08話 鑑定
俺とエリが、あのとき死の一歩手前まで追い込まれてから、数か月が過ぎた。もし父さんが来てくれなかったら、俺たちはあの状況から無事に逃げ出すことなどできなかっただろう。
そして今年、俺は五歳になった。ついに、ずっと待ち望んでいた節目がやってきたのだ。五歳――それは、自分がどんな力を持っているのか、正式に調べてもらえる年齢だった。
そう思うと、楽しみで仕方がなかった。昨夜はベッドに横になりながら、今日行われる鑑定のことをあれこれ想像していた。自分にはどんな能力があるのか。どんな職業が表示されるのか。
考え始めると、次から次へと気になることが浮かんできた。そのせいで、気づけばほとんど眠れないまま朝を迎えていた。案の定、目の下にははっきりと隈ができている。
事前に聞いていた通り、あと一時間ほどで教会の者たちが村へやってきて、鑑定を行うことになっている。俺は部屋の中で窓の外を眺めたり、今日のことを考えたりしながら時間を過ごしていた。
けれど、頭の中をぐるぐる回っているのは、結局たった一つの疑問だった。
……何を準備しておけばいいんだろう?
考えれば考えるほど、分からなくなっていく。ずっと待っていた日なのに、いざその日が来てみると、自分が何をすればいいのかさっぱり分からなかった。
コンコン。
「ライアン、入るわね!」
外から聞こえてきた声に、俺は考え事を中断した。扉が開くと、母さんが妹のアンメイを抱いたまま部屋に入ってくる。アンメイはまだ幼く、母さんの腕の中でおとなしくしていた。
母さんは部屋に入るなり、俺へ視線を向けた。そして、しばらく俺の顔をじっと見ている。まるで、俺が何を考えているのか見抜こうとしているみたいだった。
「ライアン、緊張してるの?」
「え? どうして?」
「分かるのよ。母親の勘ってやつね」
……すごいな。こんなところまで分かるのか。
実際、少し緊張していた。鑑定の結果が、自分の望んでいたものと違っていたらどうしよう。そんな不安が、胸の奥にずっと残っている。
昨夜から何度も気にしないようにしてきた。それでも、鑑定の時間が近づくにつれて、不安まで一緒に大きくなっていくような気がした。
「はい。少しだけ、緊張しています」
「大丈夫よ。ゆっくり息をして。どんな結果になっても、私はずっとあなたを応援しているからね、ライアン」
そう言うと、母さんは俺のそばまで来て、そっと抱きしめてくれた。身体に伝わってくる温もりに触れた途端、さっきまで張り詰めていた気持ちが、少しずつほどけていく。
特別な言葉なんて必要なかった。ただ母さんに抱きしめてもらっただけで、そこまで怖がる必要はないんじゃないかと思えた。
俺は小さく笑い、母さんの言葉に答えた。
「はい」
* * * *
それからしばらくして、村の人たちは全員、村の入口へ集まっていた。期待と興奮が入り混じり、いつもの村とはどこか違う空気が漂っている。特に五歳になった子供たちは、嬉しさを隠しきれない様子だった。
俺たちにとって、今日の鑑定は人生の大きな節目だ。中には一時間も前からここへ来て、ずっと待っている子までいた。数分おきに村へ続く道へ目を向けている姿を見ると、その気持ちも分からなくはない。
そんな期待に満ちた顔を眺めているうちに、ふと考えてしまった。もし鑑定の結果が、自分の思っていたものとは違っていたら……それは、あまりにも残酷じゃないだろうか。
これだけ待ち続けて、ようやくその日を迎えたのに。最後に手にするものが、自分をがっかりさせるような結果だったらどうする。
