二つの石 1
カミラが世話役として戻ってきた。
最後に会ったのは、僕が9歳のころだ。6年ぶりの再会ということになる。
今回、離宮の人員を増やすことになり、ベルナールの部下も含めて新たな者が何人か入ることになった。その中に、カミラの名もあった。夫人に、どうしても僕のもとへ戻りたいと願い出たのだという。
いつもの夫人なら、こういうことは事前に僕へ一言あるはずなのだが…。しかし、今回はカミラの復帰はすでに決まっていて、ベルナールもそれを当然のように受け入れていた。
少し気にはなったが、ベルナールが認めているのなら問題ないのだろう。
そう思って迎えた6年ぶりの再会で、カミラは相変わらずの口ぶりではあったものの、僕に対する態度は少しも変わっていなかった。
そのことに、僕はほんの少しだけ安堵した。
ああ、変わったことは少しあったな。
カミラは折に触れて、姉様は王にふさわしくない、王となるべきは僕だと繰り返すようになった。
本来なら、不敬として罰せられてもおかしくない言葉のはずだった。
それなのに、離宮の中だけで交わされるせいか、それともあそこにいる者たちが皆、同じ空気に馴染みすぎていたせいか、誰ひとりとして強くたしなめようとはしなかった。
僕自身もまた、それをおかしいと感じながら、いつしか聞き流してしまっていた。
「カイ。今回こそは王城で祝いましょう。だってあなた16歳になるのよ。成人するのよ!こんなに特別なこと、お祝いしないわけにはいかないわ」
姉様は、僕の祝いのことしか頭にないのだろうか。
もう成人を迎えたというのに少しも落ち着かない姉の相手をしながら、僕は胸の内でそっとため息をついた。
ここ最近は姉様に対して苛立ちを覚えることが多くなった。疲れているのだろうか…。
「それに毎年、離宮の者たちとだけ祝っていると聞いたわ。私、一度だって呼ばれたことがないのだけれど……」
しまった。いつの間にか、話の流れがあやしくなってきた。姉様は本当に感情の移り変わりが早い。
「姉様をお招きするほどの会ではありませんよ。それに毎回、離宮の者たちが内々に祝いの席を設けてくれるので、僕も前もって知っているわけではないのです。
ですが、今年は僕も成人いたします。ですから、姉様が僕のために選んでくださる特別な贈り物を、ぜひ頂きたいです」
つい先ほどまで不機嫌そうにしていた姉様は、その一言でたちまち顔を輝かせた。
「カイからお願いしてくれるなんて……。ふふ、任せてちょうだい。あなたの姉様が、きっと喜ぶものを贈ってあげるわ」
たちまち上機嫌になった姉様は、見送りは不要だと言い残し、そのまま王城へ帰っていった。
「なんだか、カイ様もずいぶんお上手になりましたねえ。女性を誑かすような悪い男にはなってほしくないなぁ〜」
また…。いつの間に紛れ込んでいたのか、マドルクがとんでもないことを口にする。
「まあ、マドルク様。殿下にそのような失礼をおっしゃってはいけません。
はあ……エレナ様も、お忙しい殿下のことを少しは思いやりくださればよろしいのに。このあとも、エレナ様のお仕事を殿下がなさるというのに……。次期国王としてのご自覚がおありとは、とても思えません」
茶器を片づける手を休めることなく、カミラはいつものように、小さな声で愚痴をこぼし続けていた。
その囁きは独り言のようでいて、不思議と胸の内に染み込んでくる。
聞き流すつもりでいたはずなのに、姉様への苛立ちは、いつの間にか当然のもののように心の中で膨らんでいた。
「ああ、そうだった!カイ様がお待ちかねの方が、ようやくお見えになりましたよ」
それは、フェリミカが約一年ぶりに戻ってきたという知らせだった。
すでにベルナールは鍛錬場へ向かっており、フェリミカの相手をしているらしい。
ベルナールとは、あれ以来、王位継承のことを話していない。
あのときベルナールは、すぐに決める必要はない、フェリミカが戻るまではまだ時間があると言ってくれた。僕はその言葉に甘えたまま、今日まで決断を先延ばしにしてきた。
ベルナールが秘密裏に準備を進めていることには気づいていた。けれど、僕は気づかないふりをしていた。
だが、その猶予ももう終わろうとしている。
フェリミカが持ち帰った品を早く確かめたい気持ちはある。けれどその一方で、姉様から王位を奪い、自分が王になるというあの話に向き合わなければならないと思うと、足取りはひどく重かった。
「殿下。お会いしたかったです」
ベルナールと話し込んでいたフェリミカは、僕に気づくと、いつもの胡散臭い笑みを浮かべたまま駆け寄ってきた。
だが、近づいてくる姿を見て、僕はわずかに眉をひそめる。
何かがおかしい。前とは違う違和感だ。どこか変だ。
そう思って目を向けた先で、ようやくその理由に気がついた。
「フェリミカ、久しいな。もうお前のことなど忘れかけていたぞ。
それに……その右腕はどうした。まさか、私のせいで何か不自由をかけたのか」
フェリミカが一瞬、驚いたように目を見開いた。
だが、それもほんの刹那だった。すぐにいつもの顔へ戻ると、何事もないように両腕を広げてみせる。
「右腕とは何のことでしょうか。何ひとつ不自由などございませんよ。この通り、いつもと変わりません」
僕の気のせいだったのだろうか。
もう一度よく見ようとした、そのときだった。
フェリミカは上機嫌な様子で、ぱんと手を打った。
「殿下、お待たせいたしました!
