✢ 偽聖女にされたデイジーの初恋の行方 1
ある日突然、私の身体を誰かが乗っ取った。
そして、悪夢のような日々が訪れた――
♢♢♢
私の名はデイジー。先月、十八歳になった。
ハニーブラウンの髪と空色の瞳は母から受け継いだ。
その母は弟を産んですぐ亡くなった。
今は父と、年の離れた弟と暮らしている。
我が家はとても貧しい。
父が数年前に友人に騙され、多額の借金を背負わされたからだ。
父は懸命に働いてくれているが、稼ぎのほとんどが毎月の借金返済で消えてしまう。
だから私は下町の食堂の給仕と、孤児院での洗濯の仕事を掛け持ちして、家族の生活費を稼いでいる。
毎日くたくただけれど、父も頑張っているし、弟を学校に通わせてやりたい。
そのためにはもっともっと稼がなくては。
私が働く孤児院には、奉仕活動の一環として貴族の方々もお越しになる。
ほとんどの方は形式ばかりの訪問で、孤児院に少しだけ滞在してさっさと帰っていく。
『孤児院を訪問した』という実績作りができれば、それで良いらしい。
勿論そのような貴族ばかりではない。
子ども達に心を寄せてくださる方もいる。
例えば、アメティスト公爵家のプリムローズ様。
あの方は、子ども達のことをいつも真剣に考えてくださる。
将来のために学を身につけた方がよい、と教師を定期的に派遣し、教本や文具を寄贈し、時には自ら文字を教えたりする。いつも子ども達と目線を合わせて、ドレスが汚れるのも構わず楽しそうに遊んでいる。
子ども達はそんなプリムローズ様が大好きだ。
私は洗濯係なので直接は話したことはないけれど、いつも遠くから憧れの眼差しを向けていた。
***
ある日、私は洗濯物の入った籠を持ち、干し場へ向かっていた。
大量の洗濯物が重かった上に、日々の忙しさで疲れていたのだろう。私はふらりと立ち眩みを起こしてしまった。
(せっかく洗ったのに落としたら大変!)
その時、私は籠ごと後ろから誰かの腕に支えられた。
「す、すみません!」
慌てて振り向くと、支えてくれていたのは若い男性だった。
私と同じ歳くらいだろうか。
少し癖のある焦げ茶の髪に、オリーブ色の優しそうな瞳。仕立てのよい上等な服を着ていて、一目で貴族だとわかった。
「高貴な御方の手を煩わせてしまい、申し訳ありません!」
私は勢いよく頭を下げると、すぐその場から立ち去ろうとした。
「待って! 君、ふらついていたけれど大丈夫? どこか具合が悪いんじゃないのか?」
その方は私を慌てて呼び止めると、顔を覗き込んできた。
その場で固まってしまった私を見て、その方は眉を下げた。
「ごめん、大きな声を出して驚かせてしまったかな。俺はジェフリー。マーズ家の四男だ。今日は奉仕活動で来たんだけど、迷ってしまって門の場所が分からなくなったんだ」
(マーズ家って、この辺りに屋敷がある子爵家よね)
「それなら門の場所までご案内しますね」
そういって歩き出した私に、ジェフリー様は尋ねてきた。
「ねえ、君の名前は?」
「わ、私はデイジーといいます」
「デイジーか。とても可憐な名前だね」
貴族令息に名前を聞かれただけでも驚きなのに、可憐だと褒められた。
(これって社交辞令というやつかしら? 貴族の方とあまりお話ししたことがないから、どう答えればいいのか分からないわ)
私は曖昧な笑みを浮かべて、小さくお辞儀をした。
「ありがとうデイジー。またね」
門の場所まで案内すると、ジェフリー様はにこやかに手を振って去っていった。
(またお会いすることはないでしょうけど)
貴族なのに親しみやすくて感じのよい御方だったわ、と洗濯物を干しながら思った。
***
もう会うことはないと思っていたのに、ジェフリー様はまたすぐに現れた。
「やあ、こんにちは。デイジー」
「マーズ子爵令息様⋯⋯」
私は慌てて頭を下げた。
「俺のことはジェフって呼んでいいよ」
「そんな恐れ多いです。⋯⋯また迷われたのですか?」
「ううん。今日はデイジーに会いたくて来たんだ」
「え?」
私は思わずこてんと首を傾げた。
よく見ると、ジェフリー様の顔がほんのり赤い。
何故だかつられて私まで赤くなってしまった。
その日からジェフリー様は、週に一度は孤児院の洗濯物干し場に現れた。
少しの時間、何気ない話をするだけだったけど、次第に私達は打ち解けていった。
いつしか私は「ジェフリー様」と呼ぶようになり、その時間を心待ちにするようになった。
そう、私はジェフリー様に恋をしてしまったのだ。
でもジェフリー様は貴族。私は平民。しかも家は多額の借金持ち。
どう考えても不釣り合いだ。幸せな未来が見えない。
「ジェフリー様。私のような平民に構うのは、もうおやめになった方がいいのではないですか」
「どうして?」
「だって、ジェフリー様は貴族ですし、その⋯⋯」
言い淀んで俯いてしまった私に、ジェフリー様は慌てて言い募った。
「そんなこと気にしなくていいよ。俺は四男だから爵位も貰えないし、将来は騎士団に入るつもりだから。それに、俺がデイジーと一緒にいたいって思うんだ。デイジーは俺と会うの、嫌?」
「そんなことありません!」
思わず大きな声を出してしまい、慌てて口を押さえた。
「なら、また会いにくるよ」
ジェフリー様はそう言って、オリーブ色の瞳を眇めた。
♢♢♢
下町の食堂でいつものように給仕をしていると、二人組の男性客に絡まれた。
「姉ちゃん、可愛い顔してるねえ! このあと俺らと飲みに行かない?」
「お断りします」
このような誘いは頻繁なので、いつものように素気無く断る。
だけど今日の客はしつこかった。
「つれないなあ。ちょっとくらい相手してくれよ。どうせいろんな男と遊んでるんだろ?」
男に腕を強く掴まれた。
「やめてくださいっ!」
男の手を振り払おうとするけど、びくともしない。
(やだ、気持ち悪い。誰か助けて!)
すると、後ろから男の人の声がした。
「その手を離しなさい」
振り返ると、下町の食堂には似つかわしくない高貴な佇まいの男性が立っていた。
その人は茶褐色の髪、榛色の瞳にモノクルをかけ、痩身でグレーのフロックコートを着ていた。
両脇には体格のいい騎士が二人。
騎士達は私の腕を掴んでいた男を捻り上げると、あっという間に店の外に連れていった。
「ありがとうございます!」
私は深々と頭を下げた。
私を助けてくれた人はオリバー・ガスタイン伯爵と名乗った。
「この辺は物騒で客層もよくない。君のような可憐な娘がここで働くのは危ないよ。私がいい仕事を紹介してあげよう」
伯爵は食堂より給金が高い、教会の仕事を紹介してくれると言う。
(父の借金が返せれば、ジェフリー様と将来を共にすることも出来るかもしれない)
そんな不相応な願いを抱いてしまったから、きっと罰が当たったのだ。
私は教会で、何者かに身体を乗っ取られてしまった――




