✢ 王家の影は王子様の鍛錬を眺める
俺は高い木の枝の上に寝そべって、林檎を齧っていた。
今から、騎士団長イグニス閣下が小さい王子達に指南するらしい。
(どうせ形ばかりの甘っちょろい指導なんだろ?)
俺は王家の影の一門に生まれた。
今年で十五歳になった俺は、幼少期から地獄のような鍛錬をこなしてきた。
たぶん適性があったのだろう。いつの間にか一門の中で親父の次に腕が立つ存在になっていた。
俺は紫紺の髪に、真っ赤な瞳をしている。
俺の一門には稀に赤目が生まれるらしいが、鮮血みたいで目立つし、影なんだから正直もっと地味な色だとよかったのに、と思う。
ついでに言うと、母の趣味ですげえキラキラした名前を付けられて、名乗るのがちょっと恥ずかしい。まあ、影が本名を名乗る場面なんて殆どないからいいけど。
裏社会で勝手に付けられた『ブラッド・アイ』って異名もあるけど、これはこれで嫌だな。スパイ小説のコードネームじゃあるまいし。
(なんかいい感じの呼び名、誰か考えてくんないかな)
そんな俺が、第一王子フェリクスの専属の影――表向きは侍従になることが決まった。
だから、俺の主になる人がどんな人物なのか、偵察にきたってわけだ。
***
鍛錬に参加しているのは、第一王子フェリクス、七歳。
第二王子ユリウス、六歳。
フェリクス達の乳兄弟で、騎士団長の息子アルフレッド、七歳。
フェリクスの側近候補である、アメティスト公爵家嫡男ルシアン、九歳。
四人とも端正で美麗な顔立ちをしていて、光輝く存在感を放っている。
(ちびっこ達、既に風格があるじゃないか。さすが高貴な生まれの人間は違うなあ)
そんなやんごとなき貴公子達に、イグニス閣下が檄を飛ばしている。
「親父、そろそろ休憩入れてくれよ!」
アルフレッドが走りながら、閣下に大声で叫んでいる。
「なんだその口の利き方は! 師には敬語を使え、敬語を! お前はあと十周追加だ!」
「はあああ、鬼かよ!」
第二王子ユリウスも走りながら訴えている。
「もう一時間も走りっぱなしで疲れましたぁ、師匠ぉ」
「ユリウス殿下、ペースが落ちてますぞ!」
ぷくっと頬を膨らませる、天使のように愛らしいユリウスにも容赦はない。
ルシアンがユリウスにペースを合わせて並走し始めた。
ルシアンのアメジストの瞳は、気遣うようにユリウスの横顔に向けられている。彼は年長だからか、年下の面倒を見ることに慣れているようだ。
我が主となる第一王子フェリクスは淡々と走っている。
まるで機械のようにペースが一定で、息もほとんど乱れていない。彼の黄金の髪は太陽の光を浴びて煌めき、向かい風にさらさらと揺られている。
走り込みが終わり、今度は腕立て伏せ、スクワット、木登り等をこなしている。
休憩中にユリウスの高い声が響く。
「みんな見て! 僕、とうとう腹筋が割れてきたよ!」
ユリウスが無邪気にシャツをめくると、うっすら割れた腹筋が見えた。
「ユリ坊、まだまだだな! 俺を見てみろ!」
アルフレッドがシャツを脱ぎ捨てた。七歳にしては均整のとれた筋肉がついている。
「ルシアンも見せてみろよ!」
「はあ、いやだよ。僕はアルフのような筋肉馬鹿じゃないんだから」
ルシアンが冷めた目でアルフレッドを見る。だけどアルフレッドはめげない。
「さては年下のユリ坊に負けてるのが恥ずかしいんだな?」
「は? 僕が負けるわけないでしょ。三歳も年上なんだよ?」
ルシアンが挑発に仕方なく乗ってやり、ちらっとシャツをめくると綺麗に割れた腹筋が見えた。
彼は「ね、これでわかった?」と言うと、すぐにシャツを元に戻した。
「ねえねえ、兄上も見せて!」
「うん、いいよ」
弟ユリウスの無邪気なお願いに、フェリクスはこくりと頷いた。
シャツのボタンを丁寧に外すと、なめらかな白い肌に美しい腹筋が刻まれていた。
そこへ、イグニス閣下が近づいてきた。
「君たちの年齢では無理に筋肉をつけることはしなくていい。だが将来的にはこれを目標にしなさい」
イグニス閣下が勢いよくシャツに手をかけると、べりべりっと引き裂くような音がした。
(今、服を破り捨てる必要があったのか?! このあと何を着て帰るんだよ!)
