長い夜_1
二階最後の部屋。
人影を見かけた部屋。
皆が部屋に入っていく。
ひとりだけ足がすくんだ。
この部屋には、なにもない。
他の部屋にもなにもなかった。
不自然なくらい二階は空っぽだ。
そう思うのに部屋に入りたくない。
嫌な予感に、プツプツと鳥肌が立つ。
ヒナの背中がドアの向こうに消えてく。
七央は、どうするのという顔で振り返る。
次の瞬間、部屋の中から大きな悲鳴が響いた。
「キャァァアアアア!! いやぁっ! なにアレ!」
建物中に反響するくらいの大きな声。七央が部屋に駆け込む。
こわばる足を動かして覗き込むと女の子達が床に座り込んでる。
耳を塞いで顔を伏せて、ソレから視線を逸らすように腰を抜かす。
彼らの視線先、奥にある椅子が、キイキイと音を立てて回っていた。
視線は下。回る椅子を信じられないような顔で見つめる達也達四人と。
視線は上。カーテンレールにぶら下がった影を黙って見る七央と私。
あれは、首を吊ったアレが椅子を蹴った反動で動いているのだと。
理解した瞬間、足元から一気に毛が逆立つような感覚を覚えた。
「カナ姉、逃げるよ」
「七央?!」
「達也さん! 部屋出ましょう」
へたり込んだ私の腕を掴んだ七央は、もう片方で立ちすくんでいる達也の腕を引っ張る。ハッとしたように七央を見返した達也は――呆けた顔を見せたかと思えば、ニヤァっと嗤った。
「達也さん?」
「なに? やっぱ、七央くん怖いんだ?」
ぐふふっ、と笑い声を漏らす達也の表情が醜く歪む。
「肝試しじゃん。上出来ィ。これ、ポルターガイストとかってやつだろ? ってことは、どこかに幽霊がいるってことだ。だったら見てみたいよ。なあ?」
ニヤニヤと彼は続ける。真後ろに、ブラブラとワンピースの裾から裸足の足が揺れているというのに。
それの前で、幽霊はどこだと挑発する。
「あ、ああ……」
青い顔で達也の友人の男が頷いて、半泣きになっている女の子達に大丈夫かと声を掛ける。
「ははっ、これ、本格的じゃね? ゲームとかなら、この辺りで音が……」
バンッ! とガラスが叩かれた。あまりにピッタリなタイミングに全員が口を閉ざす。
ビクッと怯えた女の子達が抱き合って震える。何の音だ、と達也たちは目を丸くして部屋を見回した。
ああ、何で見えないの。達也の後ろで、苦しそうにもがいているのがいるじゃないか。
後悔しているのだろうか。振り乱された髪の間から見える血走った目が大きく開かれて、首に食い込む縄を外そうとしたのか腕を持ち上げようとする。カノジョが暴れるたびに、身体が窓に当たって鳴る。いちいち悲鳴を上げるヒナたちがうるさい。ヤバイ、と半笑いになっている達也を部屋から出そうと七央がまた腕を引っ張った。
「達也さん、帰りましょ。もう良いでしょ。これだけ見たら満足したんじゃないんスか」
「だからぁ、肝試しだって。これ、みんなに話したら面白がられるぜ。すげえ!」
珍しくはっきりとした声でまくしたてる七央を見て引きつった笑いを上げた達也は、軽くあごをあげて見下すような表情になる。
「俺は怖くねえから、もうちょっと何か起こるまでここにいる。あ。そうだ。なにか写るかもしれないから写真撮ろうぜ」
いえーい、と場違いな声で、強引に七央と肩を組んで。
あろうことか、真後ろの吊られた女の人を背景にして。
達也はスマホで写真を撮った。
「七央くんも伽奈も怖がりすぎ、って、あーやっぱりなんにも写らねえなあ」
画面を確認しながら楽しそうに達也が言う。
自分の友達の前で私たちをこき下ろせるのが愉快でならないのだろう。私はともかく、七央まで馬鹿にするなんて。この小さな震えが怒りなのか、それとも目の前で起こっている事象に対しての恐怖なのかわからなくなる。
達也の後ろで、徐々に動きを無くした女性と思しき霊の首が伸びる。クズクズと全身が膨らんで肉が溶けて、落ちて、関節が耐えきれなくなって手足がボトボトと、首が身体を支えられなくなって――ドサリと落ちる。
息を呑んだ私をどう思ったのか、達也はまだあざけるように笑っている。
視線を肉と骨のばらける床に移せば、それらがモゾモゾとそれぞれ意思を持った生き物のように集まっていく。大きな塊になって、徐々に形を変えていく。
それはまた、女の姿になった。
「どうする? もう少しこの部屋でなにか起こるのを待つか、それとも屋上いく? 飛び降りしたヤツが延々と自殺繰り返してるらしいぜ」
自殺者の霊は、死の直前を繰り返すとか確かに聞いたことあるけど。ならば、この女もまた……?
