レセプション前の、ザ・美容タイム。
「妃殿下」
トレーシーの目配せを受けて、メイド達は横一列に並ぶ。
金だらい、リネン類に、ほのかに漂う、アロマポーションの香り。まさかまさか……。
「最後の仕上げにございます」
いつもの拷問……もとい。美容タイムの始まりね。覚悟を決めた私の肩に、ふわりとリネンが落とされた。
「それでは、女官長もそちらへ」
「ええ。って、ウソでしょ」
スーザンの手引きにて、トレーシーが私の隣にやって来る。
「私はいいのっ」
しどろもどろの抗議を、スーザンがなだめすかす。
おっかなびっくり、椅子に座るトレーシーを横目に、
「フフフフ……さあ、我慢くらべを始めましょう」
私は余裕を見せつけた。
「ぬぬぬぬ」
ふー。今日のマッサージ。いつもより、随分とマシな塩梅じゃないかな。
好奇心から隣の様子を伺うと、
「ヒヒヒヒヒィーーー」
痛みに悶絶するあられもない声が木霊する。
うん。トレーシーったらドンマイよ。これも、殿方に愛されるため試練だと、年貢を納めなくちゃね。てへぺろ。
「はーはーはー」
「大丈夫? 女官長のお化粧を直してあげて」
「はい。妃殿下」
頼んだついでとばかり、私も頬紅を添えてもらう。メイドが持つ鏡に映る姿に、うっとりと魅入ってしまった。
「妃殿下。お時間にございます」
「ええ。行きます……貴女、本当に大丈夫なの」
「申し訳、……ありません」
「お水。欲しい?」
「お気遣いなく妃殿下」
代筆作業時の猫背がたたったのか、かなりの血行不良なんじゃないかな。おっと。かく言う私も、似たようなものだから気をつけないとね。
「さあ、参りましょう」
誰からともなくついて出た言葉に、みなが一斉に動き回る。控えの間を抜け出して、私達は人気の失せた回廊に入った。
案内役を追う私の目に、ぽっかり空いたむき出しの壁が映り込む。
あれ? あの絵画が外されたのか。
トレーシーの叱責を浴びる前に視線を戻せば、
「アナベル」
暗がりに佇む殿下よりお呼びがかかった。
「はい」
殿下のエスコートに身をゆだねた直後、背後から届く男女のおのろけが。
「あの二人」
「ええ」
私達は小声で笑い合った。
「行こうか」
「はい」
静けさを称える大広間を、私達はまっすぐ歩いて行く。スピーチ用にあつらえた台の上から、私は列席者の面々を見渡した。
殿方の邪魔にならないようにと、私は数歩ばかり引き下がる。トレーシーが私の側に立った直後、殿下のスピーチが始まった。
「この晴れがましい舞台のために、研鑽に励む君達に向けて、我々は心から祝辞を述べたい……」
胸元に花飾りをつけた特待生らは、感動のあまり涙ぐむ。大勢の人々が見守る中で、殿下はテンポよくスピーチを進めた。
普段より低めの声色に、私はうっとりと聞きほれてしまう。おっといけないわ。殿下がスピーチを切り上げて、さっそうと私の隣に戻られたじゃないの。
羞恥心から下を向く私の隣から、
「ステキ……」
場違いなささやきが耳に届く。
空耳かしら? 声のする方に視線だけ送ると、今まで見たことのないトレーシーの呆けた顔が。
「彼女。随分と兄にゾッコンだね」
「はひ」
面を上げた先では、殿下と入れ替りでスピーチに立つ先王陛下の姿があった。
『塩対応』なトレーシーだけど、恋する時は普通の淑女だったのね。
「兄のスピーチの後は、私と一緒に挨拶回り。分かったかな」
頭上をかすめるささやきに、
「心得ています」
場をわきまえた上で答える。
先王陛下が踵を返す。こちらへと戻られると同時に、私はかすかに頭を垂れた。




