✢ 偽聖女にされたデイジーの初恋の行方 2
最初は悪い夢を見ているのかと思っていた。
自分の行動を、透明の檻の中から眺めている感覚。
「フェリクス様♡」
甘ったるい声を出して、フェリクス王太子殿下の腕にしがみついているのは、紛れもなく『私』。
(そんな不敬なことをしないで!)
檻の中から叫ぶが、私の声は『私』には届かない。
♢♢♢
私デイジーは、教会で何者かに身体を乗っ取られた。
そして偽物の『私』は聖女認定され、ガスタイン伯爵の養女になり、貴族向けの学園に編入した。
その日も『私』はいつものように、フェリクス王太子殿下の腕に絡みついていた。
「フェリクス様っ、今日デートしませんか?」
「駄目だよ、婚約者のいる男をデートに誘うなんて。私は何度も忠告しているよね」
「えーフェリクス様ってば固いですよぉ。みんなデートくらい気軽にしてますって」
フェリクス殿下がうんざりしているのがわかる。
王族に不敬な態度を取っている自分に、私は心の底から恐怖した。
フェリクス殿下がプリムローズ様を心から大事に思っていることは、彼の視線の先を辿れば明らかなのに。
(この身体を乗っ取っている女には分からないの?!)
フェリクス殿下は『私』の手をやんわり引き剝がすと、その場から去っていった。
一連の様子を見ていたジェフリー様に『私』が気づいた。
「あ、ジェフさまぁ~」
ついさっきまでフェリクス殿下にべたべたしていた『私』は、今度はジェフリー様に媚びるような視線を向けた。
「ジェフ様にお会いできてうれしいです☆」
両手を胸の前で組み、空色の瞳を潤ませてジェフリー様を見つめる。
ジェフリー様の隣にいた男子生徒が、呆れたような声を出した。
「デイジー嬢。君、今さっきまでフェリクス殿下に言い寄ってたよね。これ以上、ジェフを惑わさないでくれるかな」
その男子生徒はジェフリー様に向き直ると言った。
「お前もデイジー嬢のことは諦めたらどうだ。どうせ数多ある男の中の一人にしかなれないぞ」
ジェフリー様は、その男子生徒を手で制した。
「博士君ありがとう。でもデイジーは君が思っているような女の子じゃないんだ。頑張り屋で家族思いの優しい子なんだよ」
そして『私』を見つめながら言った。
「デイジーが俺のことだけを見てくれるように頑張るよ」
眉を下げて切なそうに笑うジェフリー様を見て、心が千切れるような痛みが走った。
(違う、私の意思じゃない! 私はジェフリー様だけが好きなのに!)
『私』から一粒の涙が零れ落ちた。
ジェフリー様は驚いた顔をした。
(お願い! 夢なら早く覚めて! 私の身体を返してよ!)
私は透明の檻の中から叫び続けた。
***
その後も『私』の行動はひどいものだった。
フェリクス殿下に付き纏い、プリムローズ様を傷つけてしまった。
プリムローズ様の慈愛に満ちたエメラルドの瞳が、深い悲しみの色に染まった。
(ごめんなさい、ごめんなさい!)
