第23章:六印神星
ヴァルドレンの昼下がり。
宿屋の一室、その窓から差し込む陽光が、買ったばかりの品々で埋め尽くされた木製のテーブルを照らしていた。
シラスはベッドの端に腰掛け、小さな名刺を手にしていた。
そこに整然と印刷された文字を、もう一度目で追う。
アリステア・ソーン――杖製作の名匠。
その下には、店の名前である「ソーン&アッシュ」と、グランド・マーケット地区の住所が記されていた。
店主は二人が店を出る前に、この名刺を渡してくれたのだ。アリステアはさらに、杖や箒に何か異常が生じた場合は、いつでも持ってくれば点検や修理をすると念入りに説明してくれた。
シラスにとっては、なかなか好感の持てる接客態度だった。
何しろ、二人が先ほど支払った金額を考えれば、これらの品には今後何年も付き合ってもらいたいところだ。
シラスは名刺をテーブルに置き、その隣に置いてあった杖を手に取った。
天眼。
全長三十一センチ。東方を原産とする黒鉄木から作られ、内部の芯には九尾天狐の羽毛が一本収められている。杖身は深みのある黒褐色で、そこに銀青色の木目が長く走っていた。まるで古木の内側に、光の流れがひっそりと潜んでいるかのようだった。
陽光の下で杖を傾けると、その木目が淡い銀色に輝く。
シラスは手首を軽く回した。
いつものひんやりとした感触が、再び掌に伝わってくる。
この感覚を正確に言葉で表現できるかどうか、シラスには分からなかった。天眼は、これまで彼が使ってきたどの魔導具とも違っていた。
親しみやすいようでいて、どこかよそよそしい。まるで杖の中に、持ち主を静かに観察する法力の流れが存在しているかのようだった。
「本当に綺麗だな……」
シラスは小さく呟いた。
杖を目の高さまで持ち上げ、木目の一本一本を注意深く眺める。
やがて、その視線は荷物のそばに置かれた箒へと移った。
天行。
こちらは天眼と同じ種類の木材から作られた箒だ。柄の部分には黒鉄木が使われ、細長い形状に加工されている。持ち手に沿って魔法文字の刻印が施されており、後部の箒穂には銀黒色の魔術植物の繊維が束ねられていた。柔らかな質感でありながら、驚くほどの弾力を備えている。
試しに手に取ってみると、重量のバランスはかなり良かった。握り部分は大きすぎず、小さすぎず、手にしっくりと馴染む。柄に刻まれた文様も、法力を安定して伝達するために設計されているように感じられた。
シラスは目の前に並ぶ二つの品を眺め、軽く息を吐いた。
三十六インペリアル・クラウン。
杖と飛行箒を合わせた、彼が支払った金額である。
決して安い買い物ではない。
一般労働者の給料に換算すれば、購入を決めるまでにかなり悩むことになる金額だろう。
しかし、シラスはそれほど後悔していなかった。
杖は魔術師にとって重要な道具であり、飛行箒も大学での生活において便利な移動手段となるはずだ。どちらも名の知れた職人が製作したもので、品質も相性も丁寧に確認されている。
値段相応の価値はある。
シラスはそう自分に言い聞かせ、天行をベッドの横にきちんと置いた。
向かい側では、カラムも新しく手に入れた品を確認していた。
「見てくれよ、シラス!」
彼は誇らしげな顔で杖を掲げた。
「雷羽!」
落ち着いた雰囲気の天眼とは異なり、カラムの杖は琥珀色の輝きが目を引くものだった。柄には、元素法力の伝達に優れた雷灰木が使われている。内部の芯には、雷鳥という霊獣の羽毛が収められていた。雷鳥は、雷雨が頻繁に発生する山岳地帯に生息する生き物だ。
杖身には濃い金色の木目が走り、ところどころに、まるで木の中に閉じ込められた稲妻のような輝きが見られた。
カラムは指先で杖をくるりと回した。
「これ、俺に似合ってると思わないか?」
シラスはちらりと目を向ける。
「まあ、似合ってるんじゃないか」
「まあ、だけか?」
「じゃあ、とても似合ってる」
