第14章:谷へ向かって
エヴァーミアの松林。
「セラフィナ・ヴェイクロフト!!!」
エヴリンの怒声が木々の間に響き渡った。枝にとまっていた数羽の鳥が、驚いて一斉に羽ばたき、空へと飛び去っていく。目に見えない風が地面を吹き抜け、枯れ葉を巻き上げて近くの茂みへと吹き飛ばした。
その向かいで、セラフィナ・ヴェイクロフトは微動だにせず立っていた。
ふんわりとした茶色の髪は後ろでまとめられ、数本の髪が頬にかかっている。整った顔には薄い笑みが浮かんでいた。その表情はあまりにも穏やかで、彼女が楽しんでいるのか、退屈しているのか、それとも目の前の出来事など何とも思っていないのか、見分けることすら難しい。
その態度こそが、エヴリンの胸に燃える怒りへ、さらに油を注いでいた。
彼女は杖を強く握りしめた。指の関節が白くなるほどに。
「その笑い方、いい加減やめてもらえない?」
「どんな笑い方?」
セラフィナは首を傾げ、軽く瞬きをした。
「まるでこの世のすべてが面白くて仕方ない、みたいな笑い方よ!」
「あなた……!」
エヴリンは、今にも再び飛びかかりそうになった。
だが、両足に法力を込めようとした瞬間、彼女の動きが止まった。
胸の奥から指先に至るまで、重苦しい感覚が広がっていく。呼吸は荒くなり、体内で渦巻いていた法力も、今では消えかけた炎のようにわずかしか残っていなかった。
エヴリンは自分の手を見下ろした。
法力の半分以上を消耗している。
彼女はそれを認めたくなかった。ましてや、セラフィナに悟られるなど絶対に避けたかった。
しかし、どれほど自分に嘘をつこうとも、目の前に突きつけられた現実を否定することはできない。
戦いが始まってから今に至るまで、彼女は一度たりとも、本当の意味で優勢に立てていなかった。
エヴリンが攻撃を仕掛けるたび、セラフィナは必要最低限の動きでそれをかわした。彼女がより広範囲に及ぶ魔術へ切り替えると、相手はすでに別の場所へ移動しており、まるで何が起こるのか最初から知っていたかのように、平然と立っていた。
何より恐ろしいのは、セラフィナが一度たりとも焦りを見せなかったことだ。
圧倒的な破壊力を持つ魔術を放つ必要もなければ、膨大な法力を誇示する必要もない。戦いの大半において、彼女はごく簡単な術しか使わず、ときには詠唱すら完全に行わなかった。
それでも、エヴリンは彼女に触れることすらできなかった。
「本当に化け物ね……」
エヴリンが小さくつぶやく。
それを聞いたセラフィナは、さらに笑みを深めた。
「ありがとう。褒め言葉として受け取っておくね」
「褒めてなんかいないわ!」
「そうなの? 残念」
エヴリンのこめかみが、ぴくりと動いた。
彼女は昔からこうだった。
幼い頃から、そして今に至るまで。
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ヴェイクロフト家は、エデヴェイン州において、最も古く、最も大きな影響力を持つ魔術師の名門一族のひとつである。
その名声は、数百年に及ぶ歴史や、代々受け継がれてきた玄術の研究、あるいは王室に仕えた魔術師たちの存在だけによって築かれたものではない。
他の名門貴族たちが羨望しながらも、決して追いつくことのできない理由。それは、ヴェイクロフトの血を引く者たちが持つ、驚異的な法力の才能にあった。
彼らは常識外れなほど豊富な法力を持ち、極めて精密な制御能力を備え、他の一族では到底及ばない玄術研究の伝統を有している。
普通の魔術師なら何年も修練を積まなければ到達できない技術を、ヴェイクロフト家の若い後継者たちは、幼いうちから使いこなすことさえあった。
後継者のひとりが正式に当主として認められるたび、その出来事はエデヴェインの貴族社会における一大行事となる。
伝統に従い、ノーマン帝国の皇帝自ら祝辞を送ることもあれば、皇族の代表者を式典へ派遣することさえあった。
