06話 エリとの追いかけっこ
必要な量を採り終えると、俺はすぐにエリを探しに来た道を戻った。
「おーい、エリ! どこに行ったんだよ!」
声をかけながら辺りを探す。さっきまで一緒に歩いていた場所はもちろん、まだ通っていないところまで見て回ったが、エリの姿はどこにもない。
「一体どこに……」
辺りを見回していると、すぐ近くから蔓が一本、するりと落ちてきた。
「ん?」
次の瞬間、ヒュンッと黒い影が目の前を横切った。
「うわっ!?」
反射的に身を引く。よく見ると、ただの猿だった。
「……猿?」
さっきここを通ったときには、こんな猿はいなかったはずだ。そう思っていると、今度は別の猿が蔓を掴み、目の前を勢いよく通り過ぎていった。続いてもう一匹。その後ろから、さらにもう一匹。
「……なんだ?」
妙な感じがする。俺は猿たちが向かっていく方へ目を向けた。
そのときだった。
「ウホォォォォォ!」
一匹の猿が大声を上げた。
「……は?」
思わず足が止まる。木の枝には何匹もの猿が集まっていた。そして、その真ん中にいるのは――。
「……エリ?」
自分の目を疑った。エリが猿たちに混ざって、木から木へ飛び移っている。
「お前、そこで何やってんだよ!?」
どうやら、さっき食べた毒キノコのせいで、猿たちに仲間だと思われてしまったらしい。
……いや、それはまだ分かる。
問題は――。
「なんでお前も普通に馴染んでるんだよ!」
エリは俺の声に気づくと、こちらを振り返った。そして、ポリポリと身体を掻く。まるで何事もなかったかのような顔だ。
「おい!」
俺が呼びかけても、エリは気にした様子もなく別の枝へ移っていった。
「エリ! 俺はここだ! 早く降りてこい!」
だが、降りてくる気配はない。それどころか、猿たちと一緒になって、さらに奥へ進んでいく。
「待てぇぇぇぇ!」
俺も慌てて後を追った。木々の間を走り抜け、枝を避け、地面から突き出した根を飛び越える。何度も足を取られそうになりながら、それでも必死に追いかけた。
だが、距離は一向に縮まらない。
「速すぎるだろ……!」
エリは疲れるどころか、猿たちと一緒になって楽しそうに木から木へ飛び移っている。
「お前、さっきまで毒で苦しんでただろ!」
俺の声が聞こえているのかいないのか、エリは楽しそうに叫んだ。
「ウホォォォ!」
「お前は猿じゃないだろ!」
俺は息を切らしながら追いかけ続ける。しかし、いくら走っても追いつけない。
「はぁ……はぁ……!」
息が苦しい。足も重い。そろそろ本当に限界だ。
それなのにエリは「ウホッ!」と元気いっぱいに木の上を飛び回っている。
「……本当に猿になったんじゃないだろうな」
このまま放っておいたら、本当に人間に戻れなくなるんじゃないか。そんな馬鹿なことまで考えてしまう。
そもそも猿は、動くものを見つけると素早く手を伸ばして掴む習性がある。
だったら――。
「……これならどうだ?」
俺は採ったばかりのポイズンドレインを一つ取り出した。
「エリ!」
狙いを定めて投げる。
ヒュッ!
すると、エリの手が素早く動いた。
パシッ!
「……捕まえた」
ポイズンドレインは、見事にエリの手の中に収まった。
「よし!」
これならいける。
「エリ! それを食べろ!」
俺は声を張り上げた。
「それを食べれば毒が――」
横から一匹の猿が飛び出してきた。
「ウキッ!」
次の瞬間、猿がエリの手からポイズンドレインをひったくる。
「え?」
そのまま猿は逃げていった。
「ウキキキキ!」
「…………」
俺は言葉を失った。エリも黙っている。
そして次の瞬間、エリが叫んだ。
「エェェェェク!」
猿を追いかけ始めた。
「またかよぉぉぉぉぉ!」
俺も後を追う。もう何度目だよ。
ポイズンドレインを一つ取り出して投げる。
「ほら! これも食え!」
もう一つ投げる。
「こっちもだ!」
さらにもう一つ。
「頼むから一個くらい食べてくれ!」
だが、猿たちは信じられないほど素早い。投げたポイズンドレインは、ことごとく猿たちが通り過ぎた後に落ちていく。
「くそっ!」
走りながら、俺は残ったポイズンドレインをまとめて取り出した。
「もう全部持ってけ!」
片っ端から投げつける。
「好きなだけ持ってけ! その代わりエリを返せぇぇぇ!」
ここまで来ると、自分が何と戦っているのか分からなくなってくる。
毒キノコを食べたエリ。それを仲間だと思っている猿。そして、そのエリを追いかけ回す俺。
……なんだ、この状況。
俺は何をしに森へ来たんだ?