そんな経験をしたい子供なんて、一人もいないはずだ。
カッポ、カッポ……。
遠くから馬の足音が聞こえてきた。最初はかすかだったその音も、少しずつはっきりしていく。一定の間隔で響く蹄の音が、ゆっくりと村へ近づいてきた。
さっきまで聞こえていた周囲の会話も、いつの間にか小さくなっていく。一人、また一人と、音のするほうへ顔を向けた。
そのときだった。
遠くから、一人の男の声が響き渡った。
「王都からの使者が到着したぞ!」
その声に合わせるように、一台の馬車が俺たちの前へ姿を現した。
濃い茶色の車体には、細かな装飾や模様が施されている。村人たちが普段目にする荷車とは、明らかに違っていた。一目見ただけで、王都から来たものだと分かるほど立派な馬車だった。
前には二頭の大きな馬が繋がれている。どちらも筋肉質で、力強く地面を踏みしめながら進んでいた。その横には一人の兵士が馬に乗り、周囲を警戒するように付き従っている。
村人たちは一斉に目を見開いた。中には思わず一歩前へ出て、馬車をよく見ようとする者もいる。こんな小さな村に、王都からこれほど立派な一行が訪れることなど、そうあるものではない。
馬車の扉が開いた。
一人の男が、中から姿を現す。
そして、そのままゆっくりと地面へ降り立った。
かなりの大男だった。大勢の人間の中にいても、ひと目で分かるほど目立っている。巨大な身体に広い肩幅、そしてどっしりとした立ち姿。
……歩く壁みたいだな。
思わず、そんなことを考えてしまった。
周囲の何人かも、その姿を見ただけで驚きの声を漏らしている。
男は俺たちの前まで歩いてくると、口を開いた。
「俺はブレインザー。王都から派遣され、この村の鑑定を行うために来た」
低く、よく響く声だった。言葉の一つ一つがはっきりしていて、それだけで軍人らしい威厳が伝わってくる。
「よし、時間を無駄にするつもりはない。五歳になった子供は一列に並べ。それ以外の者は下がれ」
命令が下されると、村人たちはすぐに動き始めた。大人たちは左右へ移動し、俺たち五歳児が並べるよう中央に場所が作られる。
「最初は、オクタヴィアン・メロウ」
――ああ、あいつか。
メロウが前へ出ていく。こいつは、俺がいないときによくエリにいじめられている少年だ。
ブレインザーの前に立つメロウを見ながら、俺は心の中で祈った。
どうか、少しくらい良い結果が出てくれ。
ブレインザーが片手を上げる。すると、メロウの頭上に魔法陣が現れた。複雑な文様が幾重にも重なり、その中心から光が溢れ出す。
光はゆっくりとメロウの身体を包み込み、やがてその身体そのものが淡く輝き始めた。
その目の前に、文字が一つずつ浮かび上がる。
【ステータス】
【種族:人間】
【職業:鍛冶師】
【属性情報:土脈】
【技能:】
【通常スキル】
【鍛冶技術:武器を鍛造する技術を向上させる。】
ステータス画面が皆の前に浮かび上がった。ブレインザーは内容を一通り確認すると、淡々と口にした。
「悪くない」
その一言を聞いた途端、周りの子供たちがざわめき始めた。
「すごい……」
「カッコいい!」
小さな声が、あちこちから聞こえてくる。もちろん、エリもじっとしてはいられなかった。
後ろから何度も俺の服を引っ張ってくる。
「ねえねえ、ライアン。見た? 見た? すごいね!」
「光がバーン! 情報がバーン! すっごくカッコいいよ!」
俺は、今にも飛び跳ねそうなほど興奮しているエリを横目で見た。
――エリ、少し落ち着け。まだ全員の鑑定が終わったわけじゃないんだぞ。
――早くしてよ。エリ、もう待ちきれないんだから。
