従者
姉様の誕生日から、もう一週間たった。
あれから、姉様とは一度も話せていない。
ううん、あの日だって話せなかった。
だったら、もうずっと話せていないのかもしれない。
家族と最後に話したのは、いつだっただろう。
カイは、エレナに贈るはずだったまま、渡せずにいたプレゼントを、じっと見つめていた。
小さな両手のひらの上には、カイとエレナの瞳の色をした石が二つ並ぶブレスレットが、ひっそりとのっていた。
あの日、どう振る舞えばよいのかもわからず、カイはただ俯いたまま席に着いていた。
姉様に声をかけたかった。けれど、まわりには大勢の人がいる。どうしたらよいのかわからない。
「いつまでその調子なのだ。王子ともあろうものが、みっともない。挨拶も満足にできぬのなら、もう下がれ」
父様は、こちらを見ようともせず、ため息まじりにそう言った。
その途端、顔がかっと熱くなった。
まわりの者たちに、愚かな子だと思われている気がして、たまらなく恥ずかしかった。ここにいることさえ耐えられない。
けれど、それ以上に恐ろしかった。
父様がすぐ近くにいるのだと、急にはっきり意識した途端、息が詰まるほど怖くなってしまったのだ。
カイは何ひとつ言えないまま、そこから逃げ出した。
嫌なことを思い出してしまった。
もう見たくなくて、カイはブレスレットを引き出しの奥にしまった。
姉様は、会いに来てくださらない。
でも、それが意地悪ではないことくらい、カイにもわかっていた。
祝福の儀のあとから、継承者としての教育が本格的に始まって、お忙しいのだ。
わかっている。ちゃんとわかっている。
それでも、少しでいいから会いたい。あの日は話せなくて寂しかったのだと、少しでも気にかけてほしい。
そして、そんなふうに思ううちに、姉様にまでひどい気持ちを向けそうになる自分が、たまらなく嫌だった。
このごろは、こんなことばかりだ。
カミラも、会うたびに王太子、王太子と口にする。
けれど、姉様が王になられるのに、どうして僕が王太子などと言われなければならないのだ。
なれるはずもない。
そんなこと、誰も望んでいないのに。
僕のことなど、誰も必要としていないのに。
もう、誰もいなくなってしまえばいいのに……。
コンコン。
え……。
カイは、どす黒い感情に沈みかけていた。
だから、そのノックの音も、気のせいかと思った。
コンコン。
今度は、たしかに聞こえた。
その途端、はっと我に返る。
カイは慌てて居ずまいを正し、何事もなかったように返事をした。
すると、たまに見かける男が、見知らぬ少年を連れて入ってきた。
「どうした、モルディス公爵。急に何の用だ」
「ご機嫌うるわしゅうございます、殿下。本日お目にかないます栄を賜り、恐悦に存じます」
男は一礼しながら、いかにも堅苦しい挨拶を述べた。
それがひどく面倒に思えて、カイはもうよいとでもいうように手を振った。
「本日は、殿下にお仕え申し上げる従者として、愚息をお連れいたしました。未熟な身ではございますが、殿下のお役に立つこともございましょう。どうぞお側に置きいただければ幸いに存じます」
僕に従者……。
誰もなりたがらないと聞いていたのに、本当に来てくれたのだろうか。
カイは思わず目を輝かせ、その少年を見つめた。
公爵はそんなカイの様子を見て、後ろに控えていた少年へ静かに頷いた。
少年はそれを受けて、あらためて丁寧に頭を下げた。
「お初にお目にかかります。モルディス公爵家三男、ベルナール・モルディスにございます。未熟な身ではございますが、本日より殿下のお側にお仕え申し上げます」
カイは嬉しさのあまり、思わず身を乗り出した。
王族として軽率だと頭ではわかっていたのに、それでもベルナールのそばまで駆けていき、その手を取ってしまう。
「あまり堅苦しいのは苦手なのだ。今日からよろしく、ベルナール」
その様子を、モルディス公爵は、不敬と知りつつもどこか微笑ましい思いで見つめていた。
息子から、王子の従者となってお支えしたいのだと告げられたあの日、モルディス公爵は内心で反対を考えていた。
陛下が王子殿下に向ける冷淡な態度を思えば、この役目が穏やかなものになるとは思えなかったからである。
けれど、息子が貴族としての役目に目を向けたことは喜ばしくもあった。
そのうえ、あれほど真剣に願われては、ついに首を縦に振るほかなかった。
この瞬間まで、モルディス公爵は少なからず後悔していた。
だが、目の前で嬉しそうにベルナールの手を取る9歳の王子の姿を見ていると、そんな思いもいつのまにか消えてしまっていた。
ベルナールは、純粋に驚いていた。
一国の王子が、自分より身分の低い者に、これほどあっさりとすがってくる。その姿が、にわかには信じがたかったのだ。
父上と母上に話した時点では、これほど上手く、しかも早く話が進むとは思っていなかった。王子の従者になど、なれるはずがない。半ば諦めてもいた。
それが、話はとんとん拍子に進み、十日ほどで従者に決まってしまった。今なお信じられない。
一度だけ、ほんの短い時間ではあったが、陛下と二人きりで言葉を交わす機会があった。
その時ベルナールは、陛下が思っていた以上に王子を大切にしているのだと知った。
この親子は、あまりにも言葉が足りない。
そしてそれは、きっと陛下の側の問題なのだろう。エレナ王女殿下へ向ける言葉を、ほんのひと言でも王子に与えていれば、ここまで拗れることはなかったはずだ。
ベルナールは、内心で呆れずにはいられなかった。
だが、そんなことはどうでもよかった。
この王子は、私が導いてやらなければならない。家族など必要ない。ただ私だけを求め、私だけを頼る王子にしてしまえばいい。
私の意のままに振る舞う王子さまに。
ベルナールは、父モルディス公爵とはまるで違う笑みを、胸の内でそっと浮かべた。
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