稲妻の憂鬱 3
知らなかった。
カイは寝室でひとり、マドルクから聞かされた話を思い返し、うなだれていた。
いや、少し考えれば分かることだった。
昔から、僕は王族でありながら軽んじられてきた。そんな僕のそばにいるベルナールが、まっとうに扱われるはずがない。分かっていたはずなのに。
小さく息を吐く。
だが、マドルクの軽口をそのまま信じるのも危うい。確かめるなら、信用できる相手でなければならない。
しかし、ベルナール本人に聞くわけにはいかない。かといって、パトリックも駄目だ。あの話を遮ったのは彼だ。もしマドルクの話が本当なら、パトリックは真実を知っていたとしても、僕のために伏せようとするはずだ。
そうだ……。ゴードンに聞いてみよう。ベルナールの部下だ。優しい奴だから口は割らないかもしれないが、正直者だから顔に出る。明日、ベルナールの隙をついて聞いてみるか。
「ゴードン、レベッカ。おはよう」
ベルナールの執務室では、ゴードンとレベッカが積み上がった書類を前に、ひいひい言いながら仕事をしていた。
「カイ殿下、おはようございます。こ、このような場所に、あわわ……すみません。髪までこんなに乱れて。あっ、ベルナール様は今、いらっしゃいませんよ」
ゴードンは椅子が倒れそうな勢いで立ち上がり、慌てて挨拶をしたかと思うと、今度は乱れた髪を気にし始めた。
「カイ殿下、おはようございます。ゴードンさん、落ち着いてください。殿下に失礼ですよ」
レベッカは少し緊張した面持ちで挨拶をした。
二人とも寝不足なのだろうか、目の下にはうっすらと隈ができている。
そのうえ机には、片づく気配のない書類の山が積まれていた。
マドルクの話が本当なら、この状況も無関係ではないのかもしれない。そう思うと、カイは胸が痛んだ。
「そんなことは気にするな。離宮で暮らす仲間じゃないか。
今回はベルナールではなく、お前たちに用があって来たんだ。僕は腹の探り合いが苦手でね。だから率直に聞く。王城の者たちに、ベルナールは不当に扱われているのか?
部下のお前たちには答えにくいことかもしれないが、正直に答えてほしい」
ゴードンとレベッカは顔を見合わせたまま、黙り込んでしまった。
ゴードンは何かを思い出したように、痛みをこらえるような表情を浮かべていた。
それでも話すまいとするように、口をぎゅっと閉ざしている。
「王城の阿呆どもは、自分たちの無能にも気づかず、ベルナール様の有能さに嫉妬しているのです。あそこまでゆけば、もはや哀れとしか言いようがありません。ベルナール様にお力添えを願う言葉すら、持ち合わせていないのでしょう」
「レ、レ、レベッカ!」
レベッカが言い切るや否や、ゴードンは慌てたように横から声を上げ、彼女を止めようとした。
「ゴードンさん。殿下に対して失礼です。主人が正直に申せとおっしゃっているのに、口を閉ざすなど」
二人のやり取りをぽかんと眺めていたカイは、たまらず吹き出した。
「あははは!ベルナールは、本当に良い部下を持ったんだね。ありがとう。お前たちのおかげで、僕もきちんとベルナールに向き合えそうだ」
言い合っていた二人は、はっとしたように口をつぐみ、そろって頬を赤くした。
「お前たちにそんな隈を作らせてしまったのは、僕のせいでもある。これからもベルナールを支えてやってほしい。それに、ここはもう少し人手を増やしたほうがよさそうだ。夫人にも話してみるよ」
「で、殿下。ぼ、僕は、殿下のせいだなんてこれっぽっちも思っておりません。もちろん、ベルナール様のせいだとも思っておりません。
レベッカの言うとおり、あの者たちは哀れなのです。人を貶めることしか知らない、哀れな者たちにすぎません。……ただ、少し……その哀れな者たちのせいで……しんどくはありますが……」
「もう、ゴードンさん!殿下、私は殿下とベルナール様に感謝しているのです。ここでは、能力をきちんと見て正当に評価していただけます。あんな阿呆どものせいで、殿下やベルナール様がご自身を責められるなど、我慢なりません!ですから、その……どうかお気になさらないでください」
カイはくすりと笑い、「ありがとう」とだけ言い残して部屋を後にした。
「ご満足いただけましたか」
廊下に出ると、ベルナールが待ち構えるように立っていた。
「む。離宮から追い出したつもりだったのに……レベッカの言うとおり、本当に有能な奴め。私も阿呆だったかな。
ベルナール、久しぶりに二人でお茶をしよう!離宮で、二人きりで暮らしていた頃みたいにさ」
カイは、もうすぐ15歳になる少年らしい、年相応の笑みを見せた。
「あの頃のことは、あまり思い出したくありませんね」
そう言いながらも、ベルナールは言葉とは裏腹に、やさしく笑っていた。
「僕の淹れたお茶は、なかなか美味しいだろう。最近は自分で淹れることもあまりなくなったから、少し腕が鈍っているかもしれないけれど」
カイはどこか得意げに、ベルナールへ茶を振る舞った。
「味はともかくとして、主人に、それも王族の方に淹れていただくお茶は格別ですね」
ベルナールは、わざとらしく意地の悪い笑みを浮かべる。
その目が合った途端、二人はたまらず声を上げて笑った。
こんなふうにベルナールと過ごすのは久しぶりだった。
離宮に追いやられたばかりの頃、嫌味めいた言い方で僕を励ましてくれたことを、ふと思い出す。
「ベルナール。僕はお前に感謝しているんだよ。お前がいなかったら今……僕は僕でいられなかっただろうなって、本気で思っているんだ。
だから……そんなお前が僕のせいで不当に扱われているなんて、傷つけられているなんて、耐えられないんだ。
