には、弱気は微塵も残っていない。
母はベッドに背を向けると、まっすぐに引き戸に向かった。「出来るだけ、時間を作って来るようにするわ」とだけ言い残して。
カツカツカツ、とハイヒールの音が遠ざかっていく。
それが子供の頃の記憶とダブる。病院という環境でひとりになるという心細さはあるものの、以前のように怯えるような孤独は感じなくなっていた。
夕暮れの街並みを病室の窓から眺める。すっかりと雲は晴れ、綺麗な夕焼け空が広がっている。ペンキで塗ったような胡散臭い夕焼けとは違い、自然で柔らかい光。思わず深く息を吸い込む。
(あの世界では、こんな余裕なかったな……)
俺の母親は一般的に言って、立派な母親とは言い難いと思う。
仕事仕事で、幼い子供を置いて日本中を飛び回っていた。子供の頃、俺はそれがとても寂しかった。
たまに帰ってくると、お詫びとばかりに、子供には分不相応な金を持たせ、高級品を惜しげもなく贈った。そんなものいらなかったのに。
勉強もしないで、不良とつるんで、女を家に連れ込んで。
それでも何も言わずに、ただ金を渡して、ペットのように気の向いた時だけ無条件に可愛がる。それに反発したけど。
それでも、あの世界で長い時間を過ごすうちに、恋しくなった。
誰も俺を認識しない。
血の通わない死人ばかりの世界。その中で、何度も絶望した。同じ立場の『迷い人』でさえ、自分のことしか考えていなかった。
そう思えば、身勝手な愛情だろうと、確実に自分に向けられた感情だった。
それが無性に懐かしかった。
幼かった頃の、母親に嫌われないために我慢していた自分に言ってやりたい。
素直に甘えればいい。
自分の気持ちをぶつけろと。
拒否されるより、何も言わずに消えることの方がずっと怖い。それを知ったから。
(もう、さすがにそんなことを思う歳じゃないけど……)
(……ああ、だから言えるのか)
母親のぽかんとした顔を思い出して、可笑しくなる。
(意地を張る理由なんか、最初からなかったんだな)
この気持ちは、あの村であり得ない孤独を味わったからこそ。
そして、それを救ってくれたのは……
胸がズキンと痛む。
あの、お人好しの男は、今どこにいるんだろう。
バスの中で触れた肩の体温を思い出す。
現実に戻ってきたというのに、無性に心細く感じてしまう。
(大丈夫。きっと、また会える……)
窓の外はすっかり暮れて、痩せこけた自分が映っていた。
「え? 入院時の状況?」
俺は検温に来た看護師に、どうして俺が入院することになったのか、経緯を聞いた。
さすがに喉の調子が悪すぎて、旅人のことまでは聞けなかった。
「ええと、2ヵ月くらい前に、意識不明の状態で、救急で搬送されてるわ。詳しくは次の診察の時に先生に聞いてみたら?」
頷くと、看護師は医療用のカートを引いて出ていった。もうすぐ消灯の時間だ。
ピ、ピ、ピ、と小さい電子機器の音が静かな病室に響く。
さすがに村のことを話すほど、俺も馬鹿じゃない。
2ヶ月間入院していた患者が、何年も異界の村にいたなんて話、気が狂ったとしか思われない。
精神科行きにでもなったら、退院が遅れるだけだ。
とにかく今は、元通りに動けるようになるのが先決だ。
旅人のことを考えると焦る気持ちはある。
だけど、きっとあの男なら無事だと信じたい。だから、早く退院して探したい。きっと向こうもこっちを探しているはずだ。
拓海は雑念を追い払い、とにかく眠ろうと目を閉じた。




