表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鬼は花を喰む  作者: 久津原 蒼生
二章
4/4

2-2

 遡ること数刻前。


 菖蒲が目を覚ましたのは、新宿御苑にあるエドヒガンの樹の下だった。


「……どこ、ここ」


 遠くに聞こえる車の走行音。視界には満開の桜とすっかり更けた空。ぞわり、と寒気を感じて菖蒲は腕を擦るが、暗闇の中でぼろぼろになった服とは一変し、着慣れない着物に身を包んでいることに気が付いた。

 ゆっくりと起き上がり、暗がりの中で必死に目を凝らして自分の身体を確認する。

 白地に紫の花が控えめに裾や袂に刺繍された着物。捥がれたままだった筈の片腕は無事で、べっとりと身体に纏っていた血は消えてさっぱりしていた。触れた髪にも、血の感触はなかった。


「あ、」


 ふと、椿はどこに行ったのかと辺りを見回す。周囲に人の気配はない。

 小さな声で椿を呼んでみても返事はない。


 もしかしたら、別のところに飛ばされたのかもしれない。


 よろめく足で立ち上がり、草木をかき分けながら歩き回る。

 程なくして、探していた椿の姿は見つかった。


 赤い花が複数、丸ごと落ちている木の下。投げ出されたように横たわる姿。

 月明かりに照らされ光る白銀の髪は、はっ、と息をのむほど美しく、菖蒲は声を掛けるのも忘れて食い入るように見つめた。


「……」

「……なんじゃ。そう熱い視線を向けられては、おちおちゆっくり眠れんじゃろう」

「寝ないでよ、こんなところで」


 起きていたらしい。

 のそりと身体を起こし、首をほぐす椿の傍へ菖蒲は歩み寄りその身体を観察する。

 菖蒲と同じ着物。ただし、あしらわれているのは赤い花だ。


「で、ここはどこじゃ」


 ぶっきらぼうに菖蒲に問いつつ、椿は起き上がる。ぐう、と伸びをすると椿の背骨がぼきぼきと小気味よい音を立てた。


 ここがどこか、なんて、菖蒲の方が知りたい。

 けれど、鬼だった椿よりも、まだ菖蒲の方が地の利がある。

 文句を飲み、菖蒲は周囲を観察すると、遠くにガラス張りの建物が見えた。


「少し待ってて」

「なんでじゃ」

「迷子になられたら困るから」


 動かないでね、と釘を刺し、菖蒲は椿から離れ周囲を探索する。

 建物まで近づかずとも、建てられた看板でここがどこなのかを把握することが出来た。


「新宿御苑だった」


 椿の元へ戻りそう告げると、聞きなれない地名に首を傾げた。


「しんじゅく……?」

「新宿。東京の繁華街。おかしいな。私、山梨に居た筈なのに」


 山梨から新宿までは大分距離がある。

 あの暗闇の中を大分歩いたつもりだけれど、そこまで歩いただろうか。


「ねえ、あの暗闇の中って距離の縮尺おかしくなったりする?」

「はあ? わしが知るわけなかろう」

「……それもそうか」


 聞くだけ無駄だった。

 菖蒲は考えることをやめ、強引に椿の手を握った。

 椿一人を放っておけば、人間を食い殺しかねない。ある意味手枷のようなものだ。

 それに、顔が似ているから、不本意ではあるが〝仲の良い姉妹〟に見えないこともないだろう。

 握られた手を鬱陶しそうに振り払おうとする椿を無視し、そのまま明るい方へと向かって歩き出した。





 ◇◆◇




 菖蒲の目的は、とにかく一度家に帰ることである。


「どこへ行くつもりじゃ」

「駅。家に帰らなきゃ」


 深夜の新宿御苑は、出入口が閉まっていた。

 着物が乱れるのも構わず、菖蒲は柵に足を掛ける。かなり四苦八苦した挙げ句、最後は先に軽々と柵を飛び越えた椿に襟首を掴まれて引き上げられ、ようやく外へ出ることが出来た。

