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「え!? いいんですか!?」
「はい?」
あまりにもあっさりと承諾されたから、僕はすぐに信じられなかった。でも彼女は、笑顔で小首を傾げているだけ。冗談でもないようだ。
「改めまして、ラピスです。こっちの白くて尻尾が三つある子はキューちゃん。こっちの黒猫によく似た子はクロちゃん」
「あ、よ、よろしくお願いします。僕は谷野光っていいます!」
「光くん、二十歳かーよろしくねー」
年齢を言おうか迷っていれば、彼女が口にした。心を読まれたのだろう。全部筒抜けなのだろうか。
「あ。私は心を読めるけれど、大抵は相手が伝えたいと思うことをなんとなく把握する感じですー。強く念じると心の声が聞こえたりするのですー」
僕の心配を読み取って、ラピスさんは教えてくれた。念じると心の声が送れるのか。やってみたい気がしたけれど、実験的なことをするなんて失礼だと我慢した。
「僕はっ、その、生き物達の記録もつけようと思って、まだ一匹しか書いてないのですが」
「へー? あ、この子知ってます。駅ビルで寝てましたねー」
「は、はい!」
これから出会う生き物全ての記録をつけたいと手帳を震える手で出す。彼女もあの眠っている生き物と会ったようだ。
見せることになるなら、もっと綺麗な字を心掛けるんだった。
「それで……書いてもいいですか? クロ……ちゃんと、キューちゃんのこと」
「あ、はい! ぜひぜひ!」
ラピスさんは、喜んでくれる。
捻れた木に腰をかけて、早速手帳に書かせてもらった。もちろん、火を吹く生き物のこともだ。
その間、ラピスさんはじっと見てきた。大きな丸目に見られていると思うと、緊張でまた手が震えそうになる。それを堪えて、丁寧な字を心掛けた。
「この子達は……ラピスさんが飼っているのですか?」
「んー飼ってるわけじゃないんですー。世話されているのは私の方ですよー」
そう答えて、ラピスさんはキューちゃんと呼ぶ白い生き物を持ち上げて大事そうに腕に抱える。
「世界を変えた日、私が力を使い切って倒れた時にこの子が現れて、気がついた時にはラピスラズリがいっぱいある場所に運ばれてました。ビーフジャーキーみたいなあれも持ってきてくれたのです。ああ、私の力ってラピスラズリで回復するのですよー。力が完全回復するまでこの子達が守ってくれました」
ラピスさんの言葉に、ただただ驚いた。
やっぱり世界を変えるために力尽きていたんだ。世界を変えるほどの力を使ったのだから、無理もない。
そんな彼女を救った不思議な生き物を、僕は凝視した。仔狐によく似た白い生き物の目の色は青だ。その青がじっと僕を見つめ返してきた。見定められているような感じがして、威圧されているようにも思えてきてしまう。
キューちゃんなんて、呼べない……。
威圧的だし、ラピスさんの命の恩人とも言える生き物だ。さん付けにしよう。
クロちゃんと呼ばれる猫によく似た生き物の方は、にやけた顔のまま、自分も抱えてとおねだりするように、ラピスさんの足に擦り寄った。ラピスさんはキューさんを下ろしてから、抱えてやる。
僕と目を合わせたそいつは、羨ましいだろうと言わんばかりのニヤリ顔。気のせいだろうか。確かにラピスさんに抱きしめられるなんて羨ましい。ワンピースの上からでもラピスさんの胸が豊満だとはわかっているから、それが羨ましくないと言ったら嘘になる。押し当てられているみたいだから余計、ニヤリ顔が腹立ってしまいそう。
こんなことを考えちゃだめだ。切り替えよう。
「あの……どうしてこの世界を変えたのですか?」
聞いてみたかったことを、思い切って問う。
「ここで話すのもあれなんで、秘密基地に行きましょう」
ラピスさんは立ち上がって言った。
秘密基地? と僕は目を瞬く。
ラピスさんは、ただ笑って先を歩いた。
ついていくと、ラピスさんは裸足のまま楽しげに進んだ。コンクリートの道ではなく、てくてくと木の上ばかり歩いていった。その姿を見ているだけで、口元が緩みそうだ。
光の粒が撒き散らされた白い髪がふんわりと揺れる。それに誘われるように、キューさんもクロさんも後ろをついていく。
「なんで裸足なんですか? ラピスさん」
「えー? 気持ちいいからですよー」
裸足で歩いていると気持ちがいいらしい。
僕も今度試してみよう。
随分歩いて辿り着いたのは、公園に空いた穴。そこからまた木が伸びていた。ラピスさんは躊躇なく穴の中に入ると、木に触れる。壁のようになっていたそこが開く。太い蔦が、カーテンみたいに開いたのだ。
ラピスさんはまた躊躇なく入っていくものだから、僕は恐る恐る蔦のカーテンを潜った。洞窟のように仄暗い中をラピスさんが進んでいくと、不思議なことに灯りを持っているように仄かに光る。後ろのカーテンは閉じた。
