震える拳、諫める心
狂乱の一夜の幕が下りる。
ショピンとディルは、シフォルト伯爵の部下によってどこかへ連れて行かれた。
残った俺たちは、時津亭へ向かう。
ギジョンとギュン&ボルグは、夜も遅く疲れもあり、早々と部屋へ引っ込んだ。
桧垣さんも同じく、別の部屋で休んでいる。彼女が安心できるように、シフォルト伯爵は女性の騎士を一人傍につけてくれた。
ゲラガさんはショピンの残党が無茶する可能性があるため、寝ずの番をすると申し出てくれて、一階の食堂で目を光らせている。
俺はというと、シフォルト伯爵と二階の一室で旧交を温めていた。
「シフォルト様は、こんなところ初めてでしょう?」
「うん? いや、若いころは父に見つからないように、こういった歓楽街で遊び惚けてたよ」
「あんたもかいっ」
「なに?」
「いえ、なんでもないです」
(グレンさんといい、若いころに遊び過ぎだろっ。どうしたら、こんなに落ち着くんだ?)
シフォルト伯爵は窓辺に立ち、外の風景に目を向けている。
見ている方向は港。
歓楽街以外、灯りらしい灯りもない闇に呑み込まれたザドムでは、満足に夜景など見えやしない。
それでも、港に停泊する船から発せられる粒のような灯りは目にすることはできた。
俺も窓へ近づき、港へと顔を向ける。
船はもちろん見えない。
しかし、シフォルト伯爵が乗ってきた船が港には確かに存在する。
ここでふと、以前抱いた謎が頭をよぎった。
「鉄の船……」
「どうかしたかね?」
「いえ、グランツェには鉄でできた船が浮かんでたのに、他では見かけないなって」
「ああ、あの船はロリオーヌ帝国のものだからね。ロリオーヌは他の国家と比べて、魔導も技術も数歩先を歩んでいる。その力で彼らは世界の支配者、いや違うな……管理者気取りだ」
闇の先にある船を見つめながら、伯爵は僅かに下唇を噛んだ。
彼があからさまに嫌悪感を表す姿は初めて見る。
これ以上、この話題に触れるのはやめておこう。
俺は話題を自分のものへと切り替えた。
「船で、来たんですよね。もっと早くこれなかったんですか?」
「これでも急いだつもりだけどね。間に合ったから問題ないだろう」
「あと一歩遅かったら、下手すりゃ一生ディルの奴隷になってたかもしれないんですよっ」
「ホントに君は遠慮ないなぁ。ひとこと言わせてもらうと、遅くなったのは君のせいなんだよ」
彼は懐を弄りつつ、俺を非難する。
懐から麻の布袋を取り出して、こちらへ手渡す。
袋にはギジョンに預けた二枚目のメモ用紙がくっついていた。
「もしかして、花の種?」
「そうだよ。君がエルフの少女ためにプレゼントを用意したいってギジョン君から聞いたから、私自ら、グランツェの花屋から珍しい花の種を選んだというのに」
「それで、遅れたと?」
「ああ」
(このおっさんは~)
のんびりと花屋の前で種を選んでる伯爵相手に、ギジョンが焦りながら、ザドムの町に向かうよう必死に促している光景が目に浮かぶ。
「いや~、ヨシトは凄いね。大変な時だというのに、女性のプレゼントを気に掛けるなんて」
「余裕があればってことで、ギジョンにお願いしてただけです。誰も、伯爵に頼んでないっ。てゆーか、大変な時だとわかってるんなら、さっさと来て下さいよっ」
「ははは。しかし、君もなかなかやるねぇ。エルフの少女だけではなく、ヒガキという女性まで、若いのに悪い男だ」
「若いころ歓楽街で遊んでた人に言われたくない。それに二人とはそんなんじゃないし……駆け落ちの騒動の件もあるし、俺は自分のことだけで精一杯ですよ」
貴族たちが起こした下らない珍騒動。
この騒動のせいで、俺はフィネルリアから圧力をかけられている。
自分の現状を思い描いて、力なく首を横に振っていると、伯爵は気の抜けた声を漏らした。
「おや、まだ気づいてなかったのかい?」
「なにがです?」
「君が命を狙われているなんて、嘘に決まっているじゃないか」
「……はっ?」
「たしかに駆け落ち騒動に身分の低い者が関わっているのは不名誉なことだが、そんなことぐらいで人を殺めていたら、世界から人がいなくなってしまう」
「え、だって、フィネルリア様が手紙で」
「たしかにフィネルリア夫人は君のことを知っているが、単純に感謝しているだけだよ。手紙は私の偽造だし」
「はぁ~? なんで、そんなことを?」
「駆け落ちの問題をいともあっさり片付けた君を見て、私は感じたんだよ。君には無理難題を与えた方が成長するのではないかと。しかし、私の下ではそのような問題は起こりにくい。そういうわけで、立場上、理不尽な問題に巻き込まれそうなコーツ君に君を預けることにしたんだ」
「え、何を言っているか意味が? なんで、俺の成長を伯爵が?」
「それは、秘密……私が何を目指しているのか、よ~く考えてみることだね」
指先をこめかみの近くまで持ってきて、指をくるくる回している。頭を回転させろと言うことらしい。
だけど、そんなこと言われても、変人のおっさんの考えなど凡人の俺に分かるはずもない。
「わかるわけないでしょう、そんなもん。だいたい、成長を促したいならコーツ様の屋敷に出向だけで十分でしょう。なんで命の危機まで煽ったんです?」
「そっちの方が面白いと思って。毎日、緊張感あって楽しかっただろう」
「はぁああ!?」
このおっさん、ふざけてんのか? いや、ふざけてんだろうな。俺の気持ちなんて、何とも思ってない。
駆け落ち騒動以降、フィネルリアの手紙の内容に恐れを抱き、ある日突然、なんてことを幾度も想像していた。
どれだけ、怖かったと思ってんだ! それなのにっ!