そのような栄誉を与えられる一族は、決して多くない。
エヴリンのアシュフォード家も例外ではなかった。
長年にわたり、アシュフォード家はヴェイクロフト家との良好な関係を保とうと努めてきた。舞踏会、両家の年長者同士の会談、祝祭のたびに用意される手の込んだ贈り物……そのすべてが、二つの一族の関係を決して疎遠にしないためのものだった。
エヴリンは幼い頃から、その光景を目にしてきた。
きちんとしたドレスを着せられ、両親とともに馬車へ乗り込み、セラフィナの誕生日パーティーへ向かった、あの午後のことを覚えている。
広々とした部屋にはクリスタルの照明が飾られ、大人たちはいくつもの集団に分かれて、政治や玄術、そして子供には理解できない人間関係について語り合っていた。
その一方で、セラフィナはいつだって人々の注目の中心にいた。
当時の彼女はまだ幼く、落ち着いた色合いのドレスを身にまとい、侍女たちによって丁寧に髪を整えられていた。
お気に入りの贈り物を受け取れば、優しく微笑む。客のひとりがうっかりテーブルクロスにワインをこぼしたときでさえ、首を傾げて、その人が怪我をしていないか尋ねるだけだった。
まるで、彼女の心を乱せるものなど、この世には存在しないかのようだった。
エヴリンは、セラフィナが庭園を楽しそうに駆け回る姿を見たことがある。退屈なパーティーから抜け出し、薔薇の茂みの陰で一緒に遊んだこともあった。
あるときなど、二人で厨房からケーキをこっそり持ち出し、侍女に見つかって、長々と叱られたことさえある。
それは、紛れもなく楽しい思い出だった。
エヴリンは、そのことを否定できなかった。
しかし、成長するにつれて、そうした感情は少しずつ複雑なものへと変わっていった。
両親がセラフィナのことを称賛するたび、彼女は不快感を覚えた。父親がヴェイクロフト家の人間を前にすると、わずかに声を低くする姿を見るたび、自尊心が傷つけられるような気がした。
なぜアシュフォード家は、そこまで努力しなければならないのか。
なぜ他人の機嫌をうかがわなければならないのか。
そして、かつて一緒に庭へ抜け出して遊んでいた相手が、いつの間にか自分の一族が絶対的な敬意を払わなければならない名前になってしまったのは、なぜなのか。
エヴリンがセラフィナを嫌っているのは、単に彼女のほうが強いからではない。
少なくとも、彼女はいつも自分にそう言い聞かせていた。
彼女が嫌っているのは、いつだって自分が誰かの後ろに立たされる、その感覚だった。
他人がセラフィナを、自分が目指すべき模範のように語ることが嫌だった。
そして、あの穏やかな笑みも嫌いだった。
その笑みを見ていると、自分が積み重ねてきた努力のすべてが、まるで冗談のように思えてしまうからだ。
いつかアシュフォード家が、他の名門一族を跪かせるほどの力を手に入れたなら、もうこんな思いをすることもなくなるだろう。
それが、エヴリンのずっと抱き続けてきた願いだった。
そしてそれこそが、幼馴染の前で無様に敗北しかけている今の自分を、どうしても受け入れられない理由でもあった。
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「エヴリン」
セラフィナの声が、彼女を現実へと引き戻した。
「何を考えているの? 何度も呼んだんだけど」
「親しげに話しかけないで!」
「でも、私たちって昔から仲良しだったでしょう?」
セラフィナは、どこか拗ねたような声で答えた。本当に不満なのか、それとも演技なのか、判別するのは難しい。
「幼い頃からの友達なんだから、久しぶりに会ったなら、少しくらい楽しくおしゃべりしたっていいじゃない。せっかく会えたのに、いきなり攻撃してくるなんて……私、すごく悲しかったんだから」
彼女は胸に手を当て、小さくため息をついた。
