はばみわらうもの_6
ゆらぁ、とヒナが立ち上がる。よく見ればその足先は浮いているようだ。ズリュ……ズリュ……とにじり寄っていたヒナの生霊がその身体に飛びつく。
彼女の名をまた達也が呼んで「うるせえよ、なにもすんなつったろ」不機嫌そうなザックにグイと服を捩じ上げられる。喉が絞まったのか苦しそうな声を上げるからザックの胸を叩いてやめさせた。
私にも若干不満げな顔をした彼は目を細めると鼻で息を吐く。そのままゆるりと顔をヒナの方へ向け、その顔に意地の悪い笑みを浮かべた。
「ははっ、すごいなアレ。喰うのかよ」
彼の言葉にヒナの方を見れば、彼女の影がさっき階段で見た光景のごとく大きく広がって生霊を飲み込んでいた。沼に沈んでいくかのように、じわじわとその姿が沈んでいく。それなのに、生霊の目はずっと私を憎々し気に睨んだままで。どうしてそこまで恨まれなきゃいけないのかがわからなかった。
ゾワっと鳥肌が立って縋るようにザックに身を寄せてしまう。なにも言わずに抱き締め返してくれた彼の腕の力強さに、少しだけ凍えた心が溶けた。
「ねえ、その手離して。オレが代わるから」
「あぁ?」
ザックの腕をこちらに来た七央がペチペチと叩く。触るな、と言ったザックは舌を出す。
「ざぁんねんでしたー。カナは今俺を選んだの。俺に守らせてくれるって。信じてくれるって。だから、絶対渡さない」
「カナ姉、本当?」
「う……うん」
確かに身を委ねるとか言ってしまったけど。そういう言い方を仮にも付き合っている設定になっている元カレの前でされるのは少し問題があるような気もしたが、そもそもさっきのザックに縋るように身を寄せた場面も達也に見られていた。今更取り繕う話でもないと開き直る。
「少年にこの男やるからさ、俺の言う通りにやれよ」
「達也さん?」
七央は達也の顔を覗きこみ、首を横に振った。
「要らない」
「おい少年。本人前にしてその言い方は……」
「は? 最初に達也さんオレに押し付けようとしたのアンタだろ」
「そりゃそうだけどよ?」
あまりに興味のなさそうな七央にザックが呆れ声を出す。
「俺ならともかく、え? 少年この男の知り合いじゃねえの?」
「だけど、別に」
「……まあ良いけどな。俺もさして興味ねえし」
本人を前に彼らが好き勝手言っているうちに、ヒナの影が蜘蛛のような形をとりだす。影が膨れ上がってヒナの下半身を包んで蜘蛛の半身をかたどる。倉橋が歓喜の声を上げるのが聞こえたが私の目はヒナに釘付けで、相手にしている余裕はなかった。
最初に生まれた絡新婦のような姿のヒナと、再生させた不格好な足で何とかバランスを取って姿勢をキープしている首吊り女の蜘蛛。二匹の蜘蛛が同じような顔をして私を睨みつけてきた。
「ハハッ、じゃあさ、お嬢さん方。誰がこの男を手にするのか、勝負しようぜ」
楽しそうに笑ったザックは達也を持ち上げる。
「今はこの、カナのものだけどな。付き合ってんだろ? この二人」
煽るように言って、私の肩を掴んだまま彼女たちの前に突き出した。
「ほら。しろよ、取りあい。こいつは、結局誰のもんになるんだろうな?」
――大丈夫。君は絶対俺が守るからさ。信じてね、誰にも手は出させないから。
ザックは小声でもう一度、私の耳元に囁いた。
「ほら、いいのか? このままだと、今まで通りこの男はカナのものだぞ」
ギリッと歯を食いしばる音がした。それは顔を醜く歪めたどちらから発せられたものなのだろうか。明らかな殺気を向けてきた彼女たちに、ザックはなおも嘲るように声を上げる。
「ああ、同時にこの子に飛びかかろうとしても駄目だ。俺がこの男を盾にする。傷つけたくねえだろ」
ニヤァァと挑発するように唇を釣り上げて嗤った彼は、また私を抱き寄せて本当に達也を自分の前に立たせる。
「念のため、ちゃんとつかまっててね」と優しい声で言われると同時に耳朶を柔らかいものがかすめた。今のはもしかして、と見上げれば「ん?」と何でもないように笑われる。
そんなザックは視線をヒナたちに向けると同時に顔に浮かんでいた笑みを凶悪なものに塗り替える。ヤれよ、と低く囁かれた蜘蛛女たちは互いに向かい合った。
「そういうの、本当に困るんですよねェ……」
ザワ、と空気が澱む。咄嗟にザックは私と達也を七央に投げた。勢いよくぶつかりかけて、なんとか踏み止まる。達也は足元に転がされた。
七央にしっかりと受け止められた私はすぐに振り返る。そこには、首を掻き切られたザックの姿があった。
や、と喉元までせり上がった声がそれ以上出てこない。
吹き出す血を手の平で抑えて大きく肩を落としたザックは、ダン、と大きく踏み込んで姿勢を保とうとする。向き合った先にはニタニタと薄ら笑いを浮かべた倉橋と、指先から血を滴らせた犬のような低姿勢を取る青年。
「それ以上来ないでくださいね。汚い血がかかる」
「テメェ……!」
「まあ、それくらいじゃバケモンは死なないだろうが、痛みがないわけではない……と。その程度なんでもないだろうに。わざとらしい」
ザックの方を見るわけではなく呟く倉橋に、クソ、と吐き捨てたザックは両手で喉を押さえて俯くと、なにやら唇の動きで唱えだす。聞き取れるような音量ではないが、なにやら高速で唱えられているのはわかる。その間わずか五秒ほど。ザックはふるっとその身体を揺らしたかと思えば、血まみれの手をズボンで拭った。
「クはっ! もう治ったのか。相変わらずのバケモノっぷりだ」
「ハッ、言ってろ」
クははッ、と笑われて鼻で笑い返したザックはするりと宙を撫でる。ノーモーションで投げられた斧は青年に弾かれた。構わず次々と斧を出しては投げつける。しかし全て倉橋を守るように控えている青年に防がれていた。そんな彼らの攻防に全く頓着しない様子で倉橋は首を傾げて私を見る。
「ですから。ねえ、小南伽奈さん。せっかく面白い感じになっているのを、そう簡単に潰されるとこちらとしても困るんですよォ。苦労っていうほど苦労はしていませんが、あんな風に成長したのって初めてなんですよねェ」
彼は多分、絡新婦のことを言っているのだろう。しかし、そう言っている間にもヒナの絡新婦と首吊り幽霊の蜘蛛は組み合っている。互いの足を組んで、ギリギリと鍔迫り合いのように押し合っている。潰し合いを止めたいのなら、直接あちらに手を出すべきじゃないだろうか。そんな風に思っていると「もしもーし、聞いてますかァ?」と倉橋は呼び掛けてくる。しっかりと彼を見返せば、ニタリとまた不愉快な笑みを浮かべて。
「やめさせてもらえませんかァ。あのバケモノ、止めてくださいません?」
私に向かって、てんで見当違いなことを言ってきた。