「全然心がこもってないな」
カラムは舌打ちしたものの、満足そうな表情は隠しきれていなかった。
彼は雷羽を置き、隣にある箒へと手を伸ばした。
風雷。
こちらも雷羽と同じく、柄には雷灰木が使われている。ただし、箒穂の部分には雷鳥の尾羽が採用されていた。黒色を帯びた黄褐色の羽根がしっかりと束ねられ、弾力性に優れた尾のような形を作り出している。
アリステアの説明によれば、雷鳥の尾羽は気流の変化に敏感に反応する性質を持ち、使用者が飛行方向を柔軟に調整するのを助けてくれるらしい。雷灰木の法力伝達能力と組み合わせることで、風雷は速度と操縦性を重視する魔術師に適した箒となっている。
カラムは箒を眺め、それからシラスへと視線を向けた。
「風雷と雷羽。なかなかお似合いの組み合わせだと思わないか?」
「ああ」
「それだけ?」
「他に何を言えばいいんだ?」
「例えば、天才魔術師と二つの素晴らしい魔導具が織りなす、完璧な組み合わせだとかさ」
シラスは数秒間、黙り込んだ。
「じゃあ、アリステアは売る相手を間違えたんだと思う」
「おい!」
カラムは即座に抗議した。
「未来の学院の天才を侮辱するな!」
シラスは思わず笑い、再び天眼へと視線を戻した。
カラムの杖と箒を合わせた価格は、およそ十三インペリアル・クラウンだった。シラスのものよりかなり安いが、アリステアの説明によれば、価格は素材の希少性、製作の難易度、そして魔力の芯を加工する工程によって決まるらしい。
九尾天狐の羽毛は、極めて希少な素材だった。アリステア自身でさえ、その羽毛がいつから店に保管されていたのか、正確には分からないという。
一方、雷鳥も危険な霊獣ではあるものの、その羽毛や雷灰木は魔術素材を専門に扱う商会を通じて入手できる。
それでも、カラムは少しも損をしたとは思っていなかった。
むしろ、自分の魔導具のほうが目立っているとさえ考えていた。
「今から箒を試してみないか?」
カラムが尋ねた。
シラスはすぐさま振り向く。
「駄目だ」
「どうして?」
「前回、スカイシャドウ湖で溺れかけたのを忘れたのか?」
「あれは事故だ」
「前回もそう言ってたな」
「だから今回は違う!」
シラスは疑わしげな目を向けた。
「そもそも、まだ箒の正しい操縦方法も分かってないだろ」
「だから練習するんだよ!」
「宿屋の部屋でじゃない」
カラムはため息をつき、仕方なく風雷を置いた。
「分かったよ。明日まで取っておこう」
シラスは頷いた。
箒の操縦方法も分からないまま、二人揃ってスカイシャドウ湖へ突っ込んだときのことを、彼はまだ忘れていない。少しでも運が悪ければ、あの恥ずかしい経験よりもさらにひどい形で、試練の旅を終えることになっていたかもしれない。
---
午後。
荷物を片付けた後、シラスとカラムは砕けた月亭の主人に部屋の鍵を返した。
二人はここに十分な期間滞在していたため、二階の小さな部屋にもすっかり慣れていた。古い街並みを見渡せる窓や、毎朝聞こえてくる時計の鐘の音も、今では馴染み深いものになっている。
しかし、短い休息の時間は終わった。
今日、彼らは正式にヴァルドレン王立大学の門をくぐることになる。
カラムは三つのスーツケースを浮遊させて後ろに従え、シラスはそれよりも少ない荷物を持っていた。二人は賑やかな通りを進み、王都と大学の敷地を結ぶライトフル橋へと向かう。
カラムはいつも以上に浮き足立っているようだった。
「楽しみだなあ!」
彼は両腕を広げ、深く息を吸い込んだ。
「俺が配属される学院の女子って、可愛い子が多いのかな。できれば絶世の美女が山ほどいるといいんだけど!」
シラスは横目で彼を見る。
「は?」
「何だよ?」
「まだどの学院に入るかも分かってないのに、もうそんなことを考えてるのか?」
「当然だろ! 大学生活の質を左右する重要な要素の一つだからな」
「勉強は?」
「それは二番目だ」