もしここが戦いの痕跡が残る森の中でなければ、エヴリンもそれを心からの嘆きだと思ったかもしれない。
だが、彼女は誰よりもよく知っていた。
セラフィナは自分をからかっているのだ。
「自分がどれだけ嫌われているか、分かっているの?」
「もちろん」
セラフィナは即答した。
エヴリンは言葉に詰まった。
「だったら……」
「でも、嫌われているところより、可愛いところのほうが少しだけ多いと思うけど?」
「セラフィナ!!!」
再び怒声が松林に響き渡る。
セラフィナはくすくすと笑った。その声は澄んでいて、耳に心地よく、まるでヴェイクロフト家の庭園で過ごした、遠い昔の午後を思い出させるようだった。
だからこそ、エヴリンの怒りはさらに募った。
彼女は今でも、あんなふうに笑えるのだ。
エヴリンが法力の半分以上を消耗しているというのに。戦いの形勢が逆転する見込みなど、ほとんどないというのに。
セラフィナはまるで、パーティーのテーブルに残った最後のケーキを取り合っているだけであるかのように、悠然とそこに立っていた。
エヴリンは杖を握りしめた。
ひとつの考えが、脳裏をよぎる。
逃げる。
隙さえ見つければ、首飾りを起動してここから離脱すればいい。彼女にはまだ続けるべき試験がある。得点も、他の対戦相手と出会う機会も残されている。
今すぐセラフィナを倒す必要はない。
理性はそう告げていた。
しかし、彼女の誇りは、自分の実力を証明するために何かをしろと、絶えず叫び続けていた。
エヴリンは目の前の相手を睨みつけた。
そして、ふとあることに気づいた。
戦いが始まってから、彼女は絶え間なく攻撃を仕掛け、回避し、相手の防御を崩そうとしてきた。
だが、あるひとつのことだけは、一度も確かめていなかった。
目の前に立っているこの人物は……
本当にセラフィナ本人なのだろうか?
背筋を冷たいものが走った。
あのエデヴェインの少女が使う分身能力は、ありふれた幻影魔術などとはまるで違う。生み出された分身たちは、それぞれ独立して動き、魔術を行使し、まるで完全な個人であるかのように連携することさえできる。
もし、目の前にいる相手が分身だったとしたら?
もし、自分が法力の半分以上を、ただの影と戦うために浪費していたとしたら?
エヴリンは、それ以上考えたくなかった。
なぜなら、それが事実なら、セラフィナの本体がどこにいるのかさえ分からないのだから。
「どうしたの? 何を見ているの?」
セラフィナが瞬きをした。
「まさか、ようやく私がどれだけ美人なのか気づいたとか?」
「黙りなさい!」
エヴリンは歯を食いしばった。
「本当は、あなたと戦いたくなんてないのよ」
セラフィナは首を少し傾けた。まるで、わがままな子供を諭すような優しい口調だった。
「幼馴染って、お互いを大切にするためにいるんでしょう? 会うたびに力ずくで争うためじゃないよ。私があなたを見つけるまで、どれだけ時間がかかったと思っているの?」
「まるで自分が被害者みたいな言い方ね!」
「違うの?」
「白々しい!」
「あら、相変わらず率直なところは変わっていないね」
エヴリンは、本気で気が狂いそうだった。
だが、そのとき、彼女の脳裏にひとつの光景がよみがえった。
あの忌々しい二人の学生。
シラス・バイとカラム・マーロウ。
彼女はセラフィナに気を取られすぎて、自分がそもそも何のためにここへ来たのかを忘れていた。
あの忌々しい二人は、逃げ出したのだ。
エヴリンは即座に振り返り、北西の森を見た。
そこには、そびえ立つ木々と茂み、そしてゆっくりと地面へ落ちていく枯れ葉しかなかった。
人影はない。
足音も聞こえない。
あの二人がまだ近くにいることを示す痕跡も、何ひとつ残っていなかった。
「……あのクズども!」
彼女は歯を食いしばり、手の中の杖を握り潰さんばかりに力を込めた。
セラフィナはエヴリンの視線を追い、何か面白いものを見つけたかのように瞬きをした。