 そこからは、大きな道路に沿って明るい方へ歩く。

 暗い空を明るく照らすほどのネオン。菖蒲はこの時間帯の新宿に足を踏み入れたことはないが、多分合っているだろうというヤマ勘だった。


 新宿まで行けば駅が確実にある。良くて終電。最悪始発までやり過ごせば家に帰れる、というわけだ。


「家、のう……」

「何よ」

「うぬの家族に会えたとして、我をなんと説明するつもりじゃ?」

「あ……」


 すっかりと失念していたことに、菖蒲の口があんぐりと開く。

 私の事を食糧にしていた鬼です。――そんな説明を両親になんてとてもできない。

 同じところで囚われていた女の子です。一緒に逃げてきました。――これだ。


「一緒に逃げてきた子、とでも説明するよ」

「逃げてきた?」

「誘拐……一緒に人さらいの被害にあった子、って説明すれば父さんと母さんは納得してくれる」


 もとより、心優しい父と母だ。急に娘が帰ってきて知らない子を連れていたら驚くかもしれないが、それなりの理由をでっち上げれば、信じて暫くの間家に置いてくれるだろう。


 しかし、椿はふん、と鼻で笑った。


「八雲の家に匿われると? この我が」

「他に行き場ないでしょ。文句ある?」

「否、皮肉なものだと思ってな」

「皮肉……?」

「なに、こちらの話だ」


 履きなれない草履に四苦八苦しながらも、ゆっくりとした速度で二人は歩く。

 通常の倍の時間をかけて到着した新宿で、菖蒲は現実を突きつけられた。




「……え」


 道行く人々が持っている見慣れない端末。画面ではなくホログラムで表示された看板。

 道や店の感じは自分が把握している新宿と相違ないが、様相や状況が明らかに一変していた。


「なに、これ」

「随分と眩しいのう。なんじゃあの明かり。提灯か?」

「……わかんない」


 耳に飛び込む雑多な会話は日本語だけれど、まるで異国に迷い込んだような焦燥感が菖蒲を襲う。

 ……時間と日付が知りたい。


 人の波に流されはぐれないよう、椿の手を強く掴み、菖蒲はずんずんと足を進めた。

 目指すはコンビニ。時計が設置されているし、新聞があれば今日が何日なのかを把握することが出来る。

 けれど、向かう足を椿が止めた。


「待て」

「っ、なに?」


 強い力に思わずつんのめりそうになって、かろうじて踏みとどまり、椿の方を見る。

 椿の視線は、狭い路地の方に縛り付けられていた。


「ふん、こざかしい真似をしおって」

「なん、」


 なの?