薬草を採りに来たはずなのに、どうして猿と鬼ごっこなんかしてるんだよ。
「はぁ……はぁ……!」
さすがにもう体力がもたない。
そのとき、飛んできたポイズンドレインをエリが掴んだ。
「……!」
「やった!」
思わず声が出た。
「エリ! 今度こそ食え! 頼む!」
「……?」
エリがこちらを見る。
「それを食べるんだ!」
エリは手の中にあるポイズンドレインへ目を落とした。
そして――ぱくっ。
「食った……!」
ようやく終わった。俺はその場に膝をつきそうになる。
「頼む……もう俺を休ませてくれ……」
ポイズンドレインを食べた途端、エリの身体から力が抜けた。そのまま木から落ちてきたところを、俺は慌てて駆け寄って受け止める。
どうやら、ようやく薬が効き始めたらしい。エリはそのまま俺の腕の中で眠ってしまった。
「まったく……」
小さく息を吐く。
「一日くらい、問題を起こさずにいられないのかよ……」
そう言いながらも、口元が少し緩んだ。まあ、エリがこういう奴なのは今に始まったことじゃない。
俺はエリを背負い、残りの薬草――マナアンカーを探すことにした。
……ただ、一つ問題がある。
「……ここ、どこだ?」
気づけば、完全に道に迷っていた。エリを追いかけるのに夢中になって、最初に歩いていた道がどこだったのかすら分からなくなっている。
森に入ってからは、迷わないように通った場所へ目印を残していた。だが、ここには俺がつけた目印が一つもない。
「……まあ、いいか」
薬草を見つけてから帰ればいい。
そう考えて、俺はエリを背負ったまま歩き続けた。
「ん……うぅ……」
背中から声がした。
「ライアン……?」
エリが目を覚ましたらしい。
「お、起きたか」
「……え?」
エリは辺りを見回し、それから自分が俺の背中にいることに気づいた。
「えぇ!? ライアン!? どうして私、ライアンの背中にいるの!?」
「大人しくしてろ。まだ完全には治ってない」
「え?」
「お前、毒キノコを食べただろ」
「……」
「そのうえ、猿と一緒になって木の上を飛び回ってた」
「…………」
「だから、もう勝手に走り回らないように背負ってるんだ」
「……」
エリは黙った。
「……」
「……なあ」
「……」
「なんで急に黙ったんだ?」
背中越しに伝わってくるエリの体温が、少しずつ上がっていく。どうやら、自分が何をしていたのか思い出してきたらしい。
「……」
「……恥ずかしいのか?」
「う、うるさい!」
顔を赤くしているのが目に浮かぶ。
俺はそれ以上何も言わず、マナアンカーを探すことにした。
今度は闇雲に歩くのではなく、乾燥した土地を中心に探していく。マナアンカーは、乾燥した土地でも周囲だけ植物が異様に生い茂っている場所に咲く。そう考えて探していると、しばらくして前方に小さな光が見えた。
「……あれか?」
「……光?」
俺は足を止めた。木々の隙間から、淡い青色の光が漏れている。
気になって近づいてみると――。
「……!」
目の前に広がっていた光景に、思わず息を呑んだ。
そこには、一面の花畑が広がっていた。乾燥してひび割れた大地。その中心だけが、まるで別世界のように緑に覆われている。そして、その緑の中には淡い青色の花が無数に咲いていた。
一つ一つの花から柔らかな光が放たれ、その光が周囲の植物を照らしている。青い光に包まれた花畑は、まるで別世界のようだった。風が吹くたびに花びらが揺れ、そのたびに小さな光がいくつも宙へ舞い上がる。
「……綺麗だ」
思わず声が漏れた。今まで見た花の中でも、一番綺麗だった。
……母さんを除けば。
「うわぁぁぁ!」
背中からエリの声が飛んできた。