「あれ?」
彼女は手で口元を覆った。
「もしかして、逃げられちゃったの?」
「黙りなさい!」
「本当なの? てっきり、あなたならあの二人のことも気にかけていると思っていたのに」
エヴリンは答えなかった。
ただ、誰もいなくなった森の奥を睨みつけていた。胸の中の怒りは、重い石となって心臓を押し潰すかのようだった。
彼女は最初から、シラスとカラムのことなど、セラフィナを片づけた後で好きなように処理できる相手だと考えていた。
だが、自分が戦いに夢中になっている間に、あの二人はこっそりと逃げ去ってしまったのだ。
屈辱が込み上げてくる。
もういい。
これ以上、ここにいるわけにはいかない。
エヴリンは首元の首飾りを見下ろした。中央に埋め込まれた宝石が澄んだ光を放ち始め、魔術の紋様が周囲へと広がっていく。
セラフィナが何かを言おうと口を開いた、そのとき、エヴリンは冷たく言い放った。
「次に会ったときは、もう笑っていられないようにしてあげるわ」
セラフィナは首を傾げた。
「じゃあ、楽しみに待っているね」
「あなた……」
光が弾けた。
次の瞬間、エヴリンの姿は森から消え去り、そこには奇妙なほど静かな空間だけが残された。
セラフィナは数秒間、その場に立ち尽くしていた。
やがて、まるで楽しい午後のお茶会を逃してしまったかのように、残念そうな顔でため息をついた。
「あらまあ。久しぶりに会えた友達なのに、もう行っちゃうなんて」
彼女は袖を軽く払い、エヴリンが消えた場所を見つめた。
「あなたは本当に、何も変わっていないね。エヴリン」
セラフィナの笑みは消えなかった。
ただ、その瞳だけが一瞬、わずかに陰りを帯びた。
そして彼女は身を翻し、南東の方角へとゆっくり歩き始めた。
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数分後、セラフィナは大きな木の根元で足を止めた。
古木の幹はシダの茂みの中で傾き、地面から露出した根は、まるで丸まった蛇のようにうねっていた。夕暮れの光が葉の隙間から差し込み、地面を淡い金色に染めている。
その木の根元では、フィニアン・クロウがきつく縛られていた。
両手は背中の後ろで縛られ、口は布で塞がれている。もともと乱れていた茶色の髪はさらにひどくなり、濃紺の制服の肩には枯れ葉が何枚か引っかかっていた。
足音を聞き、フィニアンはすぐに顔を上げた。
彼の目が大きく見開かれる。
セラフィナはフィニアンの前で立ち止まり、まるで置き場所を間違えられた品物でも確認するかのように、身をかがめて彼を観察した。
「あら、目が覚めたの?」
フィニアンは布越しに声を出そうとした。
「んー! んんー!」
「落ち着いて。聞こえているよ」
セラフィナは微笑んだが、明らかにフィニアンが何を言っているのか理解していなかった。
彼女はしゃがみ込み、首を傾けて彼を見つめた。
「たぶん、目が覚めたばかりなんだよね?」
フィニアンは警戒心を露わにして彼女を見つめた。
危険な状況から逃れようとしたことは覚えている。しかし、相手の動きはあまりにも速かった。意識を取り戻したときには、すでに木の根元に寝かされ、両手を縛られ、何もできずに待つしかない状態になっていた。
恐ろしいのは、捕まったことそのものではない。
この人物が何を望んでいるのか、まったく分からないことだった。
セラフィナは手を伸ばし、フィニアンの肩に引っかかっていた枯れ葉を取り除いた。その動作はあまりにも自然で、まるでパーティーの前に友人の服装を整えてあげているかのようだった。
「安心して。あなたを殺すつもりはないよ」
フィニアンは一瞬だけ、もがくのをやめた。
「それに、あなたを試験から脱落させるつもりもないから」
彼はますます困惑した表情で彼女を見つめた。
試験から脱落させるつもりがないのなら、なぜここに縛りつけているのだろう?