 言葉を言い切る前に、途轍もない匂いが菖蒲の鼻腔を刺した。


 妙な甘ったるさの後に続く、身の毛もよだつほどの腐臭。生ごみとカビに蜂蜜を掛けたような、途轍もなく鼻が曲がる臭い。


「っ……」

「少し待っておれ」

 手を振り解き奥へ進もうとする椿の袂をぐ、と掴む。

 反対の手で鼻を覆っても、臭いは消えず菖蒲を刺激した。

 ぐう、と胃の中からせり上がる何かを必死に飲み下そうとしても、喉元までせり上がったものは、もう戻ってくれない。


「っ、つばき、」


 何とかこらえて椿を呼ぶが、知ったことか、と菖蒲の手を払い椿は奥へ消えた。





「身分証、持ってるかな」

「……ありません」


 警察の二人に連れられてやってきたのは、彼らの車の中だった。

 銀髪の刑事――蓮に渡された水のペットボトルを空にしたところで、黒髪の刑事――楓の言葉に、菖蒲は表情を曇らせた。

 桜に飲まれたあの日、スマホ以外の荷物は全て父の車の中に置いてきた。持っていた筈のスマホすら、今菖蒲の手にはないのだ。

 椿は菖蒲に任せきりで、沈黙を貫いている。


「じゃあ、名前と生年月日と住所を教えてくれるかな」

「……八雲菖蒲。妹は椿です。誕生日は五月三十一日。椿は三月二十日生まれです。住所は……」


 記憶にある住所を伝え、菖蒲は口を閉ざす。

 しかし、楓はメモに目を落としたまま、怪訝な顔で二人を見比べた。


「……年齢と生まれ年は?」

「……すみません、ちょっと、覚えてなくて」

「年齢も分からない?」

「……色々あって、記憶が、混同してるというか」


 あながち嘘ではない。

 俯き、所在なげな菖蒲の様子に、楓は小さく息を吐くと、菖蒲の情報を走り書きしたメモを蓮へと手渡した。

 受け取った蓮が車から降りて、どこかへ連絡を取る様子をぼんやりと眺めていると、さて、と楓が仕切り直した。


「君らくらいの歳の子が、こんな時間に出歩いているのは感心しないな」

「……色々、訳アリで」

「……訳あり?」

「うまく、説明できないんですけど……」


 言葉を濁すと、楓は逡巡した後、これ以上詰めるつもりはないようで、そうか、と呟いた。

 新宿歌舞伎町の裏路地で吐いていた。訳アリに見える状況は十分だろう。その所為か、車の中は沈黙で包まれている。

 

 これからどうしよう。とりあえず警察なら電車賃の融通が利くかも。それから……、と思考を巡らせていると、助手席側の扉が開いた。


「楓さん、ちょっと」

「ああ」


 呼ばれて楓が車から降りる。

 車内は菖蒲と椿の二人きり。漸くだんまりを決め込んでいた椿が口を開いた。


「なぜお前の妹にされねばならんのだ」

「だって、どう見たって私の方がお姉ちゃんだもん」


 身長差は大差ないが、ショートカット程に切りそろえられた髪は幼く見える。その上、胸も控えめな椿は、見た目に限定すれば菖蒲の妹としても違和感がない。


「その古臭い言い回しやめてね」

「無理じゃ」

「じゃあ、せめて人の前ではお姉ちゃんって呼んで」

「断る」


 一人っ子の菖蒲にとって、姉妹や姉弟はちょっとした憧れだった。

 あっけなく無碍にされ意気消沈していると、車内に二人が戻ってきた。


「申し訳ないが、二人には一度署に来てもらう」

「え……」


 楓の言葉に〝逮捕〟の二文字が過ぎり、さあ、と顔が青褪める。

 心許なく椿の手を握ると、それを見た楓は慌てたように逮捕じゃない、と否定した。


「少年課で保護してもらうだけだ。ご家族と連絡が取れなくてな」

「……」

「この時間だし、朝まで一度署で休んでもらって、それからご家族に連絡を取る。ちゃんと少年課の人間が対応するから安心してほしい」

「……天城さんと、土門さんは……?」

「俺たちは機捜なの。家出少女の世話係じゃない」

「天城」


 威嚇するような蓮の物言いに、楓が厳しい声で名前を呼ぶと、しゅんとへこたれたように蓮は「……すみません」と呟いた。

 蓮の様子に一応納得したようで、楓はそれ以上咎めず、車のエンジンを掛け新宿署へと走らせる。

 助手席の蓮は気を取り直したようにマイクを手に取ると、無線で呼びかけた。


「機捜一〇三より一機捜本部」

『機捜一〇三どうぞ』

「新宿歌舞伎町内にて未成年二名を保護。人定確認できず。新宿署へ引き渡す」

『一機捜本部了解』


 〝人定確認出来ず〟――その言葉の意味は理解できなかったが、言い表せぬ不安が菖蒲の胸中を占める。

 静かに走る車の中。椿は手を握るでも振り払うでもなく、菖蒲の好きなようにさせていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