達也の後ろにゆらりと立った女の霊はゆっくりゆっくりと顔を上げていく。
のんきにこれからのことを相談しているすぐ近くで、顔を上げ切ったそれが達也を視界にとらえた。
『あぁああああああああああ!!』
地の底から響くような声に耳を塞ぐ。横目で霊を見た七央が小さく舌打ちした。
「お姉さんたち」
女の子の前で格好つけたがっている風の男性陣では、らちが明かないと思ったのだろう。七央は説得相手を変える。
「帰りたくないですか。オレ、そろそろ帰りたいんスけど。もう充分見ましたよね。帰りましょう。あの椅子回ってたの、ちゃんと霊現象じゃないッスか。もういいでしょ」
帰ろうと七央はくり返し、困ったように顔を見合わせる女の子達に聞こえるように「七央くん必死すぎね?」と達也はまた嗤う。
「オバケとか信じてるの?」
「……別に……」
「じゃあ怖くもないだろ? もう少し付き合ってくれよ。な?」
そういうことじゃない、と顔をしかめた七央は私の隣に戻ってくる。女の子達も、七央の慌てたようにも見える様子がおかしかったのか、口元だけわずかに緩めていた。
「だから、こういうところに遊び半分で来るんじゃないって言われてんのに……」
イライラと左手の親指と人差し指の先をこすり合わせた七央は、ふとなにかを探すように左右を見た。
「どうしたの?」
「いや、今なにか音が」
「なにも聞こえなかったよ」
彼の方を見ると窓の方に左耳が向く。すると、どこかからヒュウウと音が近付いてくているのに気付いた。瞬いた私に七央は頷いて、達也の後ろに立つ女の向こう、窓の外を見た。
つられて視線をやれば。
窓の外を、上から下へと。
それが何なのか認識できる速度で落ちていく。
驚愕に目と口を限界まで見開いた若い男が真っ逆さまに。
とんでもないスローモーションに見えたそれと、目が合った、気がした。
――屋上から飛び降りたひと。
ああ、いやだ。指先が冷たくなる。
達也に触れそうなほど近くに女の霊が。まだなにか、なにかを言ってる。
七央は「ここにずっといるくらいなら、帰ってゲームしたいんスけど」なんて言うけど、誰も聞いてくれない。
『……ナ……デ……ネェ…… タシ……テ……イデ』
女の霊は、達也に向かってブツブツとなにか呟いている。ズルリズルリと足を引きずって歩く。背後にピタリと寄りそって顔がくっつくほどに近付いて、何とも幸せそうに笑った。
ゾワッと鳥肌が止まらなくなる。
『ミィツケタァァア……!』
女は、ふわりと抱き着くように腕を広げる。達也は気付いていない。嬉しそうに笑った女の手か達也の首に回る――




