258 長い歩み
――衝撃的な手紙を受けとった次の日。
明日からは土曜日である。
つまり、休日だ。
なんなら、金曜日の夕方からは休日である。
いわゆる華金というやつだ。
アリアたち補助教官は、ハリル士官学校の敷地内に住んでいる。
とはいえ、金曜日の夕方から、外に出ようと思えば、出ることが可能だ。
そんな金曜日の夕方。
アリアたち補助教官一同は、ハリル士官学校の校門近くにいた。
「……何が悲しくて、休日に行軍なんてしないといけませんの。ゆっくり休みたいですわ」
エレノアは、背負っていたリュックを地面に下ろす。
ドンと鈍い音が周囲に響く。
「どうせ、寮にいるだけではないですか。ベットでゴロゴロしているだけなら、運動をしたほうが良いですよ」
「お金がないから、しょうがありませんの! それに、運動は平日にしていますわ! だから、休日は、ゆっくりと休みたいですの!」
エレノアはプンプンし出す。
ただ、それも長くは続かない。
行軍前なので、体力を温存したいようだ。
「……なんだか、始まる前から疲れてきました。120kmを歩くのは、さすがにしんどいですよ。しかも、休日ですし」
エレノア同様、アリアは荷物を下ろしていた。
目線の先には、ハリル士官学校から帰っていく軍人たち。
明日からは土曜日なので、皆、心なしか嬉しそうな顔をしている。
校門の近くで、鬱屈とした雰囲気をかもしている集団とは大違いだ。
「……アリア。休日と考えるのは、やめますの。明日も、明後日も、平日と考えたほうが良いですわ」
サラは、もはや現実逃避を始めていた。
休日に、120kmも歩かされる。
しかも、重いリュックを背負って。
現実から逃げたくなるのは、当然であった。
40kmの行軍でも、心が折れそうになるほどキツイ。
その3倍である。
キツさが限界突破してしまっていた。
「はぁ……頑張るしかないな」
エドワードは、疲れた顔でため息をついてしまう。
その近くでは、学級委員長三人組が、荷物の最終確認をしている。
アリアたち補助教官は、ミハイルが来るまで、各々、必要だと思う行動をしていた。
そんなこんなで、数分後。
「お! もう、勢ぞろいしているみたいだね! やる気十分でなによりだよ!」
リュックを背負ったミハイルが、アリアたちの前に現れる。
(団長はいつも通りだな。というか、リュック、大き過ぎないか? パッと見て、私たちが背負うリュックの2倍くらいの大きさがありそうだ。それが、まったく揺れていないのだから、相当な重さがあるのだろうな)
アリアは、黙ってミハイルを見ていた。
他の面々も、特に発言はしない。
静かなものである。
「ウンウン! 120km行軍だからね! 緊張しているのは分かるよ! あ、君たちに聞きたいのだけど、一泊二日と二泊三日、行進訓練の日程はどちらが良い? ちなみに、僕は、一泊二日のほうが良いな! 日曜日は休みたいしね!」
ミハイルは、アリアたちに確認をとった。
(たしか、当初の予定だと、二泊三日だったよな? 休憩を挟んで、40kmずつ歩くハズ。それが、一泊二日になるってことは、単純に60kmに伸びるのか。だとすると、歩く速度も速くなるな。さらなるキツさをとるか、休日をとるか、悩みどころだ)
アリアは、ムムム顔になってしまう。
そんな中、ステラが、すぐに口を開く。
「一泊二日が良いです。来週から、2週間、訓練場で野営なので、休日はあったほうが良いと思います」
「ワタクシも、ステラの案に賛成ですわ! 日曜日は、ベットでゴロゴロしたいですの!」
エレノアも、すぐに賛同をする。
キツさよりも、休日を優先しているようだ。
そんな中、エドワードは、違う意見を表明した。
「僕は反対だ。単純計算で、一日、60kmを歩かなければならない。相当な強行軍になるのは、たしかだろう。それだけケガの危険性も高まる。来週からの野外訓練に差し障りがないよう、二泊三日のほうが良いと感じる」
休日よりも、ケガの心配をしているようだ。
学級委員長三人組も、エドワードと同じ意見なのか、静かにうなずいている。
賛成と反対。
一同の視線は自然とサラ、アリアに降り注ぐ。
「ワタクシは、どっちでも良いですわ。キツイことに変わりはありませんの。皆の決定に従いますわ」
サラは、中立のようだ。
なので、決定はアリアにゆだねられる。
「私は日曜日だけでも、休みたいです。疲れたまま野外訓練に突入するのは、あまりよくない気がしますね。それに、大変なことは、さっさと終わらせたほうが良いと思います」
「よし! 多数決で、一泊二日の案に決定だね! ちょっとキツイかもしれないけど、頑張ろう! あ! 先導は、僕がするから! これからのことも決まったことだし、さっさと出発しようか! 時間は有限だよ!」
ミハイルはそう言うと、歩き出す。
いや、この表現は正しくないだろう。
正確には、ゆっくり走っていた。
(……この速度で、進むのか。二泊三日のほうが良かったかもな)
アリアは、始まったばかりだというのに、後悔してしまう。