「次、ナゼイ・ルー」
別の子供が前へ出る。
再び魔法陣が現れ、光がナゼイの身体を包み込んでいく。そして、その目の前に新たなステータスが浮かび上がった。
【ステータス】
【種族:人間】
【職業:狩人】
【属性情報:風脈】
【技能:】
【中級スキル】
【隠密:一時的に自身の存在を隠し、気配までも隠蔽することができる。】
・ ・ ・
鑑定は、そのまま続いていった。子供たちは一人ずつ前へ出て、自分の結果を受け取ると、それぞれ両親のもとへ戻っていく。
結果を見て嬉しそうに駆け戻る子もいれば、何の技能も発現せず、がっかりした顔のまま立ち尽くす子もいた。そうして少しずつ、列に並んでいた子供の数が減っていく。
俺はその様子を眺めながら、自分の番が近づいていることを意識せずにはいられなかった。大丈夫だと自分に言い聞かせても、胸の奥に残っていた不安が完全に消えるわけではない。
どんな結果が出るのか。
期待しているからこそ、怖くなる。
やがて、最後の一人の鑑定が終わった。
残っているのは、俺とエリだけだった。
「次、ライアン・クロノヴィア」
自分の名前を呼ばれ、俺は前へ出た。
ブレインザーの前に立つと、すぐにその視線が自分へ向けられていることに気づいた。ただ鑑定を行うために見ているわけではない。頭の先から足元まで、俺という存在そのものを確かめるような視線だった。
ブレインザーが小さく呟く。距離が近かったため、その声は俺の耳にもはっきり届いた。
「ふむ……英雄の名を取ったのか。さて、どうなるかな」
……英雄の名?
一瞬、その言葉が気になった。だが、聞き返すより先にブレインザーが片手を上げる。
すると、俺の額のすぐ上に魔法陣が現れた。
その瞬間、光が一気に押し寄せてきた。
視界が真っ白に染まる。周囲にいた人々の声が消え、身体の感覚も少しずつ曖昧になっていった。自分が立っているのか、それとも倒れているのか。そんなことさえ分からない。
意識だけが、どこか深い場所へ引きずり込まれていくような感覚があった。
気づいたとき、俺は真っ白な空間に立っていた。
周囲を見回す。
空もない。地面もない。どこを見ても、ただ白が広がっているだけだった。
何も存在していない。
それなのに、夢を見ているような曖昧さはなかった。むしろ妙に現実味があり、自分が本来いるはずのない場所へ迷い込んでしまったような感覚がする。
何が起きているのか理解するより先に、突然、頭に激痛が走った。
「っ……!」
頭の中を何度も殴りつけられているような痛みだった。俺は反射的に両手で頭を抱える。
その直後、奇妙な声が頭の中に響き始めた。
「お前は誰だ?」
「なぜ、お前はここにいる?」
「お前は存在しない」
「なぜ、この世界にいる?」
「お前は……違う」
「生命、空虚?」
「そうだ……お前はまだムーチャンに認められていない」
「お前は誰だ?」
・ ・ ・
声は次々と頭の中へ流れ込んできた。
普通の人間が話している声とは、明らかに違う。はっきり聞こえたかと思えば、途中で途切れる。耳元で囁かれているほど近く感じたかと思えば、次の瞬間には遠くへ離れていた。時には、壊れた信号のように音が歪んで聞こえる。
どこから聞こえてくるのか、俺にはまったく分からなかった。もっとよく聞こうと意識を集中させるたびに、頭の痛みはさらに強くなる。
俺は頭を抱えたまま、必死に耐え続けた。それでも、声は止まらない。
「お前は誰だ?」
答えたかった。
お前たちは誰なんだ。どうして俺はここにいる? ここは一体どこなんだ?