シラスは首を横に振った。
「本当に心配になるな」
「心配するなって。勉強と社交の両立を目指すからさ」
「前者を覚えていてくれることを祈るよ」
二人は歩きながら、他愛のない会話を続けた。
前方にはライトフル橋が長く伸びていた。白い石材で築かれた橋には、大きなアーチが連なり、谷をまたいでいる。ここからは背後に広がる王都ヴァルドレンの一部を見渡すことができた。密集する屋根の向こうには、ゴシック様式の尖塔が空へと伸びている。
橋の向こう側には、アウレリア山へと続く道があった。
ヴァルドレン王立大学は市街地から離れた場所に位置しているものの、首都とは広い道路で結ばれている。ライトフル橋は、その道における重要な建造物の一つだった。
シラスが周囲の景色に見入っていると、前方に見覚えのある人影が目に入った。
明るい色の髪。
貴族風の服装。
エヴリン・アシュフォード。
彼女は、目を引く白銀色の髪を持つ少女と一緒に歩いていた。
シラスはすぐに歩く速度を落とした。
カラムは彼の視線を追い、二人の姿に気づいた。
彼はごくりと唾を飲み込む。
「シラス……」
「何だ?」
「たぶん、もう少しゆっくり歩いたほうがいいと思う」
「どうして?」
「俺は死にたくないんだ」
シラスは答えなかった。
ただ、静かに歩く速度をさらに落とした。
「勘弁してくれよ……」
カラムは額の汗を拭った。
「俺たち、大丈夫だよな?」
「普通に歩け。あっちを見るな」
「でも、もう見ちゃってるんだけど」
「なら、もう見るな」
二人は距離を保ち、エヴリンとヴィヴィアンが少しずつ遠ざかっていくのを待った。
シラスにとって、今エヴリンと顔を合わせるのは、自分から厄介事を招きに行くようなものだった。彼女と争うつもりはない。しかし、相手が同じように考えているとは限らなかった。
クラウンフェルでの出来事を考えれば、友好的な再会を期待する理由などどこにもない。
そのとき――
「シラス! カラム! 待ってくれー!」
背後から大きな声が響いた。
二人の身体が固まる。
カラムは信じられないものを見るような顔で、ゆっくりと振り返った。
「何だよ、今の……」
シラスも後ろを振り向く。
茶色い髪の青年が、こちらへ向かって勢いよく走ってきていた。濃紺のマントが走るたびに大きく揺れている。
フィニアン・クロウ。
彼は手を振りながら駆け寄ってきており、前方の状況にはまったく気づいていないようだった。
カラムは冷や汗を流した。
シラスは目を閉じた。
彼の頭の中では、大陸中にいる七千四百九十九柱の神々に向けて、切実な祈りが捧げられていた。
どうか、何事も起きませんように。
しかし、その祈りはどうやら届かなかったらしい。
フィニアンが二人まであと数歩というところまで近づいた瞬間、シラスの手に嵌められた魔術の指輪が突然光を放った。
法力の波動が一瞬だけ閃く。
同時に、薄い光の膜がシラスとカラムを包み込み、すぐに消え去った。
シラスは即座に振り返った。
カラムも何が起きたのかを察していた。
指輪が元素術による攻撃を吸収したのだ。
二人は後方へ目を向ける。
そこには、憎悪に満ちた眼差しを向けるエヴリンが立っていた。彼女の片手はまだ持ち上げられており、元素法力の残滓が完全には消えていなかった。
ライトフル橋の空気が、一瞬にして張り詰める。
カラムは口を開いた。
「うわ……最悪だ」
シラスはエヴリンを見てから、その隣にいる少女へと視線を移した。
指輪がなければ、二人は橋の上で不意打ちを受けていたかもしれない。
エヴリンは歯を食いしばった。
「このネズミども……」
彼女が一歩踏み出そうとしたとき、隣にいた少女がそっと腕を掴んだ。
「落ち着いて、エヴリン」
「分かってるわ、ヴィヴィアン」
エヴリンは息を吸い込み、怒りを必死に抑え込んだ。
ヴィヴィアンはシラスとカラムに目を向けた。シラスの手にある、今しがた光を放った指輪に視線を走らせ、それから再びエヴリンを見た。
