表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鬼は花を喰む  作者: 久津原 蒼生
二章
3/4

2-1

『警視庁から各局。新宿署管内、男性同士の喧嘩事案入電中。現場(げんじょう)は新宿歌舞伎町三番通り付近。近い局どうぞ』

「機捜一〇三、若松町より向かいます。どうぞ」

『警視庁了解』


 時刻は夜半過ぎ。自動運転を切った車は、Uターンし歌舞伎町方面へと向かう。

 助手席に座る男――天城蓮(あまぎれん)は、ハンドルを握る相棒の土門楓(どもんかえで)をちらりと見やり、マイクを所定の位置へ戻した。


「酔っ払い同士の喧嘩っすかねぇ」

「それで済めばいいがな」


 新宿歌舞伎町は、指定暴力団・黒峰興業の縄張りでもある。

 余程の事がない限り、一般人がヤクザに難癖をつける、とは考えにくい。

 しかし万が一、というのはどこにでも転がっている。

 楓の言葉の意味を察し、蓮はぶるりと身震いした。


「……楓さん、フラグ立てるようなこと言わないでください」

「いつ如何なる時も視野は広く持つべきだろ」

「それはそうっすけど、楓さんがそう言う時って大抵ろくでもないことが起こるっつーか……」

「なんか言ったか」


 有無を言わさぬ圧力を楓から感じ、蓮は「なんでもありません」と、首を横に振る。


 若松町から新宿歌舞伎町まで車で約八分。雑談に応じている間に現着した二人は、車から降り、件の口論をあっさりと仲裁した。

 二人ともサラリーマン。きっかけは仕事の愚痴が発展した口論。車内で想像した暴力団絡みの言い争いではなく、大事にならなかったことにほっとした。


「新宿署に報告上げて分駐所に戻るぞ」

「今日は仮眠取れますかねぇ」

「さあな」


 それこそフラグだろ、と楓は内心毒づき車へ戻る。

 運転は蓮へ任せ、助手席側へ回り込んだ楓が車へ乗り込もうとしたその時。


「うぐ、ぇ……」


 という女性の声が耳に届いた。


「……楓さん?」

「ちょっと待ってろ」


 訝しむ蓮をその場に残し、楓は声がした路地裏へ足を向ける。

 ゆっくりと近づくにつれ、シルエットがはっきりしてきた。

 古めかしい着物を纏った髪の長い女が、衣類が汚れることも厭わずコンクリートに蹲っている。

 うめき声の合間にびちゃびちゃとした水音。

 飲み過ぎて吐いているのか――そっと肩に手を伸ばすと、びくりと女の身体が震えた。

 

「っ、つばき……?」

「いえ、警察です。大丈夫ですか?」

「え、あ……」


 楓と女の目が合った。

 大人とも子供とも言えない、あどけなさを残す面立ち。不安げにその目は震えており、嘔吐の所為か、顔が液体にまみれ、ひどく乱れていた。

 拭くものを、とハンカチを差し出すと、彼女は無言で受け取り涙を拭う。

 が、再び込み上げるものがあったのか、おえ、と嗚咽くとコンクリートへ再び嘔吐した。


「天城、コンビニで水とタオル買って持ってきてくれ」


 楓が無線で呼びかけると、了解、と短い返答がイヤホンに届く。

 女は吐き続け、楓を見ることもない。少しでも落ち着くように、楓は背中を擦ってやっていると、ぞく、と背筋が凍るような気配が襲った。


「触るな」


 背後から鋭い声が飛ぶ。

 硬質で、やや高い女の声。


 楓はゆっくりと振り返った。通りのネオンが逆光になり、表情をはっきりと捉えられない。

 だが、二つの赤い目は爛々と光っており、その眼光に楓は思わず身構えた。

 から、ころ、と下駄の足音がゆっくりと近付く。女はその足音に顔を上げた。


「……あ、つばき」

「ふん、みっともなく吐きよって。少しは人の目とやらを気にしたらどうじゃ」

「そんなこと言ったって、匂いが……」

「……匂い?」


 吐いていた女の言葉に、楓はわずかに鼻を動かした。

 鼻孔に入ってくるのは生ごみと吐瀉物の匂い。

 これで気持ち悪くなったのか、と楓は合点した。


 〝つばき〟と呼ばれた女は、吐いていた女の知り合いらしい。

 吐き気は収まったのか、彼女は楓の存在など気にも留めず立ち上がる。ふらふらとした足取りで路地を出ていこうとする二人に、ちょっと待って、と楓は声を掛けた。


「君ら、未成年だよね? ちょっと、話いいかな」

「……あ?」


 少女らは足を止める。が、振り向いたのはつばき、と呼ばれた女だけだ。さっきまで感じていた寒気とは異なる、足が竦むような、冷たい殺気。

 つう、と首筋を冷や汗が伝う。見逃すのは簡単だ。だが、ここで逃がせば職務不履行になる。警察として、それだけは許せなかった。


 ごくりと生唾を飲みこむ。ここで指一本でも動かせば首が飛ぶ。


 さてどうするか――極限の状況下で必死に思考を回転させていると、女二人の奥に人影が現れた。


「楓さん、これどういう状況っすか」


 不思議そうな様子で、買い物袋を片手にぶら下げた蓮の姿。

 突然現れた第三者に、楓へ向けられていた殺気が霧散する。ほっと無意識に胸を撫で下ろすと、小さな舌打ちが聞こえた。


「……仲間がおったのか」

「生憎、機捜なんでね」

「……キソウ?」


 椿の手がぐ、と握り込まれるのが見えた。

 蓮に目配せし、二人揃って尻ポケットへ手を伸ばす。

 仕舞い込んだ特殊警棒。暴行に出るなら公務執行妨害で現行犯逮捕。従うなら補導。

 どちらにせよ、確保は可能だ。

 わずかに腰を落とし、殴り掛かろうとする気配に合わせて柄を握り込む――その瞬間、女の手が椿の袂を掴んだ。


「椿、駄目」

「指図するな。黙らせるだけだ」

「絶対駄目」


 先程まで吐いていた女とは思えないほど、そこには、はっきりとした強い意志があった。

 椿は彼女の手を払いのけると「勝手にせい」と顔を背ける。

 ふう、と女は息を吐くと、楓と蓮に視線を巡らせた。


「……刑事さん、おとなしく従います。なので、」


 妹の愚行を、許してください。


 深々と下げられた頭に、張り詰めていた空気がわずかに緩んだ。

 楓は警棒から手を離し、蓮もそれに倣う。


「ここじゃなんだから、車まで来てもらえるかな」

「悪いようにはしないんで」


 二人揃って胸ポケットから警察手帳を出す。相手に見える位置で開くと、女はそれを一瞥し、小さく頷いた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