セラフィナは、その疑問を読み取ったかのようだった。
「ああ、それはね。私がいくつか用事を済ませている間、あなたにはここでじっとしていてほしいから」
彼女は、それが完全に筋の通った説明であるかのように言った。
「ほら、何度もあちこち走り回る人とは、なかなか落ち着いて話せないでしょう?」
フィニアン:「……」
もし口を塞がれていなければ、彼は間違いなく、その説明がまったく理にかなっていないと伝えていただろう。
セラフィナは立ち上がり、膝についた汚れを軽く払った。
「今日は本当に面白いことがたくさんあったね」
彼女は北西の方角へ目を向けた。そこには密集した木々が広がり、シラスとカラムの痕跡はすっかり隠されていた。
「エヴリンは怒るし、私の『新しい友達』二人は逃げちゃうし、あなたはここで助けが来るのを待っているし」
そして、再びフィニアンへ視線を戻す。
「忘れられない一日になりそうだね」
フィニアンは彼女を睨みつけた。
セラフィナはただ微笑んだ。
「それじゃあ、またね!」
彼女は手を振り、ゆっくりとその場を離れていった。
しかし、数歩進んだところで、何かを思い出したかのように突然立ち止まった。
「あ、そうだ。危うく忘れるところだった」
フィニアンの体に緊張が走る。
セラフィナは振り返り、晴れやかな笑顔を浮かべた。
「シラスとカラムはスカイシャドウ湖の近くにいるよ。きっと、すぐにあなたを助けに来てくれると思う!」
フィニアンは呆然とした。
彼女はあの二人の名前を知っている。
それだけではない。二人が今どこにいるのかまで知っているのだ。
セラフィナはフィニアンの表情を見て、満足そうにしていた。もう一度軽く手を振ると、そのまま歩き続ける。まとめられた茶色の髪が、歩調に合わせてかすかに揺れた。
フィニアンは、彼女の後ろ姿が木々の向こうへ消えていくのを、ただ見つめることしかできなかった。
しばらくしてから、ようやく彼はうつむき、今の自分が一体どんな人間に出会ってしまったのかを考え始めた。
そして、最も単純な結論にたどり着いた。
あいつはおかしい。
しかも、エヴリンよりも深刻かもしれない。
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太陽は徐々に松林の向こうへ沈んでいった。
夕暮れの光が地面から退き、代わりに長く冷たい影が広がっていく。エヴァーミアの森では、巣へ戻る鳥たちの鳴き声も次第にまばらになり、残されたのは高い木々の枝を吹き抜ける風の音と、腐葉土の下から響き始めた虫の声だけだった。
フィニアンは、依然として木の根元に横たわっていた。
彼はすでに、脱出するために考えられる限りの方法を試していた。
最初は力任せに縄を引きちぎろうとした。結果、手首が痛むだけで、縄には何の変化もなかった。
次に、法力を使おうとした。
普通の縄なら、少し火元素術を使うだけで焼き切れるはずだった。しかし、フィニアンが法力を集中させた途端、縄に刻まれた淡い紋様が光り始め、手のひらに生まれかけた法力の流れは跡形もなく消え去った。
もう一度試した。
やはり駄目だった。
三度目の挑戦を終えたところで、フィニアンはついに諦めた。
「んん……」
彼は木の幹に頭を預け、紫がかった色へと変わり始めた空を見上げた。
まったく、ひどい話だ。
クラウンフェル試験に参加してから、数え切れないほどの出来事を経験してきたというのに、結局は木の根元に縛られ、自分の力では何もできないままなのだから。
もしこのことをブラックウッドの学生たちに知られたら、きっと学期中ずっとからかわれるに違いない。
もちろん、無事に帰ることができればの話だが。
フィニアンは目を閉じ、気分の沈む考えを振り払おうとした。
彼が願うのは、ただシラスとカラムが十分遠くまで逃げていてくれることだけだった。
あの二人は少々変わっているものの、少なくとも自分の身を守る方法は心得ている。
フィニアンは、彼らの足手まといになりたくなかった。
しかし、今の彼には待つこと以外、何もできなかった。