だけど、お前をどう救えばいいのか……僕にはわからない。姉様のもとへお前をやるのが一番いいんだろうけど……僕には、どうしてもお前を手放すことができないんだ。すまないな」
カイは泣きそうになるのをこらえながらベルナールに笑いかけ、誤魔化すように茶に口をつけた。
「殿下……」
ベルナールも一瞬、泣きそうな顔をした。だが、すぐに眼鏡をくいと持ち上げると、いつもの冷静な表情へ戻ってしまう。
「はあ……。まったく。不敬を承知で申し上げますが、私はこんなお子様に心配されるほど落ちぶれてはおりません。それに、エレナ王女殿下のもとへ行くなど、御免です。カイ殿下を手懐けるのに、どれほど苦労したことか……。それを今さら、あのじゃじゃ馬のようなエレナ王女殿下まで相手にしろなど、ご勘弁願いたいですね」
ベルナールは大きくため息をひとつつき、茶をぐいと飲み干した。
「おかわりをいただけますか」
ひどく厚かましい物言いだった。
僕が慌てて茶を注ぐと、ベルナールは真剣な面持ちで、まっすぐ僕を見つめてきた。
「殿下。エレナ王女殿下をこのまま次代の王に据えるのは、得策ではありません。今は殿下が支えておられることで、どうにか体裁を保っておりますが、継承の後までそれが続くとは思えません。
いずれ貴族どもも民も、王女殿下の器量の限界に気づくでしょう。そうなれば、殿下には申すまでもありませんが、不満を抱いた者たちを抑えきることはできません。国はいずれ、内から崩れます。
しかし、雷を授かった殿下が王位に就くこともまた不可能です。それはこの国の理に背きます。王に必要なのは、火の加護です」
火の加護。
その言葉に、僕は俯いた。
今の姉様では駄目なのだと、そんなことは僕にもわかっている。
わかっているけれど、正直なところ、姉様の面倒まで見ていられる余裕はない。
それに、姉様の周りにいる者たちも、姉様に能力の向上を求めているようには見えなかった。
あの環境そのものが変わらない限り、どうにもならない。
そして僕には、姉様の側にいる人員を変えることなどできない。
「殿下。昨日、フェリミカが帰った後に、マドルクから聞きました。火の加護を授かる方法があるかもしれない、と。もちろん、確かな話ではありません。フェリミカもマドルクも、どこまで信じてよいのか知れたものではない。
ですが、あの者たちが殿下の雷を抑える術を持っていたのは事実です。昨日の品も、マドルクの手を借りずとも力を抑え込めていました。
ならば、望みを持つ価値はあります。フェリミカは次の品を用意するまでに相当の時間がかかると言っておりました。
もし殿下が火を授かることができるのなら、王となるべきは殿下です。それまでに備えましょう。私もおそばにおります」
ベルナールは、自分でも少し強引すぎるのではないかと思った。
それなのに、この判断は正しいのだと、疑う余地もなく信じている自分がいた。
殿下が王になれるのなら、そのための犠牲は問わない。
その考えはあまりにも自然に胸へ落ちてきて、むしろ前からそう思っていたかのようですらあった。
だが本当にそうだっただろうか。
かつての自分は、殿下とただ安泰であれればよいと願っていたはずだ。
それなのに今、その願いは何かに押し潰されたように沈黙している。
まるで見えない手で、不要な感情だけを静かに摘み取られてしまったかのようだった。
「ベルナール……。だが、この力を抑え込めたところで意味はない。昨日の品は、そういうものだっただけだ。それに壊れたし…。火を授かれるなど、あり得るはずがない。王になどなれない……。僕は……そんな、姉様を……僕が王になど……」
ベルナールは、揺らいでいた思考が、カイの震える声によってすっと定まっていくのを感じた。
この方を、王にしなければならない。
不安げに両手を握りしめるカイの手に、ベルナールはそっと自分の手を重ねた。
「大丈夫です、殿下。私がおります。それに、先ほど申し上げたではありませんか。あくまで、そうかもしれないというだけの話です。まだ火を授かれると決まったわけではございません。ですから、今すぐ王になるとお決めになる必要はないのです。
フェリミカが来るまでには、かなり時間がかかるようです。その間に備えを整え、火を授かれると確かめられたときに、そのとき改めてお考えになればよろしいのです。
たとえ授かれずとも構いません。もし授かれたとしても、やはりエレナ王女殿下が王となるべきだとお思いになるのなら、これまでと同じように、お側でお支えになればよいのです。
殿下がどのようにお決めになっても、私は殿下のもとにおります」
「ベルナール……」
気づけば、カイは泣いていた。
ベルナールはハンカチで、その涙を丁寧に拭ってやる。
「殿下は大きくなられたと思っておりましたが、まだまだお子様ですね。実に世話が焼けます。さあ、この話はおしまいです。予定が押していますよ。鼻をかんだら行きましょう」
カイは口をへの字に曲げたまま鼻をかみ、じろりとベルナールを睨んだ。
「おまえな……主人に対して失礼じゃないか。マドルクのことをとやかく言えないぞ」
「そうですか。これほど献身的な臣下は、そうそうおりませんよ。さあ、まずは私の部下を増やすところからですね。母に話を通しに参りましょう」
結局、自分のことじゃないか。
そう思いはしたものの、ベルナールと久しぶりに二人だけで過ごせたのだから、悪くない。
そんなふうに思えるくらいには、ここ最近の憂鬱も少し晴れていた。
ここまで読んで頂きありがとうございます。
初めのカイとベルナールの関係は好きではありませんでしたが、今の関係は好きです。
これからもよろしくお願いします。