「ここで争うのは得策じゃないわ」
エヴリンはそれ以上何も言わなかった。
彼女は踵を返し、再び歩き始める。
ヴィヴィアンもその隣についていったが、立ち去る直前、二人の青年を一度だけ振り返った。
二人は、少女たちの姿が遠ざかるまでその場から動かなかった。
ようやくフィニアンが追いついてきた。
「二人とも、大丈夫か?」
カラムは即座に振り向いた。
「大丈夫なわけないだろ!」
フィニアンはきょとんとした。
「え?」
「お前が俺たちの名前を叫ばなければ、何も起きなかったかもしれないんだぞ!」
フィニアンはエヴリンたちが去っていった方向を見て、それから二人に視線を戻した。
「ああ……」
彼は頭を掻いた。
「二人が前にいるなんて知らなかったんだ」
シラスはため息をつき、手に嵌めた指輪を確認した。
「ちゃんと作動してくれてよかった」
カラムも指輪を見つめる。
「今回の試練で手に入れたものの中じゃ、間違いなく一番価値のある品だな」
「攻撃されて喜んでるみたいに言うなよ」
「褒めてるだけだって!」
フィニアンは二人を見比べ、それから橋の向こうへと視線を向けた。
「一つ気になることがあるんだけど」
「何だ?」
「さっきの二人って、かなり高得点だったんじゃないのか? 事前に学院への配属が決まっていたって聞いたけど、それならどうして選抜式に参加するんだ?」
カラムはすぐに答えた。
「貴族様の趣味だろ。変わった趣味をお持ちだからな」
フィニアンは眉をひそめた。
「でも、選抜式って重要な儀式なんだろ?」
「ああ。でも、特別枠で入れるなら、わざわざ参加する必要もないんじゃないか」
カラムは肩をすくめた。
「とにかく、あいつらが何を考えてるかなんて知りたくもない。もう二度と会わなければ、それでいい」
シラスは彼を見た。
「俺たちは同じ大学に通うことになるんだけどな」
カラムは黙り込んだ。
「……」
しばらくして、彼はため息をついた。
「本当に嬉しくない知らせだな」
---
三人は再びライトフル橋を渡り始めた。
正門をくぐると、彼らの目の前に六印紋章広場が広がった。
シラスは足を止めた。
ヴァルドレン王立大学の敷地の中央に位置する広大な広場。その周囲は、尖塔屋根やステンドグラスを備えたゴシック様式の建物に囲まれており、石造りの回廊が重要な施設同士を結んでいた。
広場の中央には、大きな噴水が設置されている。
精巧な彫刻が施された石造りの段から水が流れ落ち、小さな滝となって下の池へと注いでいた。陽光が水面に反射し、広場のあちこちにきらめく光を踊らせている。
噴水の周囲には、六本の大きな石柱が立っていた。
それぞれの柱には、一つの学院を象徴する旗が掲げられている。
ブラックソーン。
ドレイケンホール。
シルバーミア。
アッシュボーン。
ヴェイルムーア。
グリフィンハースト。
六つの旗が風にはためき、それぞれ異なる色と紋章を誇示していた。
そして中央、噴水の上方には、ひときわ高い旗竿にノーマン帝国の旗が掲げられていた。
鷲、獅子、竜を一つの紋章に組み合わせた王家の象徴が、暗色の旗地に鮮やかに浮かび上がっている。
シラスは顔を上げ、旗を見つめた。
「綺麗だな」
フィニアンも頷いた。
「想像していた以上だよ」
一方、カラムは別の方向に目を向けていた。
「おお……」
彼は小さく口笛を吹いた。
「この大学、可愛い子が本当に多いな」
シラスはため息をついた。
「少しは真面目にできないのか?」
「俺は真面目だぞ」
「いや、今は女の子を眺めてるだけだろ」
「それも学習環境の観察の一環だ」
フィニアンは思わず笑った。
三人はそのまま広場の奥へと進んでいった。
そこでシラスは、この場所における最も重要な建造物に気づいた。
広場のちょうど中央に、六角形の石造りの台座が設けられていた。地面より少し高くなっており、周囲に立つ者からもよく見える造りになっている。