聞きたいことはいくらでもあった。
だが、声を出すことができない。
そして突然、すべてが静かになった。
声が消え、頭の痛みも消える。
さっきまで頭の中を埋め尽くしていたものが、一瞬で消え去った。
俺の意識が、少しずつ現実へ戻っていく。
目を開けると、俺は地面に倒れていた。
両手はまだ頭を抱えたままで、胸が大きく上下している。荒い呼吸を何度も繰り返していた。まるで長い距離を走り続けたあとみたいに、全身が重かった。
だが、今度は胃の奥から強烈な吐き気が込み上げてくる。
「うげっ!」
俺は反射的に身体を前へ倒し、その場で吐いた。
……最悪だ。
頭の中には、まださっきの声が残っている。
「ライアン!?」
俺の様子に気づいた父さんと母さんが、すぐに駆け寄ってきた。
「ライアン、大丈夫? 具合が悪いの?」
「大丈夫だよ。ただ、朝ご飯を少し食べすぎただけ」
俺は無理やり笑って、二人を安心させようとした。
もちろん、本当はそんなわけがない。
だが、あの白い空間で起きたことを、今の俺自身がうまく説明できるとも思えなかった。
「ライアン、本当に大丈夫?」
エリも俺のそばまで駆け寄ってくる。
「ああ、大丈夫だ。心配してくれてありがとう」
そう答えたものの、俺自身には分かっていた。
さっき見たものを、簡単に忘れられるはずがない。
真っ白な空間。
頭を突き抜けるような痛み。
そして、あの奇妙な声。
どれか一つだけでも忘れられそうにないのに、そのすべてが頭の中にはっきり残っていた。
その直後、俺の目の前に文字が浮かび始めた。
俺は顔を上げる。
そして、そこに表示されたものを見た。
【ステータス】
【種族:不明(???)】
【属性:不明(???)】
【技能:不明(???)】
【不明――不明――不明】
【???】
【情報を表示できません(???)】
「え……?」
思わず、声が漏れた。
「何だ、これ……?」
父さんも母さんも、そしてエリも、目の前に浮かんだステータスを見て目を見開いている。誰一人として、何が起きているのか理解できていないようだった。
母さんはすぐにブレインザーのもとへ歩み寄った。その声には、いつも以上に戸惑いが滲んでいる。
「すみません、使者様……。何か鑑定に間違いがあったのではありませんか?」
「あり得ん。鑑定で失敗したことなど一度もない。つまり、これは……」
「これは、どういう意味なのですか? どうか教えてください」
母さんが尋ねる。
俺も、その答えを待った。
ブレインザーはしばらくステータスを見つめたあと、ゆっくりと俺へ視線を向けた。
「このガキは役立たずだ」
「え……?」
俺は固まった。
「そうだろう? これは明らかに役立たずだ。英雄の名を付けられておきながら、何の能力も持っていない。歴史に泥を塗るにもほどがある」
ブレインザーの声が、村中にはっきりと響き渡った。
わざと全員に聞こえるよう、大きな声で言っている。
その言葉には、俺に対する露骨な侮蔑が込められていた。
母さんはすぐに俺を抱き寄せた。
「大丈夫よ、ライアン。どんな結果でも、母さんはあなたを愛しているし、ずっと応援しているから」
母さんの腕に、さらに力がこもる。
俺はしばらく何も言わなかった。
もちろん、悲しくなかったわけじゃない。
こうなる可能性については、前から何度も考えていた。それでも、大勢の人がいる目の前で実際にそう言われると、やはり気分のいいものではない。
ただ、立ち上がれないほどのショックを受けたわけでもなかった。
それに今は、母さんの腕の中が温かい。
この温もりがあるなら、時間が経てば今日の出来事も、いつか少しずつ薄れていくかもしれない。
だが、父さんは違った。
父さんは顔を曇らせたまま、ブレインザーの前へ歩いていく。
「どうか、今の言葉を撤回してください」
「……何?」
「もう一度言います。今の言葉を撤回してください」
