幕間 英雄殿下は帰りの汽車にて、不遇の真ん中令嬢の寝顔を堪能いたしました。
フロワサールから王都への帰路、私は一枚の羊皮紙を手に取る。不慣れな揺れ具合に、紙に並んだ文字列が頭に入らない。
気分転換とばかりに、私は首だけを横に傾ける。スーッと流れる車窓の先では、茜色の雲がおびを引いていた。
「ひいおばあちゃん……」
向かいの寝台にて、愛しい人の慎ましやかな声がこぼれる。正式な婚礼を終えていない故に、本来ならば私達が同室で過ごすことなど許されない。
ここで一つ、言い訳をさせてくれ。
もしも、何者かに彼女を奪われたら、私は何をしでかすか分からない。その邪念がどうしてもぬぐえず、私は王都まで夜通し走るように命じた。
アナベルから離れられない、そんな私を咎めるように。
――ピンコーン……。
内ポケットの懐中時計が存在を示す。
「全く」
笑顔でまどろむ彼女から、取り出した時計の蓋裏へと私は視線を移した。
『そろそろ、別室にお戻り下さいませ』
鏡の先に映るスーザンの注進に対して、
「分かっている」
私はため息とともに答えた。
もう少しだけ、ここにいてもいいじゃないか。
私の心情に察しをつけたのか、
『明日の朝の六時まで、辛抱して下さいませ』
スーザンからの追撃を食らう。
くっ。妙齢の彼女に留守を任せるのも、そろそろ限界か。
苦笑いを浮かべつつ、私は真下の針を見下ろした。
「それよりも、あの神官と宰相の関係はつかめたのか」
『そのような報告は、まだ、承っておりません』
あのタヌキめ。そう簡単に、しっぽを掴めさせやしないか。
「仕方あるまい。それと、もう一時間だけ待ってくれ」
『殿下?』
「これは、上司としての命令だ」
口を尖らせるスーザンとの通信を遮るべく、私は時計の蓋を静かに閉じた。
この羊皮紙にも、ここ数年で山繭の人口飼育維持が不能だとある。
「確かアナベルは……」
密輸して植樹した桑の木が、土砂災害で全滅したから。などと申していたな。
「この件は一旦、打ち止めに」
「殿下? ご……」
「アナベル」
あわてて飛び跳ねる姿が、何ともいじらしいではないか。見れば見るほど、仔猫みたいだな。
「申し訳……」
「いいよ。アナベル」
顔を真っ赤にしながらうつむいて……。その眼差しで見つめられたら、私は理性を保てなくなるではないか。
そう思う間もなく、彼女はストンと寝ついてしまう。どうやら君はまだ、私の欲望に気づいていないみたいだな。
「まあ、仕方ない……」
扉の外側を叩く音に、私は彼女の側に歩み寄る。そっと、上掛けを整えると、彼女の額にキスを落とした。
名残を惜しむように、
「よい夢を。アナベル」
彼女の耳元でささやく。
「殿下」
「分かった」
スーザンに席を明け渡そうと、私は重い腰を上げた。
第四章の終了です。
第五章と第六章は、先行版と話数を並べ替えになる予定です。