「すごい! ライアン、見て! すっごく綺麗!」
エリは俺の背中から飛び降りると、そのまま花畑へ駆けていった。
「ウオォォォ!」
「おい、待て!」
エリは花畑の中を楽しそうに飛び跳ねている。くるりと回るたびに髪が風に揺れ、青い光がその姿を照らしていた。
そんなエリを見ていると、ふと一つの考えが頭をよぎった。
「……この子と結婚したい」
……いや、何を考えてるんだ、俺は。
前世では三十歳を超えたおっさんだったんだぞ。こんなことを考えるのは、どう考えてもおかしい。
……まあ、今の俺はライアンだ。キョウヤ・シラトリとしての人生は、もう終わった。今の俺は、この世界で生きるライアンだ。
「……」
俺は頭を振った。
「よし。最後の薬草を採って帰ろう」
エリも今度は大人しくしてくれている。
……と思った。
問題は、マナアンカーをどうやって根ごと採るかだった。この花は非常に長い根を持っている。乾燥した土の中に深く根を張っているため、普通に引っ張るだけでは途中で根が切れてしまう。
俺たちは何度も試してみた。
「せーの!」
エリが思い切り引っ張る。
「よいしょぉぉぉ!」
だが、ブチッと嫌な音がした。
「……また切れた」
「もう一回!」
「待て、エリ! そんなに勢いよく引っ張るな!」
だが、エリは聞く耳を持たない。別の花を見つけると、すぐにそちらへ走っていく。
「これならどうだ!」
「だから待てって!」
そして、また引っ張る。
ブチッ。
「……」
気づけば、花畑には最後の一株しか残っていなかった。
「ちょ、待て!」
俺は慌ててエリの前へ飛び出した。
「それだけはやめろ!」
「え?」
危なかった。あと少しで、この花畑からマナアンカーが全部なくなるところだった。
俺は最後の一株をじっと観察する。
しばらく考えていると、ふと一つの方法を思いついた。
「……そういうことか」
俺はマナアンカーの周囲の土を掘りながら、エリに声をかけた。
「エリ。ここに魔力を流せるか?」
「ん? できるよ」
エリが土へ手を伸ばす。すると、淡い光が地面へ流れ込んでいった。
マナアンカーは、周囲の植物へ栄養を与えるために魔力を利用している。そして、その根は魔力を運ぶ役割も果たしている。
なら――。
「この土の中にある魔力を、お前の魔力に置き換える」
俺は土の中を慎重に探る。
「少しだけでいい。根を通して魔力を流してくれ」
「分かった」
エリの魔力が土の中へ広がっていく。やがて、それは根を伝ってマナアンカーの内部へ流れ込んだ。
その様子を見て、俺は確信した。
この花を地面に繋ぎ止めているのは、根だけじゃない。根の中を流れている魔力も、大地との繋がりを保つ役割を持っている。
なら、その魔力を一時的に別のものへ置き換えてやればいい。
「……今だ」
俺は根元へ手を伸ばした。
「エリ、もう少しだけ魔力を流してくれ」
「うん!」
エリが魔力を流し込む。
すると、今までびくともしなかったマナアンカーが、驚くほど簡単に地面から抜けた。
「……抜けた」
「やったぁぁぁ!」
「成功だ!」
思わず二人で喜ぶ。
これで必要な薬草は全部揃った。
……しかし、ここで別の問題に気づいた。
「あ」
俺は固まった。
「どうしたの?」
「……帰り道」
「うん?」
「エリ、お前……帰り道覚えてるか?」
「……」
エリの動きが止まる。
「……もちろん」
「本当か?」
「う、うん!」
「じゃあ案内してくれ」
「任せて!」
俺はエリの言葉を信じて歩き始めた。少しだけ、ほんの少しだけ期待していた。
だが、その期待はものの数十分で打ち砕かれた。
「……なあ、エリ」
「な、なに?」