神星台。
その表面には六つの配置場所が左右対称に刻まれていた。それぞれに古代の魔法文様が施され、六角形を描くように並び、すべてが台座の中心へ向けられている。
神星台を取り囲むように、六体の巨大な像が立っていた。
それぞれの像は、一つの学院を象徴する伝説の生物をかたどっており、同時にその学院の創設者たちに結びつく象徴でもあった。
翼を大きく広げた三本足の鴉。
威厳に満ちた姿の古代竜。
天へ向かって角を掲げる麒麟。
再生の炎を象徴する装飾の中で、翼を広げる不死鳥。
複数の獣の特徴を併せ持つキメラ。
そして最後に、大きな翼と鋭い爪を備え、誇り高く立つグリフィン。
六体の像はそれぞれ異なる方角に配置され、神星台を守るように円を描いていた。
広場の上空には、魔力を帯びた水晶の帯がいくつも浮かべられていた。それらは各紋章から放たれる光を反射し、広場全体を、星空を小さく閉じ込めたかのような幻想的な空間へと変えていた。
シラスは顔を上げ、周囲を見渡した。
「神星台……」
彼は石段に刻まれた名前を小さく読み上げた。
「ここで選抜式が行われるのか?」
フィニアンが頷く。
「たぶんね。大学を紹介する本で読んだことがあるんだ」
カラムは台座の六つの配置場所を眺めた。
「じゃあ、俺たちはあそこに手を置くのか?」
「そうかもしれない」
「変なことが起きなきゃいいけどな」
シラスはカラムを見た。
「お前の場合、何も起きないほうが珍しいだろ」
「おい!」
三人が周囲を観察していると、濃紺のローブをまとった一人の講師が近づいてきた。
「君たちは新入生か?」
シラスはすぐに振り返った。
「はい、先生」
「試練はもう終えたのか?」
「はい」
講師は三人を一通り見渡すと、微笑んだ。
「なら、ちょうどいいところに来たな。まもなく開会式が始まる。左側の通路を進みなさい。試練を終えたばかりの新入生のための席は、前方に用意されている」
「ありがとうございます、先生」
講師は頷き、彼らに道を示した。
三人は案内された方向へと進んだ。
広場はすでに大勢の人々で賑わっていた。ノーマン各地から集まった新入生たちが次々と姿を現し、それぞれ異なる制服や衣装に身を包んでいる。
家族と一緒に来ている者もいれば、使用人に荷物を運ばせている者もいた。中には、一人きりでやって来た新入生もいる。
講師たちは招待客や学生たちをそれぞれの席へと案内していた。式典の担当者たちも魔導具を点検し、結界や照明設備が正常に作動するかを確認している。
この日は、大学のほぼ全ての講師と学生、そして帝国の重要人物たちが一堂に会する、数少ない特別な日だった。
フィニアンは席に着くなり、大きなあくびをした。
「眠い……」
カラムが彼を見た。
「大学に着いたばかりなのに、もう眠いのか?」
「長い距離を歩いたからね」
「俺たちだって歩いただろ」
「でも、僕は二人を追いかけるために走ったんだよ」
カラムは笑った。
「それはお前が遅れて来たからだろ」
フィニアンは腕を組み、これ以上議論する気もないという様子で黙り込んだ。
その一方で、カラムは広場のあちこちへと視線を巡らせていた。女子学生たちの集まりを見つけては眺め、ときおり自分の襟元や髪を整えている。
隣に座るシラスの視線は、神星台に向けられていた。
今起きている全ての出来事に、まだ完全には慣れていない気がする。
わずか十日前まで、彼らはクラウンフェルの山中にいた。生き延びる方法を探し、他の受験生と対峙し、危険な生物から逃れなければならなかった。
それが今では、帝国屈指の名門大学の広場に座っている。
シラスは胸元のポケットに収めた天眼に目を向け、それから再び六体の像を見上げた。
選抜式は、一体どのように進むのだろうか。
---
大講堂の時計塔から、鐘の音が響き渡った。
――ゴーン!