私は透明の檻の中で、何度も何度も謝った。
プリムローズ様にも、フェリクス殿下にも、そしてジェフリー様にも。
そんな絶望に満ちた時間をどれくらい過ごしたのだろう。
ある日、奇跡が起きた。
プリムローズ様の不思議な力によって、私の身体から偽物は消え去った。
私は、検査のためしばらく入院することになった。
久しぶりに自分の身体が思い通りに動く。
最初は嬉しくてたまらなかったが、次第に『私』の数々の行動を思い出して、嫌悪と羞恥に苛まれた。
私は居た堪れず、いっそ死罪にしてくれたら、とさえ思うようになった。
そんな折、フェリクス殿下が私の病室を訪れた。
私は慌ててベッドから降りると、床に平伏した。
「不敬な態度の数々、本当に申し訳ありませんでした! どんな罰でも受けますから、どうか、どうか家族だけは許してください」
涙ながらに謝り続ける私に、フェリクス殿下が優しく声をかけた。
「顔を上げて。君が謝ることなんて何一つないよ。君はこの事件の被害者なんだ。今はゆっくり療養してほしい」
そして、父の借金を返しても余るほどの多額の見舞金を頂いた。
家に帰ると、父と弟は涙を流して再会を喜んでくれた。
「お前の苦しみに気づいてやれず申し訳なかった。お前が無事で本当によかった」
苦労をかけてすまなかった、と何度も謝る父を見て、父を残して死ぬなんてできないと思い直した。
しばらく家で休養し、徐々に気力を取り戻した私は孤児院を訪れた。
これからもここで働きたいとお願いしたら、院長は快く受け入れてくれた。そして、洗濯の他にも幾つかの仕事を任せて貰えるようになった。
ある日、孤児院で働く私の元をプリムローズ様が訪ねてきた。
「あのっ! 申し訳ありませんでした!」
私が頭を下げようとすると、プリムローズ様は私の手を握った。
「あなたは何も悪くないわ。今までつらかったでしょう」
彼女は慈愛に満ちたエメラルドの瞳で私を見つめた。
そして震える私を、優しく抱き寄せてくださった。
「つらい思いをした分、これからはデイジーさんにたくさんの幸せが訪れるよう祈っているわ」
その言葉を聞いた私は、まるで子どものように声をあげて泣いた。
プリムローズ様は私の涙で彼女のドレスが濡れるのも構わずに、背中をさすり続けてくれた。
***
あの偽聖女事件は、世間にも知れ渡ったが、私が非難されることはなかった。むしろ被害者だからと同情されたり、励まされたりすることが多かった。
ある晴れた日。
いつものように孤児院の洗濯物干し場で、大量の服を干していると背後から声がした。
「やあ、デイジー。こんにちは」
そこには騎士服を着た、一人の青年が立っていた。
少し癖のある焦げ茶の髪に、オリーブ色の優しそうな瞳。
「ジェフリー様⋯⋯」
私はその場に立ち尽くした。
ジェフリー様は私にゆっくりと歩み寄ってきた。
「学園を卒業して騎士団に入ったんだ」
「そうですか。おめでとうございます」
身体を乗っ取られている間、ジェフリー様の前でもかなりの醜態を晒してしまっていた。
私は彼を直視することができず、俯いたまま祝辞を述べた。
「デイジー。事件に巻き込まれて大変だったね」
「身体を乗っ取られていたとはいえ、ジェフリー様にも無礼を働き、申し訳ございま⋯⋯」
私が謝罪の言葉を言い終わる前に、ジェフリー様が私の手を両手で包みこんだ。
「よかった。元のデイジーに戻ってくれて、本当によかった」
ジェフリー様の手と声が震えている。どうやら泣くのを堪えているようだ。
私はおずおずとジェフリー様を見上げた。
「デイジー、好きだよ。どうか俺を選んでほしい」
「私でいいんですか?」
「デイジーがいい。デイジーじゃなきゃ嫌だ。デイジーは俺のことどう思ってる?」
彼のオリーブ色の瞳には、不安と期待の色が浮かんでいる。
「私、ずっとジェフリー様だけが好きです。ジェフリー様以外に恋をしたことなんてありません。だから、」
「だから?」
ジェフリー様が私の顔を覗き込んで続きを促す。
私はとても小さな声で言った。
「⋯⋯ずっと一緒にいたいです」
「ああ夢みたいだ! すぐにでも結婚しよう!」
ジェフリー様は破顔して、私をぎゅうっと抱きしめた。
彼の肩越しに見える青空は、母の瞳の色と同じ。
私、初恋を諦めなくてもいいのかな。
――幸せになってもいいのかな。
心の中で母に問いかけると、柔らかなそよ風が吹き抜けていった。