「ここ、どこ?」
エリが周囲を見回す。
「……あれ?」
「……」
「おかしいな……」
「……」
「確かに、この辺だったと思うんだけど……」
俺は黙ってエリを見る。
「……」
「……」
「……」
「……ごめん」
「やっぱりかぁぁぁぁ!」
俺は頭を抱えた。やっぱり信じた俺が馬鹿だった。
「もういい。これ以上歩いたら、さらに迷うだけだ」
「う、うん……」
「ここで大人しく待とう。大人たちが探しに来るのを待つんだ」
エリも素直に頷いた。
「分かった。私も一緒に待つ」
俺たちはその場に腰を下ろした。森は静かだった。木々の間を風が抜ける音と、遠くで鳥が鳴く声。それ以外には、何も聞こえない。
「……」
「……」
少しだけ休もう。そう思った、そのときだった。
――ゾワッ。
背中を冷たい何かが撫でたような感覚が走った。
「……!」
反射的に顔を上げる。何かいる。そう感じた瞬間、身体が勝手に動いた。
「エリ」
小声で呼ぶ。
「……え?」
「静かに」
エリの表情が変わる。
次の瞬間、ズン……と大地がほんのわずかに震えた。
「……!」
空気が重い。森全体が何かを恐れているようだった。遠くで聞こえていた鳥の声も、いつの間にか消えている。風の音まで止まったように感じる。
そして、また地面が震えた。一歩。また一歩。何かがこちらへ近づいている。
しかも、ただの獣じゃない。本能が告げていた。
――逃げろ。
だが、身体が動かない。恐怖で動けないわけじゃない。動けば見つかる。そう直感的に分かってしまった。
エリも身体を強張らせ、呼吸を荒くしている。俺は咄嗟に自分の口を手で塞ぎ、もう片方の手でエリの口を覆った。
「……!」
エリが目を見開く。俺は人差し指を立てた。静かに。絶対に音を立てるな。
しばらくして、また地面が震えた。足音が近づいてくる。木々の向こうで、何か巨大なものが動いている。
俺はゆっくりと木の陰に身を隠し、ほんの少しだけ顔を出した。
――見えた。
その瞬間、頭の中へ凄まじい圧力が叩き込まれた。
「ぐっ……!」
意識が飛びそうになる。息が詰まり、身体が震えた。
こんなものが――この森にいるのか?
必死に意識を繋ぎ止めながら、もう一度その姿を確認する。巨大な身体。鋭い爪。太く筋肉質な四肢。そして、獲物を見つけただけで震え上がりそうな威圧感。
「……ライオン……?」
そこにいたのは、一頭の獅子だった。
だが、普通のライオンとは明らかに違う。あまりにも巨大だった。
通常のライオンの――三倍。
いや、遠近感がおかしくなっているだけならいい。だが、あの巨体がこちらへ一歩近づくたび、地面そのものが震えている。
そして何より、目を引いたのはその身体を覆っているものだった。
黒い。ただ黒いだけではない。身体の表面から、煙のような黒い物質が絶えず滲み出している。周囲の草木は、その黒い何かに触れた途端、力を失ったように垂れ下がっていく。空気まで重く感じられた。
「……まさか」
喉が震える。
この世界で恐れられている、異質な黒い物質。
そして、目の前にいる獅子は――。
「……黒素に侵された……獅子……?」
その瞬間、獅子の目がゆっくりとこちらへ向いた。
「――――」
目が合った。
次の瞬間、全身を貫くような殺気が放たれる。息をすることすら忘れた。
逃げなければ。そう思った。だが――足が動かない。
目の前にいるのは、ただの野生動物なんかじゃない。もし、あれがこちらへ向かってきたら――俺たちは、生きて帰れるのか?
「……っ」
俺はエリの口を押さえたまま、必死に身体を伏せた。そして、ただ祈るように――その獅子がこちらに気づかないことを願った。