広場は徐々に静まり返っていく。
建物や回廊、石柱に沿って配置されていた魔法灯が、次々と明かりを灯した。太陽がまだ地平線の彼方へ沈みきっていないにもかかわらず、水晶から放たれた光が大学の敷地全体へと広がっていく。
色鮮やかなステンドグラスには光が反射し、ゴシック様式の塔は、まるで後光をまとったかのように輝いていた。
フィニアンはすぐに背筋を伸ばした。
カラムも周囲を見回すのをやめる。
シラスもまた、式典の壇上へと意識を向けた。
大講堂の大きな扉が開かれた。
最初に姿を現したのは学長だった。その後ろには、六つの学院を率いる六人の院長が続いている。
彼らは格式高い正装に身を包み、式典の壇上へと歩みを進めた。それぞれの院長のローブには、自らが率いる学院の紋章が掲げられており、大学における地位と権限を示していた。
前方の来賓席では、王族の客人や教会の代表者、そして貴族家の人々も次々と立ち上がった。
一行が中央の位置に到着すると、広場全体から拍手が沸き起こった。
学長は最も高い壇上へと上がった。
広場を一望し、拍手が落ち着くのを待つ。
「ヴァルドレン王立大学の新入生諸君、ようこそ!」
彼の声が大学の敷地全体に響き渡る。
再び拍手が起こった。
つい先ほどまで眠りかけていたフィニアンも、すっかり目を覚ました。
「本日は、皇帝陛下、教会の代表者の方々、王族の皆様、貴族の方々、そしてご来賓の皆様をお迎えできたことを、大変光栄に思います。ご臨席いただいた全ての皆様に、心より感謝申し上げます」
学長は来賓席に向かって軽く頭を下げた。
王族の客人たちも、そのうち何人かが小さく頷いて応じる。
学長は話を続けた。
「ヴァルドレン王立大学は、王室の庇護のもとに設立された、ノーマン帝国屈指の名門教育機関です。幾世紀にもわたる歴史の中で、この場所は魔術師、学者、戦略家、裁判官、外交官、そして帝国の運命に大きな影響を与える人材を育てる中心地となってきました」
彼は、風にはためく六つの旗へと手を向けた。
「本学の標語は――『Six Crests, Six Legacies, One Crown』」
短い沈黙が訪れる。
「六つの紋章、六つの遺産、一つの王冠」
その言葉が広場に響いた。
「これは単なる標語ではありません。六つの学院の歴史と精神、そして幾世代にもわたって受け継がれてきた伝統を象徴するものなのです」
学長は神星台へと目を向けた。
「大学とは、単に知識を教える場所ではありません。ここは、ノーマンの政治、軍事、魔術、そして精神文化にまで影響を及ぼす制度的な中枢でもあります。多くの大臣、大魔術師、裁判官、将軍たちが、宮廷に立ち、王室と帝国に仕える前に、この場所で学んできました」
シラスは注意深く耳を傾けていた。
大学の歴史については、彼も以前に読んだことがある。しかし、このような大きな式典で学長本人の口から語られると、また違った感慨があった。
ここは、ただの学校ではない。
未来に権力を握る者たちを育てる場所なのだ。
学長は続けた。
「今年は、大陸各地で数々の変化が起きている、特別な年でもあります」
彼はわずかに間を置いた。
「オルヘイヴィン大陸では、『神々の処刑人』として知られる勢力が出現し、帝国の国境地帯を繰り返し脅かしています」
小さなどよめきが広がり始めた。
カラムはシラスのほうへ顔を傾けた。
「神々の処刑人?」
シラスは小さく頷き、話を聞き続けるよう目で促した。
学長は話を止めなかった。
「国境での衝突は、我々がこれ以上目を背けることのできない現実を突きつけました。現在の若い兵士や魔術師たちの質は、情勢が求める水準に達していないのです」
彼は新入生たちの席へと目を向けた。
「長年にわたり、教育機関の選抜制度はやや寛容になりすぎていました。理論上の成績や、安全な環境での魔術能力ばかりを評価され、実際の状況に直面した際の経験を欠いている学生も少なくありません」
何人かの講師が静かに頷いた。
「それが、クラウンフェル試練を実施した理由です」
学長は杖を掲げた。
「この試練は、諸君の戦闘能力だけを測るものではありません。適応力、戦術的思考、協調性、そして困難な状況下でどのような決断を下すかも評価するものです」
彼は試練を終えたばかりの学生たちを見渡した。
「この十日間、諸君は、個人の力だけでは全てを解決できない環境に置かれました。優れた法力によって勝利した者もいれば、連携によって成果を上げた者もいる。そして、観察力と適切な判断によって、自らの価値を証明した者もいました」
シラスは、クラウンフェルで過ごした日々を思い出した。
ルシアンやエヴリンとの遭遇。
無数の分身を生み出す能力を持った少女との戦い。
フィニアンを助けるために奔走した日々。そして、予定にはなかったスカイシャドウ湖への飛行。