ラピスさんに続いていくと、広間に出る。ラピスさんが上から吊るされた球体に触れれば、光が灯った。
広間には、真ん中には丸太のテーブルと椅子がある。壁際には机のような形をした蔦の塊があった。
「所々にこんな秘密基地があるんですよー。秘密ですよ? さぁさぁ、座ってください」
「あ。し、失礼します」
丸太の椅子に座ったラピスさんに言われ、僕も指された向かい側の椅子に腰を下ろす。
「何も出せなくてすみません。えっとなんでしたっけ?」
「その、世界を変えた理由です……」
「ああ、そうでしたー」
穏やかな笑みで手を合わせて、ラピスさんは頷く。
「世界を変えた理由は、この子達の声が聞こえたからです」
「声が……聞こえた?」
「はい。サイキックの力が覚醒してから間も無く、声が聞こえてきたのです。地中の深く下にある命から、出して欲しいって声が」
膝の上に乗ったキューさんを、ラピスさんは撫でた。
「それから私はサイキックの力を鍛えるために、様々なことをやりました。テレビに出たのは、ちょっと恥ずかしかったですが」
頭の後ろに手をやって照れ笑いするラピスさん。
納得する。だからサイキックとして、テレビでも名を馳せたのだ。
「十分な力が備わった私は、勝手に世界を変えました。そうしないと私に助けを求めていた声の主の命を救えなかったからです」
「……あの、生き物達の声のことですか。彼らのために、世界を変えたのですね」
「はい。勝手ながら世界を変えさせてもらいました」
ちょっぴり申し訳なさそうな笑みになった。
「あの、責めているわけじゃないです。僕は世界が変わって嬉しいです」
「それはよかったです」
ラピスさんは、柔和な表情になる。
僕は赤くなった。その顔を隠すために前髪を撫でて俯く。
「そのあと力尽きてしまいまして……倒れちゃったのですが、気が付いたら秘密基地のラピスラズリだらけの部屋に横たわっていてキューちゃんやクロちゃんに世話されてましたーって、それは言いましたねー」
「あ、はい、聞きました。守ってくれたのですよね」
本当にラピスさんを守ってくれてありがとう、と心の中でお礼を言う。まるで伝わったかのように、テーブルの上にいたクロさんが頭を下げた。上げれば、ニヤけた顔。
「コンクリートの下にあった命達が、芽吹いて世界が変わりました。私達はそんな生き物達を見て回っていましたぁ、まぁこっそり隠れてですけれど」
「探されてますからね、ラピスさん」
「戻せと言われても戻せませんので逃げています、てへへ」
おちゃらけて笑って見せるラピスさん。か、可愛い。
「あ、お花食べます?」
「は、はな?」
「はい。ドライフルーツのマンゴーみたいで美味しいですよ」
差し出されたのは、百合のように長く、そして薔薇のように花びらが重なった黄色い花。一枚捲ってラピスさんはそれを噛んで食べた。真似てみて、僕も一枚食べてみる。
ラピスさんが言うように、ドライフルーツのマンゴーに似ていた味。薄い花びらにギュッと果汁が詰め込められたような甘み。これまた美味しい。
「美味しいですね。こんなのもあるんですね!」
「はいー」
「本当に美味しい」
モグモグとラピスさんと一緒に食べた。
ラピスさんは、キューさんとクロさんにもあげて食べさせる。一緒にランチタイム。
なんだろう。彼女と食事をするなんて、落ち着かないな。緊張してる。
思えば、この人は世界を変えた超すごい人だ。
こうして対面出来たなんて、しかも一緒にランチを食べるなんて、奇跡みたいなもの。
大きな奇跡を起こした人だもんな……。
ハッと気がつく。沈黙になってしまった。
何か会話をしなくてはいけない。
「そ、そう言えば今日でちょうど三十日だそうですよ! 世界が変わってから!」
「あら、もうそんなに経ったんですねー」
のほほんと笑うラピスさん。
「君達とも、もう一ヶ月一緒なんだね」
そう声をかけては、キューさんの前足を軽く握った。
握手をしているその姿が微笑ましい。
「ニュース見てますか? 新世界に賛否両論です」
「いや、私は見ないようにしているのでー」
ラピスさんは遠くを見つめた。
見たくないものもある。見なくて正解かも。
あんな中傷的な言葉が、ラピスさんに刺さるのは嫌だ。
傷付いてほしくない。
「……」
「! あ、えっと……」
いつの間にか、僕にペリドットの瞳が向けられていた。
やばい。今の伝わってしまったかな。
視線を泳がして、見つめられていることにドキドキしてしまう。
ラピスさんは、ただにこっと微笑んだ。
「光くんは優しい人です」
「えっ」
何を言われたのかわからず、目を瞬かせる。
「シャワー浴びますか? シャワールームならあるんですよ」
「ええっ!? シャワーまであるんですか!?」
「はい。冒険の疲れを癒すためにまったりしてから一眠りして、また明日生き物を見て回りませんか?」
冒険をする。
ラピスさんと一緒に冒険をするのだ。
僕は嬉しくなって、力強く頷いた。
20181027