敗北、成長
五日後、コーツ邸の廊下にて、グレンさんと一緒に歩いていた女中姿の桧垣さんと出会う。
「ほっほ~、いいねぇ」
「に、似合うかな?」
薄いブルーのワンピースに純白のエプロン。
エプロンの下の端にはカーテンのようなフリル。後ろはリボンの形をした結び目。
首元には、コーツ家の紋章を写し込んだブローチを留め金にしたスカーフ。
頭には真っ白のフリルの付いたカチューシャ。
……素晴らしい、実にメイドです。
「いや~、たまりませんなぁ」
「あの、佐藤君。あんまりじろじろ見られると、恥ずかしい……」
「ヨシト、キョウカが困っています。涎を拭きなさい」
「え、出てる?」
慌てて口元に手をやるが、別によだれなんて垂れていない。
おのれ、グレンさんっ。
桧垣さんはメイド服に包まれて、照れながらもスカートをふわりとして舞っている。
彼女の元気な姿を見ていると、助け出すことできて良かったと、心から噛み締めることができる。
青白かった顔も、みずみずしいピンク色。
怯えていた表情は、学校で見せていた朗らかな笑顔に変わっている。
手足にはまだ傷が残っているけど、痕が残るほどひどいものではないらしい。
時の経過とともに、傷は癒えていく。
願わくば、心の傷も癒えてくれるとうれしい。
「今日から、仕事?」
「うん、いろいろ覚えなくちゃ。佐藤君は?」
「俺はまだ休暇中。なので、ゴロゴロします」
「あんまりごろごろし過ぎると、身体に悪いよ」
「気を付けるよ」
「キョウカ~っ」
話をしていると、桧垣さんを呼ぶ女中さんの声が聞こえてきた。
「あ、いかなくちゃ。またね、佐藤君」
「うん、また」
彼女は早歩きで呼ばれた場所へ向かう。しかし、途中で足を止め、こちらへ振り返る。
「佐藤君。本当に、本当にありがとう」
瞳にうっすらと涙を乗せる桧垣さん。俺は小さくこくりと頷く。
桧垣さんは小さな動作で目を擦って、前へと歩いていった。
「う~ん、よしっ!」
彼女の背中が見えなくなったところで、グッと背を伸ばして、両手でガッツポーズを決める。
グレンさんが背後から俺の肩に手を置き、労いの言葉を口にする。
「頑張りましたね。お疲れ様です」
「いえ、そんな……でも……」
「どうかしましたか?」
「たしかに桧垣さんは救えた。でも、結果は全面敗北です」
「なぜ、そう思うのですか?」
「終始、ディルに上を行かれました。たまたま俺には、彼を制するカードがあっただけです。自分の考えの浅はかさを、まざまざと見せつけられた感じですよ……」
俺はディルに対して警戒心を抱いていた。
しかし、全く足りていなかった。
ザドムへの橋頭保を得ることで、ディルは満足するだろうと思い込んでいた。
しかし、彼の持つ欲と野望は、俺の思考を凌駕していた。
シフォルト伯爵というカードが無ければ、俺は負けていた。
いや、戦いにすらなっていなかった。
ディルの持つ能力の前に、俺の力では傷一つ付けられなかったのだ。
手の平を広げて、あの日の夜、時津亭の一室で握り締めた爪の痕を見る。
もちろん、すでに痕などは残っていない。
しかし、痛みははっきり覚えている。
(シフォルト伯爵は俺を評価してくれたけど、全然ダメダメだよ)
ジッと、無言で手の平を眺める。
己の無力さ痛感していると、グレンさんが口調柔らかく語りかけてきた。
「あなたの勝ちですよ、ヨシト」
「え?」
「あなたには次がある。しかし、ディル様には次はない。あなたの未来は閉ざされていない」
「未来、か……」
今回の件で失脚したモールの後釜にディルが座った。
まだ若い彼の相談役には、シフォルト伯爵が……。
ディルは、シフォルト伯爵の管理下に置かれ、傀儡として一生を終えるだろう。
だが、俺はディルとは違い、明日はまだ定まらず。
「そう、ですね。落ち込むのはここまでにして、今回の経験は良い経験として胸に収めておきます」
「それで良いと思いますよ。そうそう、話は変わりますがキョウカのことで少し」
「なんですか?」
「これからキョウカには色々と仕事を教えていきます。ですが、不慣れなことも多いでしょう」
「まぁ、そうですね」
「ええ、ですので、徐々にコーツ家に溶け込めるよう指導いたしますから、ご安心を」
「え? その必要はないんじゃないんですか?」
「はい?」
「ショピンの仕事場と比べれば、ここは遥かにいいところですよ。仕事量は多いけど。だから、徐々になんて必要ない。ここのいいところをどんどん桧垣さんに渡しましょうよ」
俺は首を上げて、背後から肩に手を置いているグレンさんを見上げる。
すると、何故かグレンさんは、眉を大きく上げて目を見開いていた。
「え、なんです? どうしました、怒ってます?」
「いえ、怒ってなどいません。驚いただけです」
「驚くようなことありましたっけ?」
「そうですね、そのようなことはありません。私はあなたがまだ、15という少年だということを忘れていました」
「はぁ?」
「ザドムの夜に、あなたは何を得て、何を足りないと感じたのかは私にはわかりません。しかし、あなたは着実に前へ歩んでいる」
グレンさんは俺の正面に立ち、少し屈んで目線を合わせる。
「ヨシト、成長しなさい。そして、何者も寄せ付けない場所へ向かうのです」
「え、はぁ、わかりました」
何のことかわからないけど、わかったふりをした。
言葉の意味を全く理解していないことは、グレンさんも気付いている様子で、困ったような笑顔を見せる。
グレンさんは視線を自分の位置に戻すと、俺の肩を軽く叩いて去っていった。
(ん~、なんだろ? よくわかんないね……何者も寄せ付けない場所かぁ。行きたかったんだけどねぇ~。ああ~、シフォルト伯爵の忠告が的中しやがったから……)
伯爵の忠告。
『金貨五千枚、台無しになるかもね』
まさに、そうなってしまったのだ……。




