そして日常へ_4
「ねぇ、どこに帰るのぉ? 今夜あの人が帰ってくるかもしれないおうちには帰りにくいわよねぇ」
腕を組んできたマリーが甘えるような声で言ってくるからタイミングを逃す。
「そうか。カナ、今日寝る場所ないんだ」
ズバッと切り込んできたマリーの言葉を聞いたザックは難しい顔をして私を見る。別に彼に悩んでもらうような話ではないのだけど、ご親切なことだ。彼らを安心させるように笑顔を作って、私ははっきりと言う。
「家に帰るよ」
「でも」
もし達也とヒナがいたらどうするの、と七央は心配してくれるけど、あの部屋は元々私の部屋だからさすがに付き合っていた間だって女を連れ込んだりはしないと思う。……していないと信じたい。いろいろ考えると、あのベッドを使うのも嫌になってきた。あの部屋も、気に入っていたけど住み続けるには嫌な思い出が増えすぎた。
――引っ越そうかな。
そんなことを考えながら
「もう達也とは別れたし」
「え?!」
「は?」
「あらぁ、そうなの?」
さらっと口にすれば三者三様に驚かれてしまった。いや、そりゃそうだ。我ながら流れで口にしすぎた。いつ別れ話をするタイミングがあった?! と口々に聞いてくるから、ここに来る前には別れてた話をすると
「……いつ?」
夕方達也とゲームをしたばかりだった七央が眉を寄せる。
「あの時、達也さん部屋にいたよね?」
「いた」
「で、その時は――」
「別れてました」
「え? なのになんで部屋にいたの?」
「いろいろと事情がありまして」
「はぁ?」
意味わかんない、と下唇を突き出した七央は「じゃあ、オレが達也さんに言ったことって見当違いじゃん。ダサ。格好悪」ブツブツ文句を言いだす。ごめんね、と言った私をチラッと見て
「後で詳しく教えて」
と感情の見えない声で言ってきたあたり、これは根掘り葉掘り聞き出される予感がする。
「ね。ねねね、カナ、ねぇ」
ザックは私の腕を引っ張る。顔が上気して、目がキラキラしている。これはマズい、と思ったけれど反対側の腕はマリーにがっちり押さえられてるから逃げられない。
「てことはさ、てことは、カナ、今フリーってこと? 恋人いないんだろ? ってことはさ」
「落ち着きなさいよぉザック。別れたからってすぐにハイ次なんて風にはいかないのよ。そういう人もいるけど、カナはそういうタイプには見えないわ」
うんうん、とマリーの意見に頷いてみせる。付き合ってた方の最後は浮気されていたって事実とか、浮気相手には結婚ほのめかしてたって話とか、なのに私にはそんな話はしようともせず、別れた後も私と付き合ってるような顔して相手翻弄してたんだか私に嫉妬する様子を楽しんでいたんだか、まあなんというか、それらの事実に加えて自分の見る目のなさに頭が痛くなっているところだ。今すぐに自分を恋人にしろと言われても難しい。
「ほら。まだ恋人は募集開始してないの。残念だったねぇ」
「いつ? カナ、恋人募集始めるのいつ? オレ一番最初に立候補したい」
「だから落ち着きなさいって」
ビシっとデコピンされたザックは軽く頭を反らせて痛がっている。でも、こうやって笑わせてくれることで、さっきまで怖かったのも、冷静になればどん底まで落ち込みそうなのも忘れられそうだ。彼らを見て笑っていた私を眺めたザックは腕を組んでひとしきり唸った後で七央を見た。その顔が、もう絶対に認めたくないみたいに複雑そうに歪んでいる。
「少年、カナと幼馴染なんだろ。家は? 一人暮らしか?」
いきなり何を言い出したのかと思えば。七央の家が気になるの? なんで。
「実家」
「ンなら、お前んちに今日カナ泊めてやれよ」
「え?! いいってば!」
「言われなくてももう連絡した」
ほら、と七央が見せてきた画面には、おばさんとのやり取りが表示されていた。
『カナ姉が達也さんと喧嘩したって泣きついてきたから、連れて帰る』
『まあ!かなちゃん大丈夫なの?ちゃんと連れて帰ってきなさいよ。迷惑とか言ってても、引っ張ってらっしゃい』
話が早すぎる。いつも「なにかあったら頼っていいのよ」って言ってくれていたけど、本当に頼ることになるだなんて思っていなかったし、なによりこんな深夜に起こしてしまってごめんなさい、と身が縮む思いだ。
「本当にそんなの必要ないって。一人で家帰れるし、達也はもう来ないと思うから」
恐縮しきりな私にザックは首を振った。
「カナ、今まであんな体験したことないだろ。夜、一人になった時に思い出して怖くなるかもしれない。その時俺はきっと隣にいられないからさ。今夜だけでもいいから、誰か警戒しなくていい相手が一緒にいてくれると俺も少しは安心できるんだけど」
ザックは私の肩をそっと抱いて、言い含めるようにゆっくりと言葉を紡ぐ。
「それが少年っていうのはちょっと――いやかなり妬けるけど、俺はまだ一晩中近くにはいられないから。ね?」
「わかってんじゃん。カナ姉はオレと帰るの。ほら離れて」
マリーに捕まってない方の腕をぐいっと引っ張られて身体が傾ぐ。マリーはすぐに手を離したから勢いで七央の胸に飛び込みかけた私の身体は途中で止められる。腰を抱いて自分の方へ私を引き戻したザックは、渋い顔で七央に人差し指を突き付けた。
「カナはお前のもんじゃねぇよ? 今は彼女の身の安全のために預けるだけだからな。くれぐれも変なことすんじゃねえぞ」
「はぁ? 変なことってなに言ってんの」
「本当やだ。なんで俺の家に連れてけないんだろ」
ザックは額を片手で抑えて天を仰ぐ。
「クソ全部話せりゃなぁ……」
「なに夢みたいなこと言ってるのザック。夜の遅いんだし、早くカナたち帰してあげなさいよぉ。寝不足は美容の大敵なんだっていつも言ってるの忘れたのぉ?」
「ああ、君の言うとおりだよマリー。いつまでもここにいるわけにもいかないし、今日は――おい、少年。お前も特別に運んでやるから、おとなしくしてろよ」
片手で器用に私を抱き上げて「しっかりつかまっててね」と軽いウィンクを見せたザックは、七央の首根っこをつかんだ。当然七央は離せとわめいてもがくけど、力の差は歴然としている。暴れる姿がまるで小さい子供のようだ。
これって、もしかして私とマリーを高速移動させたアレをまたやる気なのでは、と思うと、これから起こるであろう事態を予測してザックに抱きつく腕に力が入る。
「お……っと、ずいぶんと熱烈なハグだね。んふふ。そうそう、そうやってちゃーんと俺に抱きついといて。カナのことは落とすわけもないんだけどさ、そっちの方が安定するから、いいよ」
私の行動にちょっと目を丸くしたザックは、すぐにとろけそうな笑みを浮かべる。それを間近で見てしまい、カァっと頬が赤らむのを感じた。ちらっと視線を落とせば、同じく至近距離で見てしまったらしい七央は吐きそうな顔をしている。うぇ、と小さく言って口元を歪めた七央に気づいたザックは、目を細めると口角を下げた。




