はばみわらうもの_1
シャァァァアァ!!
絡新婦が咆哮を上げ空気が震える。影に覆われる。飛びかかってくる。プレッシャーが押し寄せる。
――殺される……!
身体中に力が入って呼吸も出来なくなる。なんでこう、連日命の危機に直面しなければいけないのか。なんて、思うのもこれが最初で最後だ。
「カナ姉! ッ、おい! テメェ退けって! 早く!!」
七央、本当にゴメン。嫌なもの見せることになって、本当にゴメン。助けられなかったとか、思わなくて良いよ。こんな私に、ただ幼馴染だってだけで、命がけで助けてもらう理由なんてなかったんだから。
頬を熱いものが伝って、身体を毛むくじゃらの足で一突きにされる――覚悟を決めた。
「……なぁ……次はただじゃおかない、って言ったよなぁ……?」
ゴトン、と重いものが落ちる音と同時に低く響いた声。この、声は――
「ヒッ……あ、っ、な……んで……」
ゆっくりと開けた視界に、今にも飛びかかってこようとしている蜘蛛。その蜘蛛の上から、知っている顔が覗いていた。でもそれは、ここにいるはずのないひとで。
「守るって言ったでしょ。忘れちゃった? それから、来るの遅れてごめん。怖い思いさせたね」
怪我はない? と優しく安心させるような笑みを浮かべている彼は、そのくせ絡新婦を踏みつけるようにその背に乗りかかり、女の髪を掴んで乱雑に引き上げている。自分よりはるかに大きな蜘蛛の動きを片手で制している。その手に握られている斧で、蜘蛛は足を一本切り落とされていた。
「ンだよ、この姿。人間辞めたの? あんた」
うわぁ、とヒナの顔を覗いたザックは顔を盛大に歪める。また助けられた、とその場にへたり込む。助かった、と安堵から視界がまた歪んでいく。
ひっく、と小さくしゃくりあげれば、気付いた彼は「あー」ととがめるような声を上げた。
「姫、駄目だよ。今両手埋まっててその涙拭えないからさ、泣くのちょっと待って。ちゃんと俺の胸で泣いてよ」
「……バカ……ッ!」
涙を拭って言い返せば、へらっと笑い返してくれたザックは改めて屋上を見回し、そこにいる面子を認めると物凄く嫌な顔をした。
「げぇ。少年はともかく、なんだよお前らまでいんの? てかこれ、そこの白いあんたの仕業か」
げんなりした調子で投げかけられた倉橋だが、反応はない。まるで蜘蛛の上には何もないかのように、興味のなさそうな顔で階段の入り口脇に立っている。その口調から察するに、七央だけじゃなくてザックも倉橋を知っているようだ。
「はい、無視ね。知ーってるよ」
鼻で息を吐いて、絡新婦に乗ったザックはヒナの顔をした女の上半身の背骨が折れそうなほど後ろに引く。バギッと嫌な音がしても力を緩めない。
「でさぁ? 彼女に手ェだすな、って話。覚えてんだろ。つーかコレ、俺にヤられたいってことでオーケー?」
彼は髪を掴んだ女に顔を寄せ、耳元に囁く。恐怖を覚えたのか、限界まで絡新婦の目が見開かれる。その反応に少しだけ気を良くしたのか、放っていた殺気を引っ込めたザックは、屋上に押し倒されたままの七央の方へ顔を向けた。
「んでぇ……少年がついてながらなにやってんの? よく見たらカナ怪我してんじゃん。なにやってんの本当に。ふざけんなよ。後でツラ貸せ、このド阿呆」
「うるさい。遅かったくせに」
「はぁぁぁあ?!」
ザックは目をカッと開くと大きく息を吸い込んだ。
「お前のために来たんじゃねぇよ。なんで少年に言われなきゃなんねぇの? そういうのは姫に言われたい。遅いっでも来てくれるって信じてた! って潤んだ目で胸に飛び込んできてくれたら最ッ高。って、んな話どーでも良くて。俺が来たのはカナのためだっての。仕事中だったからさっさと切り上げて、しかもマリー撒いてくるの大変だったんだからな。つか後で絶対に怒られる。埋め合わせしろって言われる。クソ面倒臭ェ! しかも階段に二人ばかし人間転がってるし。アレもカナの知り合いだったら放置できないから車ンとこまで運んでさぁ! しっかも一人は男だぞ。どーして俺が男なんて抱きかかえなきゃなんねぇの? 最ッ低。なーんでこの俺がそこまでやってやんなきゃなんねェんだよ! なぁッ?!」
苛立ち全開でまくしたて、斧を持った手でガリガリと頭を掻く。はぁ、と肩を落としながらため息をついて、眉を下げた情けない顔で私を見る。
「カナー、あとで褒めて。めちゃくちゃ褒めて。恥ずか死にそうになるくらい褒めて」
「へ? 褒め……?」
「ん。じゃあ、ご褒美も待ってることだしさっさと終わらせるぞ、少年!」
「オレ動けないの見てわかるだろッ」
褒めるだなんて言ってない、という私の言葉を無視したザックは、手斧を空高く放り投げると片手でジャケットのファスナーを勢いよくおろした。絡新婦を蹴り飛ばすように放して、脱いだ服は私の方へ投げる。
「預かっててね」
「え、あっ、うん……?!」
見事なウィンクの直撃を受けて、ばさっと頭上に振ってきたジャケットに残る彼の香りに包まれてしまえば、冷えていた身体に一気に血が巡りだす。バクバクと苦しいくらいに胸が鳴る。
空中で斧を掴んだザックは、落ちてくる勢いで絡新婦を真っ二つに叩き切った。女の上体と蜘蛛の身体が切り離される。
「ごめーんね、女だろうとなんだろうと、ちょっと簡単には死なせないよ。俺のこと怒らせたあんたが悪い」
唇を舐めるとギラリと瞳を光らせ、大振りで何度も女と蜘蛛の身体両方に悪戯に傷を増やしていく。ゴロゴロと転がる蜘蛛は反撃すら出来ずに足を丸く折り曲げる。それは致命傷にはならないようなものばかりで、ザックの攻撃のすべてはそれを倒すことよりも苦しませることを目的としていた。




