妃殿下は、見てしまった。
置き時計の報せに、私はため息をつく。詩集を膝に置き、私は時計に目を向けた。
秒針が一回り、二回りと数を増す。誰も迎に来ないって。どう考えても変よね。
ひょっとして、もう用済みになったのかしら。秒針を追いかけるのも、すっかり飽きてしまったわ。
こんな時こそ、やるべきはただ一つだ。
――ギギギィー。
右左確認よし。通りすがりのメイドすら、全く見かけない。
こんなこと、今まで一度もなかったのに。
忍び足をゆっくり伸ばす。私は別館を目指して、長い回廊を歩き始めた。
「あっ。真っ暗……」
扉を開ければ、別館の窓から灯がほとばしる。でも、途中の小径は、宵闇に埋もれて見えない。
大人しく、自室へ戻るしかない? 迷いながらも、踵を返そうとした時だった。
「そのような真似など、出来ようがございません」
噴水の方から聞き覚えのある声が漂う。
「スーザン?」
相手にこちらの動きを、悟られないように近づく。なんて無理な相談だわ。
行く行かない。迷いあぐねる私の耳に、
『ボクに任せなよ』
キューピッドさんがささやいた。
『オカルト現象』なんかではないよね。
「ウソ」
ほんわか輝く掌を、グーパーグーパーで確かめる。
『少しの間だけなら、君の姿は見えなくなるよ』
「そうなの」
おっといけない。誰かに見られてはいけないよね。
信じられないことに、『夜目』もバッチリ利いている。水しぶきが風に揺らめく方へ。
私は楚々とした足取りで進んだ。
「これを使って妃殿下を」
「あのお方を、裏切れとおっしゃるのですか」
えっ。副団長がスーザンに、拳銃? を渡すってことは、私への暗殺を企んでいるのかしら。
押し問答の末、スーザンが拳銃を受け取る。
「戻るんだ。スーザン」
副団長に諭されて、スーザンがこちらにやって来る。すれ違いざまに見た彼女の横顔に、一筋の光が伝う。
「我々の目的完遂に暗殺は必用なのだ」
聞き伝えならない言葉に、私はその場から動けなくなった。
「アナベル」
「殿下?」
「こんなところにいては、いけないではないか」
殿下と唖然しながらも、優しい声で忠告する。いつの間にか魔法が解けたのだろう。
ランタンを持つ家令に誘われて、殿下が私に駆け寄って来た。
「申し訳ございません」
淑女の礼で詫びを入れる私の肩を、殿下の長い腕が捉える。
「何もないな」
「はい」
殿下のご様子から察して、あの二人の裏切りを知らないかもしれない。
「こんな所にいたら、風邪をこじらせてしまうかもしれない」
「はい」
甘いささやきに、私は短く答えた。
「どうしたのだい」
「いいえ」
不埒な企みを聞いてしまえば、自らの頭をふるしかない。ヒューと唸る夜風に、一瞬だけ裾裳が舞い上がった。
「兄上を待たせては、申し訳が立たない」
「左様にございますわね」
普段通り、私は殿下のエスコートを受け入れる。風に足元を取られそうになりながらも、私は殿下と歩調を合わせた。




