04話 父さんが帰ってくる日
今日は、長い間村を離れていた父さんが帰ってくる日だ。
村を守るため、父さんは友人のアルヴィンさんと一緒に、ウビルの討伐へ向かっていた。二人とも、この村では一番の実力者だ。
ウビルは、この世界とは完全に隔絶された場所――世界の深淵から現れる生物だ。最近になって、その数が少しずつ増えているらしい。
そして、何より恐ろしいのが、身体を覆う濃密な黒素だ。子供なら、ほんの少し触れただけでも息ができなくなってしまうほど危険なものらしい。
幸い、父さんとアルヴィンさんが討伐に出てくれていたおかげで、村はこれまで平穏を保っていた。
父さんが村を離れている間、俺の身体も少しずつ痛みに慣れていった。エリと一緒に何度も訓練してきたからだ。
まだ四歳を少し過ぎたばかりだが、今では攻撃を受けても、以前ほど大げさに騒ぐことはなくなった。
とはいえ、それが俺にとって一番大事だったわけじゃない。
俺がずっと待っていたのは、父さんが帰ってくる日だった。
そして今日、ようやくその日が来た。
村へ続く道の向こうから、二つの人影が近づいてくる。
距離が縮まるにつれて、その姿も少しずつはっきりしていった。
服は泥で汚れ、身体には戦いでついた血の跡が残っている。それでも、二人の足取りはしっかりしていた。
村人たちもすぐに二人に気づいた。
すると、家の中にいた人たちまで次々と外へ出てくる。道にはあっという間に人が集まり、あちこちから声が飛び交った。笑い声も混じっている。
二人の帰還を喜ぶ声が、村中に広がっていった。
その中から、一人の村人が大声で叫ぶ。
「おかえりなさい、アルヴィン! ファウ!」
それを聞いた周りの人たちも、次々と二人を迎えた。
俺はもう、ほかのことなんて気にしていられなかった。
父さんを見つけた瞬間、人の間をすり抜けて走り出す。そのまま、父さんに飛びついた。
身体中には血の跡が残っている。服もすっかり汚れていた。
それでも、そんなことはどうでもよかった。
父さんが帰ってきた。
無事に帰ってきてくれた。
それだけで嬉しかった。
「おかえりなさい、父さん!」
顔を上げると、父さんが俺を見下ろしている。そして、少し困ったように笑った。
「おいおい。父さん、こんなに汚れてるんだぞ。ほら、離れろ。血がついちまう」
そう言われても、俺は離れなかった。むしろ、さらに強く抱きつく。
ずっと待っていたんだ。
今くらい、離れたくない。
父さんが無事に帰ってきた。
今は、それだけでよかった。
少し離れたところでは、アルヴィンさんもこちらの様子を見ていた。
二人の姿を見たあと、周囲を見回している。誰かを探しているようだった。
しばらくしても見つからなかったのか、アルヴィンさんは少し寂しそうな顔をする。
「お前の息子は、本当にいい子だな、ファウ。それにしても……うちのエリはどこだ? せっかく帰ってきたっていうのに、寂しいじゃないか」
そのときだった。
遠くから、慌ただしい足音が聞こえてきた。
最初は小さかった音が、少しずつ近づいてくる。
人混みの向こうから、一人の少女が走ってきた。
しかも、止まるつもりなんてまるでない。
俺がはっきり姿を確認するより先に、その小さな身体が勢いよく跳び上がった。
「勇者の抱擁!」
エリが叫び、そのままアルヴィンさんへ飛び込んでいく。
「エリ!?」
アルヴィンさんが叫んだ瞬間、二人は勢いのままバランスを崩した。そのまま地面へ倒れ込む。
俺は痛がると思った。
ところが、二人は地面に転がったまま、大声で笑っていた。
やがてエリが起き上がり、嬉しそうに父親を見る。
「へへっ。おかえりなさい、お父さん」
アルヴィンさんも笑顔で娘を見る。
「ただいま、エリ!」
そんな騒がしい出迎えが終わると、俺たちは一緒に家へ戻った。
久しぶりに、家の中が賑やかだ。
玄関を入ると、父さんが母さんに声をかけた。
「エリラ、ただいま」
その声が家の中に響く。
母さんはまだ仕事の途中だったらしい。
でも、父さんの声を聞いた途端、手にしていたものを置いて駆けてきた。そして、何も言わずに父さんへ抱きつく。
「おかえりなさい……おかえりなさい! 本当に心配したんだから」
母さんは笑っていた。
それなのに、目からは涙がこぼれている。
父さんがいない間、ずっと心配していたのだろう。
今まで抱えていた不安が、一気にあふれたように見えた。
父さんは母さんの頭に手を置き、優しく撫でる。
「もう大丈夫だ。帰ってきたぞ」
俺は少し離れたところから、二人を眺めていた。
自分が抱きしめられているわけじゃない。
それなのに、なぜか涙が出てきた。
父さんと母さんが目の前にいる。