時間はゆっくりと流れていく。
森がすっかり闇に包まれた頃、フィニアンは遠くから物音を聞いた。
足音だ。
かすかではあるが、こちらへ近づいてきている。
彼はすぐに目を開き、耳を澄ませた。
続いて、聞き覚えのある音が響いた。
チリン。
鈴の音。
あの小さな鈴の音を聞いて、これほど嬉しくなる日が来るとは、フィニアンも思っていなかった。
茂みの向こうから、一つの人影が現れた。続いて、もう一つ。
「フィニアン?」
シラスの声が響いた。
フィニアンは即座に顔を上げ、興奮した様子で声にならない声を上げた。
「んん! んー!」
「間違いない、本人だ」
カラムが茂みから姿を現した。肩には、まだ完全には乾いていない湿った上着が掛けられている。彼はフィニアンを頭から足先まで眺め、それから口笛を吹いた。
「おやおや。湖に落ちたときの俺より、ひどい有様じゃないか」
シラスは近づいて、しゃがみ込み、縄の結び目を調べた。
「そこでくだらないことを言ってないで、早く縄を解いてあげて」
「はいはい。今やってるよ」
カラムは縄に手を置き、法力を集中させた。結び目の周囲を薄い光が包み込む。すると、縄の輪が少しずつ緩み始め、自然にフィニアンの手首から滑り落ちていった。
数秒後、縄は地面に落ちた。
フィニアンはすぐに起き上がり、口を塞いでいた布を取り除くと、思い切り息を吸い込んだ。
「ようやく普通に話せる!」
彼は手首をさすり、しびれた感覚に顔をしかめた。
カラムはすぐに身を乗り出し、好奇心に満ちた表情を浮かべた。
「生きててよかったな! さあ、話してくれ。あの子、君に何か変なことをしたのか?」
フィニアンは顔を上げた。
「は?」
「ほら、あのエデヴェインの女の子だよ」カラムは声を潜めたが、期待に満ちた様子を隠しきれていなかった。「彼女は何のために君を連れてきたんだ? 秘密を聞き出そうとしたのか? 変なことを言ってきたりした? それとも……」
「カラム」
シラスが口を挟んだ。
「何?」
「フィニアンを、まるで面白い旅行から帰ってきた人みたいに見ているよ」
「だって気になるだろ!」
カラムはフィニアンへ向き直り、目を輝かせた。
「だって、こんな経験は滅多にないぞ。謎めいていて、恐ろしいほど強い女の子が、わざわざ君を捕まえに来たんだ。何があったのか知りたくなるのも当然だろ?」
フィニアンは数秒間、カラムを見つめた。
それから、ため息をついた。
「本当に、あいつは普通の魔術師というより、暇を持て余して何か面白いことを探している人間みたいだった」
「そうなのか?」
カラムは少しがっかりした様子だった。
「もっと波乱万丈な話を期待していたんだけどな」
「どんな話を期待していたんだよ? 木の下に縛りつけられて、君たちが助けに来ると楽しそうに教えられた、って話か?」
カラムは一瞬黙った。
それから、うなずいた。
「うん。なかなか面白い話じゃないか」
フィニアンは、危うく彼の顔面に拳を叩き込むところだった。
シラスはフィニアンの肩を支え、立ち上がるのを手伝った。
「とにかく、脱落させられていなくてよかった。どうやら、彼女は君を傷つけるつもりはなかったみたいだね」
「傷つけるつもりはなかったかもしれないけど、解放する気もなかったぞ」フィニアンは服についた枯れ葉を払い、不満そうな顔をした。「本当に理解できない」
「ようこそ、我らの仲間へ」
カラムは人差し指を立てた。
「現在の会員は、君と俺とシラスの三人だ。全員、頭のおかしい連中に振り回された経験がある」
「自分のことを言っているのか?」シラスが尋ねた。
「違うよ。俺はこの中で一番まともな人間だ」
「それなら、僕たちのグループは相当危険だね」
フィニアンは笑い声を漏らした。顔にはまだ疲労の色が残っていたが。
そのとき、カラムはようやく魔法の箒のことを思い出した。念動術を使い、フィニアンの方へと押し出す。
箒は空中を飛び、くるりと一回転してから、持ち主の手元へと収まった。
「ほら、君のだ。次からはちゃんと保管しておけよ。俺たちはこれを木から取り戻すのに、ずいぶん時間をかけたんだからな」
