はばみわらうもの_8
「ねえ! 今のうちに逃げよう?! うちに帰ろうっ」
「伽奈……ええと」
「帰ろう、『私たちの家』にっ」
なるべく煽れば良いんだろう、と彼女たちが腹立たしく思えるだろう情報を混ぜ込む。
「一緒に帰ろう、早く! ねっ!?」
ワザとらしいテンションに自分でも嫌になってくる。達也も乗ってくれないかな、って思っていると「ああ、一緒に帰るか」だなんて棒読みに言った。
その瞬間、刺すような殺気が放たれる。達也に抱き着いたまま絡新婦たちを見ればまたあの憎々しげな目。つい身体が達也から離れそうになるから、ぎゅっと服を掴んで彼女たちの目から逃げるように達也を見上げる。
完全に意識をこちらに向けた蜘蛛たちの視線を遮るようにザックが立ち塞がる。躍らせるように空を撫でた指先から今までになく大きな斧が生じて、彼の手にすっぽりと納まる。
「ハァイ、お嬢さん方。覚えてるかい? 先にこの子狙っちゃ駄目って言っただろ。さっさとそっちカタつけろよ」
べぇっと長い舌を出す。ヤレっつってんだろ、と嗤う彼の声は私に向けるものとは全然違っていて、少しだけ怖くなる。しかし、蜘蛛たちは私を睨んだまま動かない。完全に私だけに殺気を向けている状態だ。
「ねえザック」
「なんだい?」
振り返る彼はやっぱり私の知っている笑顔なのだけど。
「あれ、カタつけるって、どういう意味?」
「どうもこうも。どっちかが動けなくなるまで戦ってもらうんだよ。勝ったヤツは疲弊してるだろうから、俺がヤる」
「それ、最後までやり合わせたら、ヒナさんどうなるの……?」
「あー? ヒナァ? だれだっけ」
本気で忘れたかのような言い方にゾッとする。
「あの、片方の、絡新婦の女の子……」
「ああ……あー……? さあ、どうだろうなあ。どこまで浸食されてんのか知らないしね、俺。聞いてみれば?」
絡新婦を見てヒナの身体を確認したザックは興味なさそうに言って、見もせずに倉橋を指す。首を巡らせれば、目の合った倉橋はニタリと嗤った。
「いやァ。わたしとしても計算外でしてね。二つに分かれるとも思わなければ、まさか本体が取り込むとも思いませんでしたよォ」
無責任なことを言って、嬉しそうに目を細める姿が腹立たしい。
――待って。本体『が』って言った?
「もしかして、あの絡新婦の意識の中心って、ヒナさん……なの?」
「っ!? な……!」
私の問いかけに、達也が動揺した。
なんとなく生霊がヒナさん乗っ取ったみたいな気でいたけど、思い返してみれば確かに動きとしてはヒナの影に生霊が呑み込まれた形だった。
生霊の意識としてじゃなくて、今現在もヒナ本人の意思があるとしたら。傷つけられる身体と意識は、全部ヒナのものってことになるんじゃないの?
どういうことかとザックを見れば、知らない、とでもいうように肩をすくめる。
「クはハははッ! そんなの! 本人に聞いていれば良いでしょうに! ねえ! 『日向さん』!」
高笑いした倉橋が投げ掛けると、ヒナはビクンと身体を揺らして、一歩一歩とこちらに歩みを進めだした。
『コミナミカナ……アンタサエ……イナケレバ』
またそれか、とザックがため息まじりに頭を掻く。直に恨まれているであろう私ですらもう聞き厭きたのだから、彼としてはなおさらだろう。
達也にしがみついていた腕がそっと誰かに触られる。見ればそれは達也自身の手だった。なに、と眉をひそめるけど、彼の視線はもうヒナしか見ていない。達也? と呼びかけた私の声は聞こえていないのだろう。真っ直ぐにヒナを見て、苦しそうな顔をしていた。
ヒナが達也を見る。
『タツヤ……タツヤ……アナタハ、ワタシの』
「ヒナ! 俺はっ」
ヒナが自らの手を伸ばす。私を突き飛ばすように振り払った達也がヒナに駆け寄ろうとする。舌打ちしたのは七央だったのかザックだったのか。ザックは横を通り過ぎようとした達也の首に腕をひっかけて引き留める。何やってんだよ、と苛立たし気に覗き込んでくる男から視線を逸らした達也は青い顔で俯いた。その耳元にザックは低く独り言のように囁きかける。顔は蜘蛛の方に向いている。
「余計なことすんなっつったろ」
「でも」
「なあ。あんたのカノジョってカナなんじゃないの? それなのに、カノジョ置いて別の女のとこ行くんだ?」
「俺は……俺……」
『たつや』
ヒナに呼びかけられた達也は弾かれたように顔を上げる。
ズルズルと跡を残しながら近付いてくる蜘蛛の身体を怖がることもなく手を伸ばす。ヒナも幸せそうに笑って達也の腕に飛び込むような仕草を見せた。そこに。
ザシュ、と鈍い音がして、笑顔のままのヒナがそのままに傾いで滑り落ちる。残った蜘蛛の半身から体液が噴き出た。
ギャアァァァアァア! と耳をつんざく悲鳴。思わず耳を塞ぐ。
目の前で、首吊り幽霊の蜘蛛女がヒナに組み付いてその身体を上下真っ二つに抱き潰していた。
ゆっくりと屋上に倒れたヒナに達也が向かう。あっさりと手を離したザックは冷えた目でそれを眺めて。達也も守ってくれるんじゃなかったの、と言った私に「死にたがりをどうしてこの俺が守らなきゃならないんだ」と無表情に返してきた。
私はと言えば、七央に腕を掴まれている。
「オレ、今はなにもできないから……せめてカナ姉だけでも守らなきゃ」とほぼ瞬きを忘れた目で達也を追いながら、うわごとのように呟いた七央は掴む手に力をこめる。痛い、という私の声は聞こえなかったようだ。
首吊り幽霊はヒナから切り離した蜘蛛の身体に齧りついていた。ぶちりぶちりと肉を引きちぎって咀嚼する。飲み込む。手を突っ込んで、胎内から取り出したものにかぶりつく。あまりの凄惨とも言える光景に、自由な方の手で吐き気を抑えるように口をふさぐ。あっという間に蜘蛛の身体を喰らいつくすと、彼女はヒナの生身にまだくっついている黒い塊にゆらりと視線を移して、足を振り上げた。
「だめだよ」
静かな声がして、首吊り幽霊蜘蛛女の身体がガクンと傾ぐ。
「きみは、かいしゅう」
タン、と軽く足を踏み鳴らす音がした。あの狼みたいな犬みたいな子が蜘蛛の周囲を走り回って縄で括り上げていく。どこからかチュウチュウとネズミの鳴き声のような音がする。
蜘蛛女を縛り上げ終えると、青年は軽々とそれを引っ張って屋上から飛び降りた。去り際に「あっ!」と声を上げた七央を振り返り、闇の中に赤い瞳を揺らめかせた彼は小さく手を振ったように見えた。




