ナリイズルモノ_3
背中から蜘蛛の足を生やしたヒナは、達也を閉じ込めている黒い球状の檻の上部で丸まったまま動かない。七央は私になにもするなって言ったけど、このままじゃ二人とも危ない。
「達也――ッ!! ヒナさんッ!」
声を張り上げるが、彼らは気を失っているのか、ピクリとも反応しない。この声に反応したのは幽霊だった。私たちに背中を向けた状態でこちらに一八〇度首だけ回して睨みつけてくる。強く噛みしめる歯茎から血が滴るのも構わず、忌々しそうに顔を歪めた。
『カレハ ワタシノ……』
「……がう……!」
『コノヒトハ ワタシノダカラ』
「ちがう、わたし、の」
言い返したのは、私ではなくてヒナだった。蜘蛛の足が、達也を覆うのをやめて広がる。ゆっくりと広げられ、彼の姿があらわになる。ヒナのことが見えていないのか、女は嬉しそうに笑って達也を抱き締めようとして――間近に迫った瞬間、二本の足に貫かれた。
『グ……ガッ……アァアアァアァァ!』
足の長さだけ強制的に引き離される。胸と腹を突き抜けた足を外そうと女がもがく。胸に刺さる足を両手でつかんで引き抜こうとする。じたばたと足がヒナを蹴ろうとするが、届かない。続けて右肩を抜かれて悲鳴を上げる。さらにもう一本、女の顔面を狙って蜘蛛の足が振り上げられた時、つまらなさそうな声が聞こえた。あまりにも場にそぐわぬ声に、信じられない思いでその人を見る。
「何か足りないんですかねェ? あれじゃ蛹化不全みたいなもんで……おやァ失敗ですかねェ、脱げませんか」
あごを撫でて首を傾げた倉橋は胸元を探ると銀色の小さな笛を取り出して咥える。なにをするつもりかと見るが、なにも起こらない。なに……?
「またテメェ余計なことを」
ガチャ、と音がして七央が銃を構えた。
「レベル1戦闘許可。破」
言うなり倉橋の頭目掛けて弾丸を放つ。しかし、どこからか疾風のようにやってきた黒い塊が弾を弾いて、そのままの勢いでフェンスに向かった。ピンと頭上に立つ大きな獣耳、尖った鼻先。まるで狼のようなフォルムのそれは、今また飛び降りようとしていた男の霊を掴んでヒナたちに向かって放り投げた。
反射的に蜘蛛の足が男を捉える。女の霊の意識もそちらに取られた。
遠吠えするように啼いて戻りすがら、まだ転がっていた達也の襟首を掴んでとんでもない速さで戻ってくると、彼を私に向かって投げた。
全身で止めようとして受け止めきれず、背中から壁に強く打ちつけられる。
「ぐっ……!」
強く打ちつけられて呼吸が止まる。カハッ、と咳をすると歯で切れた口の中から血の混じった唾液が飛ぶ。口元を拭いながら浅い呼吸を何度かして痛みを逃し、抱き留めた達也の顔を覗けば気絶しているようだった。
「達也、達也!」
こういう時は頭を揺すってはいけないんだったかしら、などと余計なことが浮かぶ。何度か声を掛けると、ゆっくりと瞼が開いた。私を認識すると、ハッとしたように身体を起こして周囲を見回す。
「ヒナ……ヒナは?!」
「ヒナさんは」
あっち、と視線で伝える。彼女の身体の前では、足に刺さった二体の霊がもがいている。蜘蛛の足を生やしたヒナ自身の意識はまだないようにも見える。
「ちゃんと成ってもらわないと困るんですよォ。聞こえてますかー、もしもーし、日向さぁん?」
笑い混じりの声で倉橋が言う。その足元に、さっきの黒い狼が座り込んでいた。
――いや違う。
よく見れば、それは人……の形をしていた。性別はたぶん男。
長い前髪で目元はほとんど見えない。狼の耳に見えたものは、服のフードについている耳のような装飾だ。口元には何故か犬がつけるような口輪をしている。その低い姿勢は威嚇する犬そのもので、倉橋に銃を向けたままの七央を警戒するように低い鳴り声を上げる。
「足らないならそれも喰ったらどうですかァ? その女の方、それもたいぶ他のを喰ってるようですからねェ。貴方を満たせるかと思いますよォ」
倉橋は全くこちらを気にする様子もなく、ヒナに捕まえている霊を食べろと言う。その声にうながされるように数本の蜘蛛の足が形を変えて、逃げようとしている二体に触手を伸ばしていく。ギャァァ! と耳をつんざく断末魔の悲鳴を残して幽霊たちは影に飲み込まれた。
「さぁて。ちゃんと成りますかねェ。クフッ、ふ、ふふ……」
揉み手をするように目を輝かせた倉橋が呟く。
ドクン、と大きな鼓動が聞こえた。
空気を振動させたそれは、ドクンドクン、と一定のリズムを刻む。
音の発生源はヒナだ。一拍打つごとに蜘蛛の足が大きくなる。蛹から成虫が孵る時のように、彼女の華奢な身体から抜け出そうと身をよじらせる。
「ヒナ! おい聞こえるかっ、ヒナッ!」
「駄目、達也行っちゃ駄目だって!」
今にもヒナに駆け寄りそうな達也を必死で抑える。それでも、男の力に敵うはずもない。私の声など聞こえていない。ヒナしか見えていない達也に振り払われて、また身体を壁に打ち付けられる。
痛む身体を抱えながら薄目で見れば、ズルリと大きな蜘蛛の姿が現れるところだった。駆け出した達也に気付いて伸ばした七央の手も届かない。彼は屋上に叩きつけられる寸前のヒナを抱き留める。
その図は、まるでヒーローとヒロインだ。頭の中がぐちゃぐちゃになる。何を見せられているのか理解できない。すべての事象が、私の理解を超えていた。




