そして日常へ_2
「……はーぁ……そういうことぉ? まあザックが身体に入れたくないの、わからなくもないわねぇ」
マリーは苦い顔で髪をかきあげた。
「仕方ないわぁ。今回だけよぉ?」
事態を把握したマリーは、ザックの指先のものを受け取ると「高いわよ」と軽く睨んでから
「愛してるわ……」
そう言うと、球体に軽くキスをして飲み込んだ。
あれ、飲んだ後どうするんだろう。消化される、というか彼らのエネルギーにでもなるのかしら。でも今マリーは保管って言ってたから……なんて、考えだすときりがない。
目の前で起こったことに呆気に取られてる達也たちに気付いたマリーはしなを作る。
「やだぁ、そんなにじっと見られたら恥ずかしいじゃなぁい」
照れたように頬を押さえてはいるが、その実別段恥ずかしそうでもない。仕草だけで羞恥を表現したマリーは、あっさりとそのポーズを崩して「これからどうするの?」と立てた人差し指を唇の横に当てて私を見る。
とりあえずバケモノはもういないけど、後始末もなにもできたもんじゃない。建物は半壊とまではいかないまでも屋上から下まで大穴が空いている。いつ崩れるかわからないから、一刻も早く立ち去るのが最善の策だろう。ここにたむろっていた幽霊は全てヒナの生霊が食べてしまったから心霊スポットでもなくなってしまった。
不幸中の幸いと言えば、達也とヒナの友人たちは、さっきザックが車まで運んだと言ってくれていたから無事なのだろうということ。そして今現在、特に問題なのは全てを見てしまった達也とヒナだってことは、七央たちに確認しなくてもわかった。
こんな妄想みたいなバケモノ退治、普通の人に見られていいものではないだろう。……いや、存分に巻き込まれている私も普通の人なんですが。彼らはなんだか身内みたいに扱ってるけど、私は何の力もない一般人だということをお忘れではないだろうか。
寄り添う達也たちを見たマリーは、軽やかな足取りで歩いていくと七央を触れそうな距離で覗き込んだ。驚いたようにのけぞる七央にニコリと笑いかけ、可愛らしく小首を傾げる。
「ねえ、坊や? これってぇ、彼らに覚えられてるとマズいやつぅ?」
「一応」
「……困るのは、坊や? それとも、カナ?」
「カナ姉……の方が、困るかな。アンタたちみたいなのと知り合いって知られちゃったし」
「あらやだ」
マリーは私を見て「私たちと友達なのって、迷惑なの?」と尋ねてくるけど、友達になった覚えはない。曖昧に笑って誤魔化せば唇を尖らされた。
「友達、よね?」
「えーと……」
「あ、俺はお友達じゃなくて良いよ。友達から恋人になるのって大変そうじゃないか」
マリーの質問に答えかねていると、ザックはそんなことを言ってくる。一応まだ恋人設定な男がすぐそこにいるの忘れてるんじゃないかしら、と苦笑いしか出ない。達也は複雑そうな顔で私とザックを見比べる。
「わかったわ。これはカナのためね。でぇ? どの辺りから覚えられてるとマズいわけぇ?」
「本格的にヤバイのは、屋上に倉橋が来た辺り」
「クラハシ? まあいいわ。じゃあ屋上で怖いもの見たってことで良いわね」
マリーはカツカツとヒールを鳴らして達也たちに近付く。怯えたように達也にしがみつくヒナに笑いかけて、髪を後ろに払う。そして、悠然とした笑みを浮かべるとふぅっと二人に息を吹きかけた。
途端にトロンとした目になって、達也とヒナはだらりと手を脇に垂らす。
「さあ、貴方たちはここに来た後、屋上で何か恐ろしいものを見たわ。でも、恐怖で記憶は曖昧。いつどう逃げ出したのかもわからない。カナとこの男の子を置いて、二人は逃げ出した――なんて悪い子なのかしらね。謝ったらどうかしら。さて……そんな貴方たちは、思い返すのも嫌なくらいの体験をした、ということしか思い出せないわ。良いわね? 貴方たちは、ここで怖いものを見たこと以外は思い出せないの。それを口にすることにも恐怖を覚えるわ。誰にも何も言えない。今夜のことについて、他人に対して口にすることが出来ない。わかったなら、さあ、行きなさい」
達也たちは、マリーの言葉に素直に従ってふらふらと階段を下りていく。なにをしたの? と彼女を見れば「内緒よ」なんて言って、また立てた指を唇の脇に当てた。
「さて、と。あれで、あの人たちは家に帰ってくれるはず。カナと坊やは置いて行かれたってことにしちゃったからぁ、車の音がするまでは動かない方が良いわね」
「車なくて、歩いて帰れっていうの?」
そんなの面倒くさいと言った七央に、マリーはパチパチと瞬きして「そんなの知らないわよぉ。そこまでお願いされてないもの」とあっさり言い放つ。なにやらぶつくさ言っている七央は置いといて、私は一つ大事なことを思い出した。階段の入り口辺りに向かえば、背後から「どこに行くの?」と口々に尋ねられる。彼らに答えず、落ちていたものを回収して戻ると、それを見たザックが手を伸ばしてきた。
「ああ、それか。ありがとう」
「途中で放り出しちゃってごめんなさい。預かっててって言われたのに」
「んーん、良いよ。あの状況下でずっと持ってるのも邪魔だっただろうしね。むしろ持ってたら邪魔になって危なかったかもしれないし」
預かっていたはずのジャケットを拾い上げてその手に返せば、ザックはすぐに袖を通す。そうすると彼の身体にこびりついた血が見えなくなって、少しはマトモに見えた。
「じゃあ私たち先に降りてるわよぉ。あまり待たせないでよね」
マリーが七央を引っ張った時下から車の音が聞こえた。どうやら四人とも無事だったようだ。なんで、だとか、離せ、とか七央が抵抗しているけど、マリーの力には勝てないようでずるずると引きずられながら階段を降りていく。屋上に、ザックと二人取り残された。




