あたたかい食事
本当にすぐだった。
森に足を踏み入れて少し行くと、白い塀が現れた。塀の中には小さな畑があり、その向こうには、低く横にひらけた家が一軒だけ見えた。
煙突からは煙があがっている。
ロネスは、目の前に家が突然現れたような、不思議な感覚に襲われた。
ロネスの肩の高さほどの塀には、古びた鉄の門の戸がひとつだけついていた。それを押すと、ギィと音がした。
先を歩くフリージアは既に畑の横を突っ切っていて、玄関扉に手をかけている。
その少し手前には小さな井戸のようなものがあり、その上には手押しポンプが蓋をするように据えつけられていた。
レオンの尻尾をつかんだままのロネスは、そのまま引っ張られるように家の中へ入っていった。
緑の鉢植えがたくさん置かれていて、空気が澄んでいるように感じる。暖かい家の匂いがして、途端に自分のボロボロの服装が場違いに思えて、恥ずかしくなってしまった。
奥から、フリージアと一緒に黒い髪の落ち着いた女性があらわれた。穏やかな目をしたその人を見て、ロネスはなぜだか胸の力が抜けるような安心を覚える。女性は、レオンの背でぐったりしているロンに気づき、慌てた表情で駆け寄ってきた。
この人が、フリージアの言っていた「カリンさん」なのだろうと、ロネスはすぐにわかった。
「あなたがお兄ちゃんね。これから私が弟さんに治療の魔法をかけるけど、いいかしら?」
何故だかロネスは、胸の奥から嗚咽がこみあげてきて、こらえきれずに泣き出してしまった。
「お、お願いしま、す。ロンを助けてください……」
カリンさんはロネスの頭をそっと撫で、「大丈夫よ」と優しく言った。
「フリージア、ロネスにお風呂の使い方を教えてあげて。レオンはロネスと一緒にお風呂に入りなさいね」
フリージアは、ロネスもいい状態ではないことをわかっていた。カリンさんもすぐに気づいたのだろう。
だからレオンと一緒に入れと言ったのだとフリージアは思った。
コクンとうなずき、泣いているのを悟られまいと、鼻をすすった。
「わかったわ! 任せて! ほらロネス! ついてきて。私が特別に教えてあげるわよ」
フリージアは場の雰囲気を変えるように、わざと茶化してロネスに声をかけた。
カリンさんがロンの治療をしている。レオンがロネスのお風呂の世話をしている。じゃあ、私はどうしようかしら。
ロネスとレオンをお風呂場に押し込んだあと、フリージアは腕を組み、顎に指を当てながら考えていた。
ロンの治療もひと段落したのか、そんなフリージアの様子に気づいたカリンは、くすっと笑って、わざと大きな独り言をつぶやいた。
「お風呂から上がったロネスの着替えと……そうだわ、ロンの着替えも必要ね。今は手が離せないのだけれど……」
「ひらめいた!」と目を見開くと、フリージアはバタバタと自室へ駆け込んだ。
ロネスはフリージアより頭ひとつ分は大きいが、痩せているので、フリージアの作業用の服でもじゅうぶんに入るだろう。
ロンはフリージアより小さいので、問題ない。
自室からバタバタと戻ってきたフリージアは、カリンに二人の替えの服を見せながら、「これを着てもらうわ!」と笑顔で報告した。
「ありがとう、フリージア。本当にいい子ね。みんなが帰ってくる前にスープを作っておいたの。温め直してくれる?」
カリンは、二人の分だけを別の鍋に移し、中の具材を小さく潰しておくようフリージアに頼んだ。
「パンはどうしよう?」
フリージアは、今朝焼いたパンを二人に食べてもらいたいと願うように、カリンへ差し出した。
「フリージアが焼いたパンなら、きっと元気になれるわね。でも、今日は二人ともお腹が疲れているから、ぐっすり眠ったあと……明日、食べてもらうのはどうかしら?」
カリンは穏やかな笑顔で、フリージアにそう語りかけた。
「それがいいわね!」にかっとフリージアは笑った。
そうこうしているうちに、びしょ濡れのレオンが出てきた。
「もう、レオン! 呼んでよ!床がびしょびしょじゃない」
レオンは「なんてことを言うんだ!」と言いたげに、拗ねたよう「わふふん」と鳴き、テーブルに並んだ二着のうち、大きいほうの服をくわえると、そのまま風呂場へと戻っていった。
「フリージア。レオンは、ロネスの裸を見られないようにしてくれたんじゃないかしら?」
カリンが苦笑しながら、諭すようにフリージアへ声をかける。
「そ、そんな気がしなくもないわよね……。まあ、ここは私が引いて、あとでレオンに謝っておくわ」
そう言い、フリージアは、床に点々と残ったレオンの濃い水の足跡を拭き取りにかかった。
夢なのかもしれない、とロネスは思った。
まだ自分は、あのボロボロの布の下で、ロンと二人並んで眠っているんだ。
いま自分の身に起きていることが、どうしても現実だとは思えなかった。
王都で内戦が起きた。
仕事から帰ってきた母さんが戸口を乱暴に開けて、「急いで逃げるわよ!」と言った。
足の悪い父さんを支えるように、母さんとロンと四人で、ロネスたちは王都から避難した。
けれど、その途中で戦火に巻き込まれ、父さんも母さんも死んでしまった。
それからは、たった一人残された家族であるロンを守るように、あてもないまま歩き続けた。
どこへ向かうのかも分からない。
ただ、あのとき母さんが言った「逃げる」という言葉だけを頼りに、ロネスは王都から逃げてきたのだ。
食べ物もなく、安心して眠れる場所もない。
ロンは日に日に元気を失っていった。
兄である自分には、何もしてやれない。
それが、ひどく怖かった。
せめて教会なら助けてくれるかもしれないとすがろうとしたが、薄汚い笑いをした男たちに邪魔された。
食べ物まで奪われそうになった時、フリージアたちに出会えた。助けてくれた。
今の自分は、汚れを落とし、清潔な服を着て、暖かい家の中で食事をしている。
ロンも少し元気を取り戻し、カリンさんに支えられながら口を動かしている。
ふいに、ロンがこっちを見た。笑っている。
「兄ちゃん……。美味しいね」
久しぶりに、ロンと目が合った気がした。
また、涙がぼとぼととこぼれ落ちる。
「うん……うん。美味しいな」
ああ、もう大丈夫なんだ。
心の底から、そう思えた。




