幕間 意外なことに英雄殿下は、ビビリでヘタレだったりします。
私からの提案を、アナベルが承知してくれてとても嬉しい。すれ違いばかりの前世では、ついぞ手を、取り合うことがなかったからだ。
ダンスの前に私とアナベルは、大広間の中央へと歩む。向かい合う私と彼女が、先人達の風習に従い礼を取った。
優美な音楽が流れている訳ではないが、私達のワルツが始まる。少しばかり覚束ないステップに苦慮するアナベルが、はにかむように微笑んだ。
周囲の悪意にさらされて、孤独の淵で歯を食いしばる。前世での姿とは違い、今世では涼やかな笑みを絶やさない。
恋焦がれた相手とのワルツに、私はすっかり過去の罪など忘れていた。
最後まで踊り切り、私への礼を怠らないアナベル。彼女が面を上げた瞬間、琥珀色の瞳に今までにない闇が浮かんでいた。
まさか、そんなはずはない。
私の動揺が呼び水となったのか、
「ジュリオ……さま」
アナベルの口から忌々しい名がつむがれる。
どうして、今さら……言葉を失う私を嘲笑うような、子供の声が耳元をかすめる。
ふと、脳裏に過去世での惨劇が過ぎった直後、目の前でアナベルが気を失った。
ダンスの講師から侍女は勿論、その場に居合わせたメイドに至るまで、私が抱き留めた彼女の身を案じてうろたえる。
「早く侍医を呼ぶのだ」
みなに号令をかけてすぐ、アナベルを抱えた私は大広間を脱した。
青ざめた顔のアナベルを起こさないように、ベッド上にそっと横たわらせる。彼女の身に、何が起きたのか。正直、私にも分からない。
「殿下」
「失念していたな」
もうこれ以上、男たる私に出る幕はない。彼女の身づくろいをメイド達にゆだねて、私はその場を離れる。駆けつけた侍医と入れ替わりで、私は妃の寝室を後にした。
王宮の本殿から別棟に続く中庭で、風に揺れる噴水のさざなみが響く。あてもなくさまよう私は天を仰ぎ見れば、遥か先でか細い月が白い光を放っていた。
まるで、あの折の……。うっ、どうしたのだ? 突如、襲う激痛にこらえきれず、私の膝が地に屈する。
「アナベル……」
意識が遠のきかけた耳元で、
「勘違いしないでよ」
あの子供の声がささやいた。
「誰だ」
死の汗で視界がにじんだ先に、あの異形が姿を現す。
「忘れたのかい」
名前など忘却の彼方へ押しやったが、羽のはえた赤子なら記憶に残る。いや、決して忘れることが出来ないが正しいだろうか。
「彼女は、キミが来ることを望んでいる」
彼女? そうか私はまだ、やり直しの継続を許されているのだな。
体の自由が利き始めるとともに、私の意識が現実と同調する。ゆっくりと、膝を立てた私の視界には、あの異形の姿はすでにない。
背後から、私を呼ぶ声が耳に届く。それに応えるべく、私は踵を返した。
「二度目はないよ」
いたずら小僧の声が、風に乗って過ぎ去る。おそらく、私の気のせいではあるまい。
「同じ轍を踏んだりはしないさ」
まとわりつく声をふり切るように、私は拳を握り締めた。