この品なら、殿下のお望みも叶いましょう。本当に長らくお待たせしてしまい、申し訳ございませんでした。さあ、どうぞお試しください」
フェリミカは、透明な丸い石が二つ、横に並んだ指輪を差し出した。
水晶だろうか。澄みきっているのに、ただ美しいだけではない、妙な気配がある。
右手の親指にはめるよう勧められ、僕は半ば促されるまま指輪を通した。
するとそれは、まるで最初からそうであるべきだったかのように、僕の指にぴたりと収まる。
息をのんだ。
今まで持ち込まれたどの品とも違う。
身体の奥に眠る力へ、指輪の内の何かが静かに入り込もうとしていた。
「殿下。どうか、指輪をお受け入れください」
その言葉の響きに、僕は思わずためらった。
すると、鍛錬場までついてきていたカミラが明るい声で言う。
「殿下、ご心配には及びませんわ。こんなにも綺麗な指輪なのですもの。何かあるはずがございません」
何の根拠もない言葉だった。
それなのに、どうしてか僕はカミラの言葉に頷いてしまった。
そして、その何かを受け入れた。
すると、身体の内から何かを引き剥がされるような、おぞましい不快感が走った。
痛みこそないものの、吐き気を催すほど気分が悪い。立っていることさえ難しいほど、急激に力が抜けていく。
僕の顔色の変化に真っ先に気づいたベルナールが、血相を変えて駆け寄った。
そのまま僕の肩を抱き留める。
「殿下、大丈夫でございますか。お外しになった方がよろしいのではありませんか」
そう僕に優しく問いかけた次の瞬間、ベルナールは鋭く顔を上げ、フェリミカを睨みつけた。
「フェリミカ、これはどういうことだ。貴様、殿下に何をした!」
僕へ向ける声とは裏腹に、フェリミカへ向ける声音には、あからさまな怒りが滲んでいた。
今にも掴みかからんばかりの勢いで、ベルナールは詰め寄る。
「今は外さない方がいいですよ。まだ殿下の身体に馴染む途中です。ほら、よくご覧ください。石の色が変わってきているでしょう」
フェリミカは、ベルナールの怒りも、僕の体調の変化も意に介さぬふうで、抑えきれない好奇心に目を輝かせながら指輪の石を見つめていた。
二つ並んだ石のうち、一つの奥では、渦を巻く緑がかった金色の光が、息をするようにゆっくりと吸い込まれていた。
身体に馴染むとはどういうことか、その意味が少しだけ分かった気がした。
まだ疲労は残っている。だが、先ほどまでの不快感は薄れ、呼吸もいくらか楽になっていた。
石の中で渦巻いていた光が安定すると、フェリミカが顔を上げる。
すべて見通しているかのような顔で、力を放つよう促してくる。
いつもならベルナールを下がらせるところだった。
だが今回は、不思議とうまくいくという確信があった。
雷を放とうとする。
けれど、何も起こらない。まるで身体の内に、そんな力は初めから存在しないかのようだった。
抑え込まれていて放てないのではない。
そもそも、その力自体が身体の中に存在しない。そんな感覚だった。
「う、嘘だろ……。本当に?」
何度試しても、雷は放たれなかった。
祝福の儀で授かった雷。
どう扱えばいいのかも分からず、家族には見放され、周囲には怯えられ、僕自身も、いつか誰かを傷つけてしまうのではないかと常に恐れていた力。
その力が、なくなった。感じられなくなっていた。
やっと。
やっと、解放された……。
「殿下……」
ベルナールの声で、自分が泣いていることに気づいた。
「大丈夫だ。不様な姿を晒したな。だが、嬉しいんだ。これでお前も、皆も、傷つけずに済む。そう思って、安心したんだ…」
フェリミカが、ためらうように唇を開いた。
だが、その声音には奇妙な落ち着きがあった。
「あの……殿下。申し訳ございません。これで完成というわけではないのです。今は、指輪に宿る力によって、一時的に抑え込まれているにすぎません」
その言葉に、胸の奥が冷えた。
「そこに石が二つ並んでおりますでしょう。片方の、色のついている石。それが殿下のお力です。この力を継続して抑え込むには、血縁者の力を取り込む必要があるのです」
何を言われているのか、すぐには分からなかった。
いや、分かりたくなかったのかもしれない。
「……どういうことだ。血縁者の力とは何だ。お前は、何を言っている」
その場の空気にはあまりにも場違いな、明るい声が響いた。
「まあ、まあ、まあ!それでは、エレナ様のお力ということですね。よかったではありませんか。エレナ様は王族としてのお務めも果たしておられませんし、あの炎はカイ様にお譲りいただけばよろしいのですわ」
あまりにも自然な口ぶりだった。
冗談でも、思いつきでもない。心からそう信じている者の声音だった。
カミラはにこやかな笑みを浮かべたまま、何一つ疑うことなく言い切った。
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