第19話:2時間の消失。新宿の雑踏に残された孤独
ビュウウッ
ガタガタ、と看板の揺れる音で、恒一はハッと目が覚めた。
「きゃあっ」
「なに、すごい風……っ」
女性が乱れた髪を整えながら歩き去っていくのを、ぼんやりと眺めた。
(あれ、ここ、見覚えがある)
目の前にはバスの降車場。
客を降ろし終えた大きなバスが、ゆっくりと目の前を横切っていった。
すぐに次のバスがやってきて乗客が次々と降りていく。
人の動きに目を奪われていると、ゴゴゴ、プシュ、ゴゴゴ、プシュ、という独特の音が耳に入ってきた。誘われるように目を向けると、ところどころ塗装が剥げた年代物と思われる緑色のバスが走り去っていくのが見えた。
目が離せずに、そのまま見送ると、案内板の表示が目に入った。
(ここは新宿か。でも、なんでここに? たしか飲み会に誘われて……)
体中が痛い。無理な姿勢を長時間続けたあとのようだ。
特に両手が痺れている。何かを強く掴んでいたみたいな……。
(俺、何を掴んで…………そうだ!)
「……先客っ!」
思い出した途端、一気に意識がはっきりとした。
慌てて周囲を見回すが、先客の姿はない。
喉の奥がひゅっと鳴り、呼吸が浅くなる。
先客がいない。
その事実に、足元が崩れ落ちそうになる。
「どこだ、どこにいる!?」
ベンチの裏、バス停の柱、乗客の列。
視線を巡らすが、見当たらない。
恒一は座っていたベンチから立ち上がり、声を上げながら先客を探した。
「先客っ、……拓海っ!」
ここは村じゃない。
恒一は拓海の名前を大声で呼んだ。
いきなり立ち上がって大声を上げる男に、周囲が驚いた視線を向けてくる。
しかし、そんなことに構っていられない。
一緒にいるって約束したのに。
あの臆病な少年が、どこかで一人、泣いているんじゃないかと心配でたまらない。
「拓海っ! どこだっ!」
バスターミナルを出ると、そこは新宿。
人の波が途切れず流れ、視界は背中と看板に埋め尽くされている。どこを探せばいいのか見当も付かない。
「拓海……っ、……たくみ……」
俺には一目もくれず、様々な表情を浮かべた人々が目の前を過ぎていく。
息苦しさを感じるほど、たくさんの人がいるのに、足元が冷えるような孤独感が押し寄せてくる。
あの村の住人よりも、よほどこの群衆の方が意思のない人形に見える。
ピリリリリ……ピリリリリ……
着信音に気付いて、慌ててスマホを取り出した。
「もしもしっ!」
「うわっ、なんだよ。すげー勢いだな。なんかあったのか?」
「町田か……っ」
焦って相手も確認しないで出てしまったが、相手はあの日、待ち合わせをしていた大学の友人だった。
「町田か、じゃねーよ。キャンセルするなら連絡ぐらいよこせよ」
「あ、ああ、ごめん。ちょっと連絡できなくて……」
「今、出れてんじゃん……で、どうした寝坊でもしたか? まだ家か?」
「いや、ちょっとスマホ使えなくて。今は、新宿」
「はあ? 新宿まで来てんのかよ? じゃあ、早くこっち来いよ!」
え? と思った。
待ち合わせは3日前だったはずだ。
そう思った瞬間、背筋に冷たいものが走った。
「ご、ごめん。変なこと聞くけど、今日って何日だっけ」
「……まさか、お前、約束の日を間違ってたのか?」
「いや、違うけど、ごめん。教えて」
「怪しいなー、10月4日だよ。金曜日! みんながいた時に決めただろ」
絶句した。
待ち合わせした当日、――俺が村に行った日だ。
それでも足を動かし、目だけで拓海を探す。
(2時間しか経ってない……)
電光表示板の時刻を見て、愕然とする。
あの、怒涛のような3日間。
それなのに、現実ではたった2時間しか経っていないなんて。
「ほら、こんな話はいいから、早く来いって! いつもの店だからな!」
「ごめん、町田。行けない。人を探してるんだ」
「人? 何、急用かなんかか?」
「うん。……出来たばっかの、恋人なんだ」
「はあっ!? なに、お前、やっと春が来たのかっ!?」
急に大きくなった町田の声と、同時に一気に騒がしくなったのが聞こえた。
「えっ、須々木っ! マジか!」
「おめでとーーーっ!」
思わずスマホを耳から遠ざけてしまうほどの大音量だ。
「どんな子!? 美人!? 何歳!?」
「とにかく、今日はごめん。また連絡する」
興奮して話し続けている町田を無視して、通話を切った。
とはいえ、どこを探せばいいものか。
辺りをしらみつぶしに歩きながら、考える。
高校生なんだから、無事だったら、自宅に帰ったのかもしれない。
同じ場所にいたなら、さすがに声も掛けずに去るとは思えない。おそらく別の場所で気が付いたんだろう……じゃあ、それは一体どこだ?