フィニアンは箒を受け取り、軽く確認してから安堵の息をついた。
「少なくとも、無事でよかった」
「俺に感謝したほうがいいぞ。他の人間なら、森に置き去りにしていたかもしれないからな」
「ありがとう」
「もう少し心を込めてくれないか?」
「ありがとう、偉大なるカラム・マーロウ様」
「どういたしまして」
シラスは首を横に振った。もはや口を挟む気にもなれなかった。
彼は周囲の森を見渡した。空はすでに暗くなり、高くそびえる松の木々は、夜空に黒い影となって浮かび上がっている。
セラフィナがどこへ向かったのか、彼らには分からない。エヴリンが戻ってこないとも限らなかった。
確かなことは、三人ともまだ試験から脱落していないということだけだ。
そして今は、それだけで十分だった。
「とりあえず、ここを離れよう」
シラスが口を開いた。
「彼女がまだこの辺りを監視しているかどうか分からない。安全に休める場所を探す必要がある」
フィニアンはすぐにうなずいた。
「賛成だ。もう一晩、木の下で過ごすのはごめんだからな」
カラムはフィニアンの肩に腕を回し、晴れやかな笑顔を浮かべた。
「それじゃあ行こうか。忘れられない出会いを経験した友人君」
「腕をどけろ」
「冷たいなあ」
「カラム」
「分かったよ、離すって」
三人は木の根元を離れ、スカイシャドウ湖のある北へ向かって歩き始めた。
しばらく沈黙が続いた後、フィニアンがふと尋ねた。
「明日はどこへ向かうつもりなんだ?」
シラスは前方を見つめたまま答えた。
「フォルストヴェイル渓谷だ」
カラムが眉を上げた。
「あの崖と洞窟がある場所か?」
「ああ。もしかしたら、エヴリンの根城かもしれない」
フィニアンは手に持った箒を強く握りしめた。
「それなら、なおさら行くべきだ」
彼の声は、先ほどよりも真剣なものになっていた。
「もうこれ以上、エヴリンの好き勝手にはさせたくない」
シラスはすぐには答えなかった。
彼はエヴリンとセラフィナの戦いを思い返していた。自分とカラムでは到底追いつけないほど、精密な魔術の数々。
あの二人のどちらかと正面から戦うことになれば、純粋な力比べで勝てる見込みはほとんどない。
しかし、だからといって諦める必要はなかった。
観察し、情報を集め、準備を整え、適切な機会を選べばいい。
少なくともシラスは、優れた計画があれば、自分より強い相手に対しても勝機を生み出せると信じていた。
「じゃあ、それで決まりだ」
彼は言った。
「明日の朝、フォルストヴェイル渓谷へ向かおう」
カラムはため息をつき、頭上の真っ暗な木々を見上げた。
「今度こそ、箒で飛ばずに済むといいんだけどな」
フィニアンは彼の方を向いた。
「待てよ。俺の箒を使って飛んだのか?」
カラムの体が固まった。
シラスは何も言わず、歩く速度を少し上げた。
「カラム?」
フィニアンは目を細めた。
「俺の箒に何をした?」
「それは……実は、ちょっと長い話なんだ」
「カラム・マーロウ!」
「分かった! 怒鳴るなよ! 話すから! でも、笑わないって約束してくれ!」
三人の言い争う声は、エヴァーミアの夜の中へと少しずつ溶けていった。
頭上では、冷たい空の隙間に星々がひとつ、またひとつと姿を現していた。
松林は静まり返ったまま、まるで先ほどの激しい戦いなど何も見ていなかったかのようだった。エデヴェインから来た少女が三人をどれほど苦しめたのか、その痕跡さえ残していない。
セラフィナ・ヴェイクロフトは去った。
エヴリン・アシュフォードも姿を消した。
だが、クラウンフェル試験はまだ続いている。そして、この試験に隠された秘密がすべて明らかになるまでには、まだ長い時間が必要だった。
その夜、シラス、カラム、フィニアンの三人は、苔に覆われた岩の間に仮の休息場所を見つけた。
彼らの誰ひとりとして知らなかった。
エヴァーミアの別の場所では、先ほどの出会いを思い返しながら、今も微笑んでいる者がいることを。
そして、フォルストヴェイル渓谷が、翌朝の彼らを待ち受けていることを。
第14章・完