彼は小さく息を吐いた。
確かに、忘れられない試練だった。
学長はさらに続けた。
「また、今年は異常な現象もいくつか確認されています。本来ならばノーマンの領土外でしか見られないはずの生物が、帝国内の複数の地域で発見されているのです」
新入生たちの間で、互いに視線を交わす者が現れ始めた。
「これらの報告については、現在も専門機関による調査が進められています。しかし、我々はこうした兆候を軽視するわけにはいきません」
学長の声が、さらに厳粛なものへと変わった。
「帝国がヴァルドレン王立大学に求めているのは、優秀な学者を育てることだけではありません。外敵から帝国を守るに足る能力を備えた戦士を育てることもまた、我々の使命なのです」
彼は来賓席へと目を向けた。
「知識には責任が伴わなければならない。力には規律が伴わなければならない。そして忠誠とは、行動によって証明されるべきものです」
最後の言葉が力強く響き渡った。
「諸君一人ひとりが、ヴァルドレンの学生となることの意味を理解してくれるよう、心から願っています」
再び拍手が広がった。
今度は先ほどよりも長く続いた。
フィニアンは熱心に手を叩き、カラムもそれに加わった。一方、シラスは壇上を見つめたまま、考え込んでいた。
クラウンフェルでの試練は、まったく新しい段階の始まりにすぎなかったのかもしれない。
帝国は何かに備えている。
そして、ヴァルドレン王立大学も、その準備の一端を担っているのだ。
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学長の演説が終わると、六人の院長が順番に壇上へと進み出た。
それぞれが自らの学院の象徴の前に立ち、短い儀式を執り行う。その後、六つの印章が運び出された。
大講堂のほうから、白い礼装をまとった六人の魔術師が、ゆっくりと広場へ入ってきた。
彼らはそれぞれ、異なる素材で作られた箱を手にしていた。箱の外側には、古代の魔法文様が刻まれている。
二列に並んだ彼らは神星台へと進み、到着すると、それぞれの箱を台座の六つの配置場所に置いた。
一人の院長が前に進み出て、杖を静かに掲げる。
神星台に刻まれた魔法文字が、一斉に光を放った。
カチリ。
台座の下から、鈍い音が響いた。
六つの箱が、同時に開いた。
その中に収められていたのは、六つの印章だった。
それぞれ異なる形状と色を持ち、一つの学院を象徴している。それらは単なる金属や宝石で作られた装飾品ではない。特別な魔力を秘めた、古代の魔導具だった。
外気に触れた瞬間、それぞれの印章が光を放ち始めた。
六色の光が順番に広がっていく。
異なる色彩が互いに重なり、神星台を取り囲む光の輪を形成した。
広場の上空に浮かぶ魔力水晶の帯が、一斉に震え始める。
巨大な結界が、ゆっくりと形を成していった。
石畳の上に魔法文字が次々と浮かび上がり、あらかじめ刻まれていた溝に沿って走っていく。それらは六つの印章が置かれた位置を繋ぎ、完全な六角形の構造を作り上げた。
光は徐々に広がっていく。
そして、透明な結界が六印紋章広場全体を覆った。
シラスは、すぐにその変化を感じ取った。
周囲の空気が、わずかに重くなったように思える。体内の法力も微かに反応し、目に見えないエネルギーの流れに触れたかのような感覚があった。
彼は自分の手元へ視線を落とした。
「これは……」
フィニアンもその変化に気づいていた。
「結界?」
カラムは首を傾げた。
「随分と複雑そうだな」
近くにいた講師がそれを聞き、説明してくれた。
「これは法力の適合性を調べるための結界だ。六印神星が各学生の法力の特性を認識し、その後、最も適した印章を判定する仕組みになっている」
「じゃあ、あそこに進んで印章に触れればいいんですか?」とカラムが尋ねた。
講師は微笑んだ。
「そう単純ではない。順番が来たら説明するから、儀式が始まる前に勝手に進み出ないように」
カラムはすぐに頷いた。
「はい、先生」
シラスは六つの印章を見つめた。
そこから放たれる光が、神星台を取り囲む六体の像を照らしていた。三本足の鴉、竜、麒麟、不死鳥、キメラ、そしてグリフィン。その姿もまた、あのエネルギーによって目覚めつつあるように見えた。
その瞬間、広場全体が静寂に包まれた。
王族の客人たちが立ち上がる。
講師たちも一斉に神星台へと視線を向けた。
学長は壇上の最も高い段へと進み、杖に手を添えた。
彼は、儀式を待つ何千人もの新入生たちを見下ろした。
「新入生諸君!」
その声は力強く、はっきりと響き渡った。
「これより、ヴァルドレン王立大学での学びにおける、諸君の最初の儀式を始める!」
学長は杖を高く掲げた。
六つの印章が、一斉に眩い光を放つ。
「選抜式――」
短い沈黙。
「……開始!」
第23章・完