まず目に飛び込んできたのが、固く盛り上がった立派な大胸筋だ。次に深く六つに割れた腹筋。背中の引き締まった筋肉は、逆三角形の芸術的ともいえるシルエットを作っている。
そして筋肉粒々の身体に残る多くの傷跡が、この男が命懸けで国を守ってきた英雄であることを物語っている。
イグニス閣下が上腕にぐっと力を込めると、巨大な力こぶが浮かび上がった。
「うわあ、すごい! かっこいい! 僕も師匠のような筋肉をめざしますっ!」
ユリウスがキラキラした瞳で閣下を見上げている。
閣下は満足げに頷くと、腰をかがめて教え子達に己の筋肉を触らせてやっている。
(ていうか、王族はそこまで目指さなくていいだろうが!)
次は体術の鍛錬をやるようだ。
(へえ、ルシアンの体術のセンスは抜群だな)
長い手足から繰り出される突きと蹴りは、無駄な力が入っておらず、実戦でも的確に相手の急所を捉えることができるだろうと予想できる。
次は木刀を持って素振り。それが終わると打ち合いだ。
イグニス閣下が部下である若い騎士を呼び、貴公子達の相手になるよう指示した。
閣下は傍らに立ち、教え子達にアドバイスをしている。
ユリウスはしなやかな動きで、相手の攻撃をうまく躱している。
「ユリウス殿下! 素早さは大したものです。あとは体の軸がぶれないように!」
「はいっ、師匠!」
褒められたユリウスは嬉しそうににこっと笑った。
ルシアンはフェイントを上手く使って相手を翻弄している。
「間合いの取り方はとても良いです。あとは思い切って懐に踏み込んで!」
「はい!」
フェリクスは涼しい顔で相手の剣を捌いている。
相手のクセを見抜いて攻守を組み立てるスピードが桁違いだ。瞬時の状況判断と予測があれだけできるってことは、頭の回転が相当早いのだろう。
「フェリクス殿下、かなり上達しましたね。あとは剣にもう少し体重を乗せるといいですぞ!」
「はい」
(褒められても無表情か。あの歳なら普通は嬉しそうな顔するだろうに)
アルフレッドは剣に重さが乗っていて破壊力がある。それに懐に入っていくスピードと思い切りの良さもいい。さすが閣下の息子。若い騎士が若干押し負けてるじゃないか。
「おい! 子ども相手に情けないぞ!」
「恐れながら団長! 子どもの技量じゃないっスよ!」
「言い訳するな。稽古をつけてやるから、あとで俺の所にこい!」
「は、はい!」
「それとアルフレッド! 攻撃は良いが防御が甘い。構えを見直せ!」
「はいはーい」
「返事は一回だ! 罰として城の周りを十周走ってこい!」
「はあああ、また走んのかよ?! この城どんだけ広いと思ってんの?!」
アルフレッドが目を剥いた。
(あの歳であれだけやれんのか。全く化け物級だな! ひょっとしたら、将来は閣下を超えるかもしれないな)
「今日はこれにて終了! ではまた明日!」
「「「「師匠、ありがとうございました!」」」」
四人の貴公子が礼をして、朝の鍛錬がやっと終わった。
イグニス閣下は破れたシャツ――もはや原型をとどめない布切れを右肩に掛けて、颯爽と去っていった。
これを毎日やってるのか、思ったよりハードなんだな。
まあ、王家の影の地獄の特訓に比べたらぬるいけど。
でも、形ばかりの甘っちょろい鍛錬なんて決めつけて悪かったな。
このあとは四人とも座学がびっしり入ってるんだっけ。俺だったら絶対居眠りする自信があるな。
俺はそんな感想を抱きながら、林檎を食べ終えると木からひょいと飛び降りた。
♢♢♢
数日後。
俺はフェリクス殿下と対面した。
鮮血のような赤い目は目立つので、瞳の色を変える術具をかけた。
今、俺の瞳は灰色に変化している。
「君が僕の新しい侍従? よろしくね」
フェリクス殿下は作り物の笑顔を俺に向けた。
(ほんと完璧な王子様の仮面だな。これが剥がれる日がもし来るとしたら⋯⋯真っ先に目撃するのは俺だろうな。なんせ一番近くで仕えるんだから)
その日が来るのが楽しみだ。
俺は恭しく頭を下げたまま、殿下に見えないように口元を僅かに緩ませた。
フェリクス殿下は、去り際に俺を見上げて言った。
「おいしかった? 君の瞳と同じ、真っ赤なりんご」
(へえ、完璧に気配消したつもりだったのにな)
俺は自分の瞳が林檎に喩えられたのが可笑しくて、また口元を緩ませた。
そして、黒縁眼鏡を中指でくいっと押し上げてから答えた。
「はい。よく熟れていて美味でございました」