その光景を見ているだけで、胸の奥がじんわりと温かくなった。
幸せって、たぶんそんなに難しいものじゃない。
大切な人たちが、こうしてそばにいる。
それだけでいい。
みんなが落ち着いたところで、父さんがふと思い出したように俺を見る。
「ああ、そうだ。アンメイとリュウスイはどうだ? 二人とも元気か?」
母さんは涙を拭いながら答えた。
「二人とも元気よ。毎日あちこち走り回って大変なんだから。おかげで家の中はいつもめちゃくちゃ。でも、散々騒いだあとは二人とも疲れて寝ちゃうから、今は寝かせてあるわ」
「ははは。子供が元気なのはいいことじゃないか」
父さんはそう言って笑った。
それから、俺たちは三人で家の中へ向かった。
食堂へ入る前、母さんがふと思い出したように声を上げる。
「あっ、そうそう。今日はあなたが帰ってくるって聞いてたから、特別にご馳走を用意しておいたのよ」
食堂に入った瞬間、いい匂いが鼻をくすぐった。
テーブルには、たくさんの料理が並んでいる。まだ湯気も立っていた。
その匂いを嗅いでいるだけで、腹が減ってくる。
俺と父さんは、ほとんど同時に足を止めた。
「いい匂いだ……!」
声まで重なる。
母さんは満足そうに笑った。
「ふふん。でしょう?」
そう言って椅子を引く。
「ほら、二人とも早く座って」
テーブルの上には、豪華な料理が所狭しと並んでいた。高級料理と言ってもいいくらいだ。
俺と父さんは、ほとんど同時に肉を一切れ取った。
そして、口へ運ぶ。
噛んだ瞬間、口いっぱいに旨味が広がった。
身体がびりっと震える。
思わず唇を噛みしめた。
うますぎる。
想像していたより、ずっと美味い。
結局、俺も父さんも我慢できず、同時に叫んだ。
「うまーーい!」
二人の声が食堂中に響き渡る。まるで、この料理がどれだけ美味しいのかを家中に知らせているみたいだった。
母さんは料理が上手いことで有名だ。
一緒に暮らしているうちに、俺も母さんの料理にはすっかり慣れていた。
だから、今日だけ特別に味が違うわけじゃない。
それでも、今日はいつもより美味しく感じた。
たぶん、家族全員が久しぶりに揃ったからだ。
料理そのものが美味しい。それももちろんある。
でも、最高の食事っていうのは、料理だけで決まるものじゃないんだと思う。
家族がみんな同じ場所にいる。
それだけで、いつもの食事が特別なものになる。
俺がずっと待っていたのは、きっとこういう時間だった。
家族で食事をしていると、父さんがふいに俺へ尋ねた。
「ライアン、最近はエリに勝てたのか?」
俺は思わず父さんを見る。
その顔を見れば、本気で答えを聞きたがっているのがわかった。
けれど、何と答えればいいのかわからない。
俺はただ、父さんを見つめた。
――父さん、見ればわかるだろ。
俺があいつに勝てると思うか?
そんな気持ちを込めて見返す。
父さんは俺の顔をしばらく見ていた。
そして、吹き出した。
「ははは!
その顔を見ればわかる。
まあ、いいさ。
気にするな」
少し笑ったあと、父さんは続けた。
「だったら、これから父さんが剣術を教えてやる」
俺は一気に嬉しくなった。
「本当!?」
「ああ、本当だ。
ただし、五歳になってからだぞ」
父さんがそう言った途端、母さんがすぐに口を挟んだ。
「駄目よ。
この子には私が魔法を教えるの。
すごく才能があるんだから。
それに、あんなに熱心に本を読んでいるんだもの」
父さんは母さんを見る。
「でも、この子には脈も魔力もないだろ?
それじゃ魔法を使えないんじゃないか?」
母さんは引かなかった。
「駄目なものは駄目。
きっと、この子はほかの子より覚醒するのが遅いだけよ。
五歳になるまで待ちましょう」
こうして、父さんと母さんの話はしばらく続いた。
二人が何度も五歳という年齢を口にするのには理由がある。
この世界では、子供が五歳になると、帝国から聖教会の人間が派遣されてくる。
そこで、子供の才能や能力、スキルなどを調べるのだ。
さらに、その子供がどんな役割に向いているのか、これからどんな道へ進むのが適しているのかまで見てもらえる。
そうした鑑定によって、幼いうちから才能を見出される天才もいるらしい。
そう考えると、俺は自分が検査を受ける日が待ち遠しくて仕方がなかった。
自分はいったい、どんな評価を受けるのだろう。
五歳になれば、本当に何かが変わるのだろうか。
その日が来るのが、今から楽しみだった。
食事はそのあとも続いた。
特別な出来事が起こるわけでもない。
ただ、父さんと母さん、それから俺が同じ食卓を囲み、くだらない話をしながら食事をする。
そんな何気ない時間だった。
けれど俺にとっては、たぶんこういう時間こそが、一番幸せなのだと思う。




