そして日常へ_3
「大変だったね」
怪我は? とザックが私を気遣う。口の中も唇が切れたところもまだ痛いけど、出血はとっくに止まっている。打ち付けた背中はあざになっているかもしれないけど、見えないから何とも言えない。痛いは痛い。でも耐えられないほどじゃない。そんな私の怪我なんてのはどうでも良いと思えるくらいにボロボロなのは、またしても目の前の男だ。
なのに、彼はなんでもないような顔で笑うだけだ。
「さすがに脱がせて確認するわけにもいかないしね。今痛いところはないかい?」
「私は大丈夫。……でも、ザックが、その……私のせいで、また……ごめんね」
「もう傷は治ってるからだーいじょうぶだって。俺はそう簡単には死なないよ。だからさ、そんな顔しないで。なんなら触って確認してみるかい?」
ほら、と見せられた首筋は、傷一つない。言われるがままに触れてみれば、やっぱりなんの違和感もない綺麗な肌がそこにはあった。
「うん、傷……ないね」
「言った通りだろ。だから、君は安心して俺に守られててよ」
「でも、そんなに毎回傷だらけになられるのは嫌だよ」
「……? なんで? 君を守れるなら、俺はどれだけ傷付いても構わないんだけど。どうせ治るし」
「そういう問題じゃないの!」
すぐ治るからって、傷だらけになって良いなんてことがあるはずがない。どうにも本人には解らない様子なのが腹が立つ。彼が人間じゃないからと言って、むやみに傷ついて良いなんて理由にはならない。
と言っても、ずっとそうしてきた彼にはわからないのだろう。
「私が、ザックに傷だらけになって欲しくないの」
「ごめん、やっぱりわからないや」
困ったように眉を下げたザックは頭を掻く。はぁ、と小さくため息をついた私は、理解してもらうには時間がかかりそうだと覚悟する。そして。
もう一歩、彼に近付いた。
どうしたの? と小首を傾げた彼の胸にコツンと額を当てる。
「……ッ?! な、なにっ?」
「お礼、ご褒美、約束の」
「え、えっ? ちょっと待って、なに? ハグ? 俺そこまで約束してもらってな――」
「……遅い」
「へっ?! あの、カナ? あれ? なんか怒ってる?」
ワタワタしている様子が俯いていても伝わってくる。さっきまでの勇ましい様子はどこへやら、だ。ふっと口元が綻ぶ。表情ごと緩んだままに見上げると、ザックの頬が赤らんだ。
「でも、来てくれるって、守ってくれるって信じてた。期待してた。……ありがと」
「……ッッ! ま、待っ……て……ちょ、それ、それは反則だよ。なにそれ、君、俺のことどこまで落とすつもりなの?」
さっき、彼が言って欲しいっていってた言葉。こんなのでお礼になるのかどうかわからなかったけれど、聞いた本人はやたら身悶えしてるから満足なんだろうと思う。紅潮させた顔と潤んだ目で私を見下ろして、やたら艶のある声で彼は言う。
「ねえ……すげぇ今すぐ抱き締めたい。めっちゃくちゃにキスしたい」
駄目? と強請るように顔を寄せてくるから、背中に回されようとする腕の中から逃げ出して階段へ向かった。
「それはダメ。今のは、助けてもらったお礼だし」
「だよね、知ってる。本っ当ヒドいねカナって。こんなにも好きにさせといて必死にさせといて、まだ手に入んないんだろ」
こんなにも、なんて言うけど、まだ出会って数日って認識はあるのかな。
といってもその数日があまりに濃くていろんなことが起きすぎてて、私もまだ頭の中で整理はついていない。これからしなければいけないこと、明日すぐにでも取り掛からなければいけないことを考えると気が重い。
「七央とマリーが待ってるから、早く降りよう」
「じゃあまた抱きかかえて降りようか。その方が早いよ」
そう言うなり私を抱き上げたザックに躊躇いはない。
「しっかりつかまっててね」
「だから、これはもう勘弁してーっ!」
私の悲鳴は夜の闇に飲み込まれていった。
下に降りれば、不満そうな七央とそんな彼には興味なさそうな顔で髪をくるくると弄っているマリーが微妙な距離感で立っていた。地面に降り立ったザックの所に小走りにやってきた七央は「ん」と言って手を出してくる。
「だからぁ。その返せみたいな態度、腹立つからやめろっての」
「返して」
「いつからお前のものになったんだよ」
私を下ろしてくれたものの、背後に隠して七央に触らせないようにしているザックは、来るな、と手を払う。
「ねーぇ、カナぁ?」
二人のやり取りを無視して迂回して近づいてきたマリーは、ちょいちょいと私を手招く。近くに行ってみると「あのねぇ」と達也たちのことを教えてくれた。
彼女の暗示で車の所まで行った達也たちは、そこに転がされていた友人二人を叩き起こして、私たちを置いて慌てふためいて逃げ出したのだという。マリーと七央が玄関を出た時には、もうテールライトも見えなかったらしい。
「カナたちのことを置いて行ったのは覚えさせてるからぁ、明日の朝とかに謝ってくるかもね。それでぇ、これからどうするの?」
「どう、って?」
「別れるんでしょ?」
「ぅ、ん……」
細かく状況を把握していないだろうマリーからも言われてしまう。
まあ、ねえ。私としてはよもや未練なんてのを抱くのも馬鹿馬鹿しいほどの熱愛っぷりを見せられてしまったわけで。あんな達也は知らなかったなぁと思うと落ち込みもするけど、だからって彼が私に対してあんな風だったらよかったのに、とも思わないでいられるのは、きっと今私の近くにいる三人のおかげでもあるのだろう。
達也は、もう身も心もヒナのものなんだろうっていうのは理解しきってしまった。悔しいけど、彼女の言っていた「早く解放してあげて」というセリフがグサグサと刺さってくる。彼らにとっては、正規の彼女だったはずの私がお邪魔虫だったってことだ。達也がヒナに私と別れていることを伝えていなかった意図はわからないままだったけど、もうそれもどうでもいいことだった。
アレと同棲しているあの家に帰るのか? 本当に大丈夫なのか? と心配してくれる三人に、実は別れてたって伝えなければ。もう達也に未練はないから気にしないで、そう言わなければと思いながら口を開こうとした。




