覗き込んでくる非日常_1
なんだかちょっとチクチクした雰囲気の七央とアンディを二人で残してきてしまったことを気にしつつも、仕事はやらなければならない。「先生」の顔を作って、今日最後の授業を終える。
「はい。じゃあ今日はここまで。なにか質問があったら来てね」
最後の挨拶をして後片付けをしていると、珍しい生徒がやってきた。普段はあまりやる気もなさそうにぼんやりと授業を聞いているだけ。多分親御さんから無理強いされてるんだろうな、というのが見え見えの子。
――この子も質問なんてしにきてくれるんだ。
少しの感動と共に迎えると、開口一番彼はこう言った。
「あのさ、カナちゃんさ」
「……小南先生」
「カナちゃん先生さ」
どうにも私から全体的にただよう雰囲気のせいか、童顔なせいか、こんな感じで生徒たちから軽く見られがちだ。ここでも多くの生徒から「カナちゃん先生」という呼ばれ方をしている。何度苗字に先生をつけて欲しいと言っても受け入れてもらえない。
逆を言えば、友達感覚で何気ない相談とかをしてもらえるというのは利点だとも言える。しかし、塾の講師が彼らの悩みに深く寄り添うことは難しい部分もあって。結局は彼らの悩みを知っていても、手をこまねいてしまうことが多いのがなんともストレスだったりする。
――これは、もしかして、悩み相談かしら。
改めて様子を見れば、彼は手にドリルもプリントもノートも持っていない。なんの相談かと身構えた私に対し、その生徒の口から出たのは予想外の言葉だった。
「先生、○○町五丁目にある、廃病院、解る?」
「……えっと、○○町五丁目? っていうと……ああ、うん。アレかな」
それは、私が学生だった頃から地元の有名な心霊スポットだった。夏になると、肝試しに出かけようとして親から怒られていた友達を何人も知っている。今現在はそういう場所にありがちな荒らされ具合で、そこにたむろするような若者もいて治安の悪い状況だという話を聞きもする。そうなると、幽霊よりも人間が恐いという噂なんてのもあって、どちらにしろ近付いて良いことはない場所だと認識している。
「そこにさ、本当にオバケが出るんだって」
内緒話をするように声をひそめた彼の表情は、冗談を言っているようには見えない。しかし。
「オバケって」
それを聞いた私の表情は引きつっていただろう。今、そういうオカルトチックな話は聞きたくないのだ。オバケなんて言われたら、どうしてもあの顔を思い出してしまう。あの声が耳の中で響いてきそうになる。沸き起こる恐怖を上手くごまかせなかった私の顔を見て、彼は口角を少しだけ上げた。
「俺の先輩がさ、見たんだって。それで、家にまでついてきちゃったらしくて。お祓いに行ったみたいだよ」
「なんで私に言うの?」
「怖くない?」
怖くないだなんて言えない。だって、私はそういうものを実際に見てしまった。怖い体験をしてしまった。幽霊なんていないと否定することができない。だから、もしかしたらこれも本当の話なのかも、なんて思ってしまった。
でもまずは大人として、そういう場所に不法侵入などしてはいけないと注意しなければ。先生の顔を作って忠告しようと口を開いた私よりも早く、彼の声が誰も居なくなった教室に響く。
「そういう話もあるからさ……カナちゃん先生」
絶対に行っちゃ駄目だよ。
その生徒は、何故か私に対してそんな忠告をしてきた。
――もう、嫌な話聞いちゃったなあ。
電車に揺られながら憂鬱な気分を隠せない。
一人暮らしということは、夜は家に自分だけということだ。誰もいない。帰りたくないからと言って急に誰かの家に遊びに行くわけにもいかないし、そんな相手もいないし、一人で夜遊びする気分でもない。
しかも、今から帰らなければいけない家の中であんなものを見てしまって名前を呼ばれてしまって。
それをしっかりと思い出させられた。
――帰りたくないなあ……
改札を出たところで足が止まってしまう。ご飯、とりあえず外で食べようかな。なんとか家にいる時間を短くしようとする。
どこに行こう、とロータリーを見回す。あっちに行くとこじゃれたレストランがあって、こっちには、気軽に入れるチェーン店の、などと考えていると
「カナじゃなーい! ここでなにやってるのぉ?」
突然、がばっと背後から抱きつかれた。しかも背中には非常に柔らかいものが当たっている。声と体格からして女性だ。しかしこれだけ気安い行動をとってくる相手が誰なのか、とっさには判断がつかなかった。
こんな風に抱きつかれるなんて高校以来のことだ。誰? と振り返った私は、そこでニコニコと笑っている顔を見て悲鳴を上げた。
「きゃぁぁぁぁッ?!」
「なによぉ、オバケでも見たような声出して。こんな美人相手にヒドいと思うわ」
ぷぅっと頬を膨らませたのは、ザックの彼女だった。