「聞こえている。だが、何を撤回しろというんだ?」
「俺の息子は役立たずなんかじゃない。その言葉を撤回してください」
ブレインザーは、父さんを真っ直ぐに見つめた。
「つまり、俺に真実を撤回しろというのか?」
その瞬間、周囲の空気が変わった。
それまで聞こえていたざわめきが、次第に消えていく。
俺は父さんとブレインザーを交互に見た。
父さんの目を見れば、本気で怒っていることが分かる。
「俺が撤回しなかったら、どうする?」
「その場合は……今この場で、あなたの首を一瞬で斬り落とすこともできます」
その言葉が落ちた直後、周囲から息を呑む気配が伝わってきた。
隣にいた兵士が、すぐに前へ出る。
「無礼者! このお方は王都の使者だぞ! 貴様ごときが、よくもそんな無礼な真似を!」
ブレインザーが片手を上げ、その兵士を制した。
「それ以上やれば、お前は王都の敵になるぞ」
「別に構わない」
父さんは、一切迷うことなく答えた。
その目も、揺らいでいない。
「ハハハハ!」
すると、ブレインザーが突然、大声で笑い始めた。
「いいだろう。さっきの言葉は撤回する」
隣にいた兵士が、驚いた顔で振り返る。
「ブレインザー様? ですが、今のは事実では……」
兵士が最後まで言い終える前に、ブレインザーの拳が飛んだ。
「ドカッ!」
兵士の身体が、そのまま遠くへ吹き飛ばされる。
「悪いな。俺はまだ話の途中だった」
ブレインザーは、もう一度俺を見る。
だが、先ほどまでの恐ろしい目つきは消えていた。
そこにあったのは、落ち着いた、むしろ穏やかな眼差しだった。
「クロノヴィア、だったな?」
「あ……はい」
「さっきは悪かった」
「はい……大丈夫です」
「お前が本当に英雄だと証明するまでは、名前では呼ばないことにする」
張り詰めていた空気が、ようやく少し緩んだ。
俺は小さく息を吐く。
少なくとも、本当の戦いにまで発展することはなかったようだ。
「最後、エリ・ヴァエロクシア」
ああ、ついにエリの番か。
名前を呼ばれたエリは、勢いよく前へ出た。だが、鑑定を待つどころか、そのままブレインザーのところまで走っていく。
そして――。
「えいっ!」
ブレインザーの脚を蹴った。
「おい、エリ。何してるんだ?」
「何してるの、エリ?」
アルヴィンも、目の前で起きた光景が信じられないといった顔で、エリを見つめている。
だが、当の本人にはまったく恐れる様子がなかった。むしろ誇らしげに顔を上げると、ブレインザーへ向かって叫ぶ。
「このクソジジイ!」
さらに舌を出し、そのままブレインザーへ唾まで吐きかけた。
「このクソジジイ!! ライアンが許しても、私は絶対に許さないから!」
俺も、周りにいた人たちも、ただ黙ってエリを見ていた。
……本当に、こいつには何と言えばいいのか分からない。
ブレインザーは何も言わなかった。ただ片手を上げ、これまでと同じように魔法を発動させる。
「ちょっと! まだ私が話してる途中だよ!」
その直後、エリの身体の周囲に光が現れた。
最初は、体の輪郭をなぞる程度の淡い光だった。
だが、光はすぐに強さを増していく。エリの身体を包み込んだかと思えば、その外側へと押し広がり、見る間に周囲の空間まで飲み込んでいった。
村人たちのいる場所にまで光が迫り、誰もが思わず後ろへ下がる。
俺は、その中心から伝わってくる力に息を呑んだ。肌を撫でる空気が震え、ただの光ではないことが嫌でも分かる。
それでも、光は収まらない。
膨れ上がった光がさらに広がり、目の前にあるものすべてを飲み込もうとした、その瞬間――。
「ドォォォン!!!」
凄まじい爆発が起こった。
母さんはほとんど反射的に手を前へ突き出し、押し寄せてくるエネルギーを受け止めるための結界を展開する。
直後、結界が激しく揺れた。透明な壁の表面を、無数の亀裂が一気に走っていく。
……これほどの力なのか。
俺は目を見開いたまま、その光景を見つめていた。
