はばみわらうもの_4
さて、と汚れたズボンを軽く叩いたザックは首を回して上を見た。まだパラパラと小さな欠片が降って来ているのを避けるように、手で庇を作る。
「あっちはあっちで助けたみたいだね」
落ちてきた方を見上げれば、どうやら七央と達也でヒナを引き上げたらしく人影は一つもない。良かった、と安堵のため息がこぼれた。
「この建物、このまま暴れると崩れそうな気がしなくもないけど……まあ一発でヤっちまえば問題ねえか」
ぼそっと呟くと手を差し出してくる。繋げという意味かと思えば、腰を抱かれて引き寄せられ、そのままお姫様抱っこされてしまった。
「今度はなにっ? もう私からは何もしないし、ザックも何もしないでよっ?!」
「そんなに警戒しないで。俺と一緒に上がっちゃう方が階段使うより早いし楽だよ。少年もまだ上だろ? ちゃんとつかまっててね」
「またなの?!」
これ二度目、と言えば「三回目だよ」と彼は笑って、軽く屈むと一気に飛び上がった。まるでフリーフォールのようにぐんぐんと上がっていく。上がり切ったところで下に落ちるわけではないと解っていても、そもそもが昇っていくだけでも怖い。思わずザックにしがみつく。彼が笑いを零した気がした。
周囲が開けて少しだけ明るくなる。トン、と軽く屋上まで飛びあがったザックは、私を下ろすと前に出た。
目の前には、身動ぎ一つしない蜘蛛女と、ヒナの……生霊らしき姿。それから、ゆらりと立っているヒナ本人の姿があった。七央はそれらに対峙するようにこっちに背中を向けて立っていた。
「これはどーしたもんかなぁ。なあ少年。どうなってんのコレ」
屋上の光景を見たザックは、両指先を宙に滑らせた。彼の動きに合わせて、どこからともなく斧が現れることにだってもう驚きもしない。中空から現れた二挺の斧を左右それぞれに持つと数歩進んで七央の横に立ち、片方を肩に背負ってもう片方で目の前を指した。七央は正面を見たまま、だらりと垂らした手に銃を握っている。
「知らない」
「だーかーらぁ。少しは把握しとけよ」
どうして蜘蛛女は動きを止めているのか。
どうしてヒナは虚ろな目で立ち上がっているのか。
――達也は、どうして蜘蛛の糸に囚われているのか。
倉橋と狼みたいな子はどこに? 見回せば、今は二人して離れた場所で様子を眺めているようだった。目を爛々と輝かせる倉橋に対して、その足元にうずくまっている青年は、長い前髪で顔が半分隠れているのと口輪がつけられてることもあって表情が読めない。
「で? アレ、ヤっちまって良いのな?」
「なんでオレに聞くの」
「いつも返せだなんだ言うじゃねえか。ってかさあ、少年。お前、もしかして今マトモに戦えないとか言う?」
「…………」
「はァん? なぁるほど?」
「オレ、なにも言ってないから」
やっぱり七央とザックの会話の内容はわからない。ただ、その言葉と同時にザックは低く構える。ぐっと全身に力が入ったのが見えた。
「どっちにしろ。カナのこと傷付けたのなんてどうなっても良いよな」
トン、と蹴り出して狙うのは――
「ダメ――ッ!!!」
「っ!? はぁ?!」
急ブレーキをかけて止まったザックが、目を真ん丸にして振り返る。
「ヒナさんは! 駄目っ!」
「てか、元凶あの男と女だろ。だったら元から絶っちまえば」
「だとしても、人間に手を出しちゃ駄目!」
彼のいうこともわかる。それから、それが一番手っ取り早い方法だっていうのも理解できる。だけど、ダメだ。――彼を人殺しにはしたくない。
「……ああ、愛しの姫の命令なら。わかった、人間に手は出さない」
了解、とまたしてもウィンクした彼はヒナたちに向き直る。
「少年、ヒナって女捕まえといて」
「なんでオマエの指示に従わなきゃなんないの」
「それくらいしか出来ねえだろうが。少しは役に立ってみな」
行くぞ、と言われた七央は不機嫌そうな舌打ちで答えた。
「縛」という一声で放たれた弾丸がヒナの身体を捕捉する。さっき絡新婦に放たれた時は網状のもので包むだけだったそれは、今は七央の手に網から伸びたロープが繋がって、しっかりと捕まえられるようになっていた。それにしても、七央の細腕で捕まえきれるものなのだろうか……と心配になる。
一瞬で蜘蛛女の懐に飛び込んだザックは、真上に斧を振り上げその胴体を切り裂く。しかし、女の身体へ至る前に前方の足で止められてしまい、次いで横に振られた足に捉えられる前に飛び退いた。大振りに下ろされた蜘蛛の足がその身体に当たることはなく、隙間を縫ったザックに呆気なく切り落とされる。バランスを崩す蜘蛛が持ち上げた足に繋がっている達也の身体が振り回されていた。
邪魔だ、と吐き捨てるように言って、ザックはその蜘蛛の糸を切り離した。勢いで放り出される達也の飛ぶ方向へ行こうとすれば七央に腕を掴まれる。
「行ってもなにもできないでしょ」
怪我するだけだ、と言われている間にフェンスを越えていきそうになる達也が見える。手を伸ばしたところで届かない。ザックはもちろん、七央も助けてくれる気はなさそうだ。このままでは、落ちて死んでしまう――グゥ、と強く絞まった喉が鳴る。
そこに飛び込んだのは動物のような影で、達也の身体を空中でキャッチすると倉橋の元へ屋上を滑らせた。自分の方へ来た達也を身体を捻って避けた倉橋は、壁に激突して呻いた男の顔を覗き込む。
「本当に、これのどこがそんなに好いんでしょうねェ」
かくん、と首を傾げて、そのままに私を見る。
「どこが良いんですかァ?」
助かった、と腰の抜けた私は安堵から崩れ落ちるばかりで答えられない。深く息を吸って気持ちを落ち着かせて倉橋の顔を見れば、なぜか楽しそうに粘り気のある笑みを浮かべ、猫のように目を細める。なに? と怪訝そうな顔をしてしまった私に、なおもニタァァっと唇を左右に引き上げて達也を指さした。
「この方、貴方のですよねェ? くふッ、んっ、ということは、ハはッ、持ち主にお返ししなくてはいけませんよねェ」
ンははっ、とまた引きつれたように笑った倉橋が指を鳴らせば、足元に戻ってきていたあの犬みたいな子が達也を掴んで目の前に来る。
「ん」と言って、座り込んでいる私の膝の上に蜘蛛の糸で縛られたままの達也を落とした。