右手の拳に力が入る。力の集約された拳は小刻みに震える。
シフォルト=サン=アルフィーネは、怒りに震える拳を見て、薄く笑う。
「私を殴りたいか。構わないよ。殴りなさい」
両手を広げて、彼は無防備に身体の正面を俺に向けた。
今、殴りかかれば、殴らせてはもらえるだろう。
しかしっ。
氷の微笑を前に、猛った拳を諌めた。
(殴らせてはくれるけど、この人はその行為を許す気はない)
先程まで、岩のように固めていた拳を広げて、手の平をジッと見る。手の平には爪が食い込んだ跡が残っている。
「むかつく……」
「よく、我慢したね。感情に支配され、自身の行動を見誤ることなく……」
「……コーツ家に来なければ、桧垣さんに出会わなかった。救えなかった。だから、あんたの気まぐれに感謝しますよ。今は……」
「今は、か……私に向かって、拳を握れる人間なんてそうはいない。君はその場所に立った。自分の成長を誇りに思いなさい」
「誇りに思いなさいって、あんた何様だっつうの」
「伯爵様だよ」
「ふん、いつかボコボコにしてやるからな」
「楽しみにしているよ。その時こそは、サトウヨシトを対等のパートナーとして迎え入れたい」
「パートナー? なんの?」
伯爵は指先を頭に向けて、くるくると回す。
「考えろってことですか。秘密主義者は嫌われますよ」
「はは、そうだねぇ。じゃ、一つヒント。今日という日は最悪だった」
「はぁ?」
「ん~、おまけのヒントを追加しよう。今日という日は現実だ」
「わけわかんなんですよっ」
「ま、ゆっくり考えてごらんなさい」
彼は俺から視線を外すと、扉へ向かって歩き始めた。
「船に戻るんですか?」
「いや、ゲラガが寝ずの番を頑張ってくれているのだろう。私は彼の話し相手をね」
「今後のザドムのことですか?」
「まぁね」
「年なんだから、ちゃんと寝ないと、ポックリ逝きますよ」
「君はぁ~、ほんっとに、口が悪いねぇ」
「さーせん。最後に一つ聞いてもいいですか?」
「ディル君のこと?」
「はい。ついでにモールの扱いとショピンの扱いも~っと、やっぱいいです」
これ以上の踏込みは勇み足だ。すでにこれらの案件は、シフォルト伯爵の預かりになっている。俺が知る必要のないことだ。
俺は首を小さく左右に振る。
扉の前では、伯爵が笑顔を浮かべながら、こちらを見つめ佇む。
「相変わらず、迂闊だね。ヨシトは」
「返す言葉もないです」
「ふふ、好奇心は人生に置けるスパイスなんていうが、効きすぎると舌を痛める」
「気をつけます。俺はまだ、人生の味を楽しみたいんで」
「そうしなさい。ま、君が気になっていることはコーツ君やゲラガに伝わると思うから、彼らから聞くといい」
「大したことじゃないってことですか?」
「それを決めるのは私じゃない。情報を受け取った相手だ」
「はぁ、よくわからないけど、わかりました」
「うむ、素直でよろしい。素直な君に少し忠告」
「なんですか?」
「ヒガキはコーツ家で預かるそうだね」
「ええ、グレンさんからお気づかいを戴いて、居場所を用意してもらえたので」
「はっは~、せっかくの金貨五千枚、台無しになるかもね」
「どういう意味です?」
伯爵は指先をくるくると。
「それ、もういいですからっ」
「はっはっは、では、失礼するよ。君も疲れているだろう。ゆっくりと休むといい」
「ええ、そうします」
パタリと扉は閉じられて、部屋に一人残される。
(金貨五千枚が無駄になるって? ただの冗談? それとも何か?)
シフォルト伯爵が残した不穏な言葉をベッドの中で抱え、一夜が明けていく。