しばらくして、ようやく爆発の余波が弱まっていく。舞い上がった砂埃が落ち着き、耳を打っていた轟音も少しずつ遠のいていった。
アルヴィンが、すぐにエリのもとへ駆け寄った。
「エリ! 大丈夫か!?」
エリは父親を見上げると、ニッと笑った。
「えへへ。私は大丈夫だよ」
アルヴィンはほっと息を吐いた。そして、何が起きたのかをブレインザーに尋ねようと振り返る。
だが、その前に足を止めた。
ブレインザーが、その場から一歩も動いていなかった。
彼の前には、エリのステータスが浮かんでいる。
ブレインザーは、それを黙ったまま追っていた。先ほどまでの落ち着いた表情は消え、その顔には隠しきれない驚きが浮かんでいる。
目の前には、これまで誰も見たことがないほど長いステータスが表示されていた。
ブレインザーは、思わずその内容を読み上げる。
【ステータス】
【種族:人間】
【称号:勇者――覚醒中】
【属性情報:】
【トリプル・マナ・サーキット】
【雷脈】
【風脈】
【自然脈】
【技能:】
【究極スキル】
【四葉聖印】
【恩寵保護:自身及び魂を無数の損傷から保護する障壁を展開する。】
【障壁は継続的に再生し、自身を回復する。】
【覚醒進行度:16/100】
【生命共鳴:未解放。】
【幻葉支配:未解放。】
【幸運奇跡:未解放。】
【外級技能】
【武術:あらゆる武術を一度見るだけで看破し、習得する。】
【剣術:あらゆる剣術を一度見るだけで看破し、習得する。】
その長大なステータスを前に、誰もが凍りついたように立ち尽くしていた。
少し前まで子供たちの鑑定結果について話していた村人たちも、今はただ、目の前に浮かんだ文字へ意識を奪われている。
あれほど冷静だったブレインザーでさえ、すぐには言葉を続けられなかった。
最初に沈黙を破ったのは、アルヴィンだった。
彼はエリを抱き上げると、そのまま勢いよく身体を回した。
「すごいぞ! ハハハハ! すごいぞ、エリ!」
「え? すごいの?」
「ああ! すごいなんてもんじゃない!」
「やったー! すごーい!」
エリは、自分のステータスがどれほど特別なものなのか、まだよく分かっていないのだろう。それでも、父親がこれほど嬉しそうにしているのが嬉しいらしく、エリも楽しそうに笑っていた。
そんな二人のもとへ、ブレインザーがゆっくり歩いてくる。
そして、アルヴィンの前で足を止めた。
「その娘を、こちらへ渡してくれ」
「……え?」
一瞬、アルヴィンの表情が固まった。
「その娘を我々に渡せ」
「どうしてですか?」
「おそらく、お前は知らないのだろう。勇者と判明した子供は、幼いうちから鍛えるために王都へ送られる」
ブレインザーは、アルヴィンの腕の中にいるエリへ目を向ける。
「この年齢ですでにユニークスキルまで覚醒している。これほどの才能を、この村で眠らせておくわけにはいかない」
アルヴィンは何も答えなかった。
ただ、腕の中にいるエリを見つめている。
さっきまで笑っていたエリも、父親の様子が少し気になったのか、不思議そうにアルヴィンを見上げていた。
やがてアルヴィンは、エリを抱く腕に少しだけ力を込める。
深く息を吸い込み、それから静かに口を開いた。
「……ですが、娘を渡すことはできません」
「逆らうつもりか?」
「どう受け取っていただいても構いません。でも、私は娘を渡しません」
ブレインザーは、しばらく何も言わなかった。
「我々なら、幼い頃から成長するまで責任を持って鍛えることができる。大人になったとき、その先をどうするかは本人に決めさせればいい」
その言葉を聞いても、アルヴィンの表情は変わらない。
彼はもう一度、エリを見た。
「それでも、この子は勇者になりたいと言っている」
「……なら、聞こう」
ブレインザーの低い声が響く。
「お前たちが我々より、この娘を上手く育てられると、どうやって証明する?」