人並みの中、鮮やかな赤いジャンパーを探す。しかし、見つからない。
(こんなことなら、携帯番号とか、住所とか、聞いておけば良かった)
こうなることは想像できたはずだ。
なのに、スマホが使えないというだけで、LIMEのアカウントすら聞いていない。わかっているのは本名だけ。
自分の失態を後悔しながらも、恒一はひたすら新宿の街を歩き回った。
しかし、終電の時刻が来ても、拓海を見つけることはできなかった。
(きっと、自宅に帰ったんだ、きっとそうだ)
恒一は後ろ髪を引かれつつ、終電に乗って一人暮らしのアパートへと帰った。
それからの恒一の行動は、周囲からは異様に見えた。
就職活動も本格化しようかというこの時期に、一人の男子高校生を探して奔走したのだから。
恒一は友人のつてを辿り、各地の高校にも当たった。もちろん、同時進行でネットでも探した。
同姓同名の人物はいたが、会社役員だったし、当然、年齢が違った。
「すみません、この子、見ませんでしたか」
カラーコピーした似顔絵を見せると、店員は一瞬だけ目をやり、すぐに困ったように首を振った。
「いや、見た覚えはないなあ。……ここ、学生多いからね」
「あの、良く見てください。髪型とか、服装は違ってるかもしれませんし……」
「それこそ、わかんないよ。せめて写真ないの?」
「ありません……」
洒落たカフェは人気店で、店員はすぐに客に呼ばれてオーダーを取りに向かった。
(ここもダメか……)
恒一は高校生が行きそうな場所に行っては似顔絵を見せた。
知り合いの美大生に描いてもらったもので、良く似ているはずだった。
それでも、拓海を見たことがある人物は見付からなかった。
次の店でも、その次でも同じだった。
見ていない。
知らない。
分からない。
同じ言葉が、何度も何度も繰り返された。
それでも、恒一は探すのをやめなかった。
いつも温厚で、誰にでも優しい、いい人。
周囲からの評判が、秋が過ぎ、冬が来る頃には変わっていた。
相手が男子高校生だったことで、偏見の目を持つ者も中にはいた。しかし、色恋の甘酸っぱさよりも、必死さの方が全面に出ていたため、何か事情でもあるのだろうと、周囲は察した。
しかし、信用している数人にだけ話した『死人の村』の話。
これを聞いた友人たちは真剣に、精神科の受診を勧めてきた。
やがて、恒一は4回生となった。
拓海を探し始めてから、半年が過ぎていた。
ここまで来て、恒一はがむしゃらに探すのを諦めた。
探せるところは探し尽くしたし、打てる手も打った。あとは、どこからか繋がってくれるのを待つしかないと思ったのだ。
(これだけ探しても見つからないなんて……会えなくてもいいから、せめて無事でいてくれ……)
現実世界ではたった2時間の出来事だ。
何度も夢だったんじゃないかと考えた。でも、その度に拓海の物憂げな顔が脳裏に浮かんできた。
もう、感触も覚えてないけど、確かにあの時、しっかりと掴んでいたはずなんだ。
夢や幻なんかじゃない。あれは現実だった。
そして、今この現実に拓海がいないのなら。
当然、考えてしまう。悪い結果。
――拓海は、戻れなかったんじゃないか。
日課となっているネットでの捜索。
マウスを握る手が震えた。
拓海に一目惚れした。
ここまで心惹かれたのは初めての経験だった。
だけど、この想いの行き先なんてどうでもいい。
『一緒にいて欲しい』と頼ってくれた相手を、ただ助けたかった。
「生きていてくれたら……もうそれだけでいい」
ぽたりと、キーボードに涙が落ちた。