ミハイルの後を、アリアたち一行は、ほぼ走りでついていっていた。
――土曜日の朝方。
アリアたちは、なんとか60kmを進むことができた。
王都ハリルを囲んでいる壁に沿って、ひたすら歩いた結果である。
起伏はあまりないが、相当なツラさであった。
現在は、王都ハリルの近くにある森の中で休憩中だ。
7月の強い太陽光を避けるためである。
「ふ~! 普通に疲れた! それじゃ、僕は寝るから! 何かあったら、起こしてね!」
ミハイルはそれだけ言うと、リュックを枕にして、そのまま地面で寝始めた。
対して、アリアたちはというと、日陰で食事をしている。
「……とりあえず、60kmは進みましたね。半分は終わりましたよ……」
アリアは、パンをほおばっている。
ただでさえ、脱水気味なのに、口の中の水分が持ってかれてしまっていた。
「……歩きというか、普通に走りでしたの。よく60kmも、ついていけたと思いますわ」
サラは、少しやつれている。
「しかも、夜とはいえ、夏の暑さがありますからね。結構、汗をかいてしまいました。まぁ、でも、あと60kmですから。乗り切ったら、休みですよ」
ステラは、比較的、前向きであった。
「…………」
一言も発さないエレノアよりは、状態が良さそうだ。
「……分かってはいたが、かなりキツイ。途中、脱落したい衝動が強かったな。とはいえ、部隊に戻れば、小隊長だ。全体を見なければいけないのに、脱落するのはあり得ない。それが、心の支えになってくれた」
エドワードは、素直な気持ちを吐露する。
学級委員長三人組はというと、ウンウンとうなずきながら、食事をしていた。
(……正直、もう限界だ。これから、仮眠をとるとはいえ、この暑さだからな。満足に休めるか怪しい。森の中で休めることだけが救いだ。去年のローマルク王国南部の森林地帯を超えるのも、しんどかったけど、今回のも勝るとも劣らないキツさだな。とりあえず、さっさと寝よう)
アリアは、仮眠の時間を少しでも確保すべく、パンと干し肉を口に詰め込む。
残りは、あと60kmである。
中々、絶望的な距離であった。
――土曜日の昼間。
仮眠から目覚めたアリアたち。
だが、その顔は優れない。
(……さすがに、睡眠時間が短過ぎる。それと、食事の問題もあるな。パンと干し肉だけでは、体力回復も限界がある。多少、マシになったとはいえ、厳しい歩みになりそうだ)
アリアは、眉間にしわを寄せてしまう。
ミハイルを見つめる面々は、誰も口を開こうとしない。
「よし! あと、60km! 疲れていると思うけど、頑張っていこう!」
ミハイルはそう言うと、森を出発する。
もちろん、ゆっくとした歩みではない。
小走りである。
そんなミハイルの後ろを、半分死んでいる面々がついていく。
誰も、余計な言葉を発さない。
一歩一歩、脱落しないように踏みしめていた。
そんなこんなで、数分後には、王都ハリルの外壁に沿って、行進が開始する。
(……なんで、夏の日差しは、こんなに暑いのだろう? もっと涼しかったら、良かったのに……)
夏の日差しが、アリアたちを襲っていた。
――時は飛んで、日曜日の朝。
ハリル士官学校は、静かであった。
平日であれば、入校生たちが、点呼の後、走ったりしているので、それなりの喧騒がある。
ただ、休日は、入校生も休んでいた。
そのため、静かなものである。
そんなハリル士官学校に近づく集団がいた。
「ほら、君たち! あと少しだよ! 最後の気力を振り絞って!」
ミハイルの軽快そうな声。
対して、ついていく面々は、必死の形相である。
もう、小走りですらなかった。
普通に疾走である。
アリアたちは、息を荒げながら、ついていくだけで精一杯であった。
(あと少しが遠い! 校門が見えているのに! 早く到着してくれ!)
半泣きになりながら、アリアは走っている。
ステラでさえも、苦悶の表情を浮かべていた。
そんなこんなで、3分後。
「いや、やっぱり、120kmの行進訓練はしんどいね! 普通に疲れたよ! それじゃ、残りの休日を楽しんでね! 解散!」
校門に着くなり、ミハイルはそう言うと、どこかへ行ってしまった。
アリアたちはというと、校門の近くで動けなくなっている。
「……さすがに、厳しい訓練でしたね。動けるようになるには、時間がかかりそうです」
ステラは、リュックを背にして、地面に座っていた。
他の面々は、口を開く元気すらない。
エレノアに至っては、顔を地面につけて動けなくなっている。
土下座の格好だ。
(……こんなのを毎年やるのか。ヤバいな、近衛騎士団。歩いている最中、何度、近衛騎士団を辞めたいと思ったか。100kmも歩くとか、普通にあり得ないよ。いつか訓練で死にそう……)
アリアは、水筒の残りを一気飲みする。
と同時に、体中から汗が噴き出す。
だが、そんなことは問題ではない。
死にほどの疲れに比べれば、である。
外側から見れば、アリアたちは、敗残兵のように見えただろう。
それだけ、ひどい状態であった。