少しの沈黙が流れた。
アルヴィンは、ブレインザーの目を真っ直ぐ見返す。
「私と一度、戦っていただけますか」
周囲が静かになった。
さっきまで騒いでいた村人たちも、その言葉を聞いて息を呑んでいる。
ブレインザーは、すぐには答えなかった。
アルヴィンをじっと見つめたまま、何かを確かめるように沈黙する。
やがて、ふっと視線を空へ向けた。
数秒後。
「ふむ……いいだろう」
そう言うと、ブレインザーは先ほど自分で殴り飛ばした兵士のもとへ向かった。
まだ完全には意識を取り戻していない兵士を起こし、そのまま馬車へ乗せる。そして、自分も馬に跨った。
「この村には勇者など見つからなかったことにしてやる」
馬の上から、ブレインザーはアルヴィンを見る。
「お前たちが、この娘をきちんと育てられるということを証明してみろ」
そこで一度、言葉が途切れた。
ブレインザーは、今度は俺へ視線を向ける。
「それと……クロノヴィアが、これからどう成長するのかも気になるところだ」
それだけ言うと、馬車はゆっくりと動き始めた。
カッポ、カッポ……。
再び馬の蹄の音が響く。
俺たちは村の入口に立ち、遠ざかっていく馬車を見送った。
最初に見たときのブレインザーは、ただ恐ろしい男にしか見えなかった。大きな身体に威圧感のある声。そして、誰に対しても容赦なく言葉をぶつけるような男だった。
だが、最後にこちらへ向けた視線は、それまでとはどこか違っていた。
俺は遠ざかっていく馬車を眺めながら、小さく息を吐いた。
アルヴィンは拳を握りしめる。
「俺はてっきり、戦えると思ってたんだけどな」
父さんが、その肩を軽く叩いた。
「まあ、いいじゃないか。お前、この村ごと壊すつもりか?」
「ははは。ちゃんと手加減するさ」
エリは、さっきからずっと黙っていた。
俺は、てっきり何か考え込んでいるのだと思っていた。
だが、次の瞬間だった。
エリが突然、俺のほうへ振り向いた。
「ライアン!」
そして、そのまま真っ直ぐ俺に向かって走ってくる。
「え?」
俺が何か言うより早かった。
エリが、そのまま俺へ飛びついてきた。
「うわっ!」
勢いを受け止めきれず、身体がそのまま後ろへ倒れる。
気づけば、エリが俺の上に乗っていた。
その顔には、満面の笑みが浮かんでいる。
「見た? 見た、ライアン?」
「え?」
「私、勇者なんだよ! 見たでしょ? 私、カッコいい?」
「ああ、見たよ」
「えへへ! カッコいいでしょ? すごいでしょ? これで私、旅に出られるんだよね?」
「分かった、分かったから……もう降りてくれないか? 重いんだが」
「すごーい! すごーい! アハハハハ!」
……聞いてないな、こいつ。
エリは嬉しさを抑えきれないのか、そのまま俺へ抱きついてきた。
そして、ぎゅっと身体を締めつけてくる。
「ぐっ……ちょ、ちょっと待て」
胸が苦しい。
……待て。これ、普通に窒息するんじゃないか?
俺は必死にエリを引き剥がそうとした。
だが、エリはまったく離れる気がない。
むしろ、さっきより力が入っている気さえする。
周りにいる大人たちは、そんな俺たちを見ているだけだった。
誰一人として助けようとしない。
いや、笑っている奴までいる。
せめて誰か助けてくれ!
俺が必死にエリと揉み合っていた、そのときだった。
不意に、鑑定のときの光景が頭をよぎった。
真っ白な空間。
頭を突き抜けるような痛み。
そして――あの声。
――お前は誰だ?
その言葉が、今でも頭の奥に残っている。
俺はエリを押し返そうとしながら、ふと目を伏せた。
あれは、一体何だったんだ。
なぜ、俺だけがあんな場所へ……。
考え始めると、また胸の奥が落ち着かなくなる。
だから俺は、それ以上考えないことにした。
今の俺には、分からない。
……きっと、いつか分かるときが来る。
そう思いながら、俺は再び、エリを引き剥がすことに意識を戻した。




