悲劇の王子さま 1
カイ・メイソン・ロゴノワの誕生は、悲劇だったと語られている。
父である国王ミゲルは、皇后リリアを深く愛していた。
二人のあいだに王女エレナが生まれてからも、その想いが揺らぐことはなかった。
もちろんミゲルは娘のエレナも愛していた。
だがそれ以上に、リリアを何より大切に想っていた。
そんな二人のあいだに、第二子が授かるのはごく自然なことだった。
しかし、その出産でリリアは命を落としてしまう。
そのとき産み落とされた子こそ、ロゴノワ王国の王子カイであった。
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部屋の外から、大好きな人の声が聞こえた。
姉様だ。帰ってきたんだ。
カイは、難しい言葉の並ぶ教科書がいくつも広げられた机から、勢いよく顔を上げた。
けれど机の前では、ひょろりとした眼鏡の男が、相変わらず小難しい話を続けていた。
ガタッと立ち上がると、制止する護衛の声も聞かず、カイは部屋の外へ飛び出した。
「姉様、お勉強はもう終わったのですか。僕も終わりましたので、ご一緒にお茶にしませんか?」
だが、明らかに後ろから追ってきた男の姿を見るかぎり、とても終わったようには見えない。
笑顔でエレナが応えようとした、そのときだった。
すっと一人の女が二人の間に入る。
また、コリンナだ。
カイはその姿を見て、恭しく目を向けた。
「殿下。後ろをご覧になるに、まだお勉強のお時間ではございませんか。王族として立派に勤めを果たすためにも、学びを疎かになさってはいけません。
それに、エレナ様はこのあともご予定が詰まっております。お茶のお時間はございません」
いつも姉様との時間を邪魔する。
こいつも、姉様の周りをうろつくあの白いのも嫌いだ。
カイがむすっとしたまま何も答えずにいると、追いかけてきた男が何か言おうと口を開く。
だが、その言葉を遮ったのはエレナだった。
「まあ、いいじゃない。私は今日、まだ一度もカイとお話しできていないのよ? そんな調子では、このあとの予定なんてこなせるはずがないわ。
また倒れて、お部屋にこもってしまうかもしれないもの」
その瞬間、周囲の大人たちは見る見るうちに青ざめた。
以前、同じようにエレナが部屋へ閉じこもったときは、たった一日で国王まで動く騒ぎになったのだ。
エレナが、ふふんと小さく笑った気がした。
「さあ、カイ。行きましょう。今日はお天気がいいから、お庭でお茶にしましょうよ。あなたがこの前おいしいと言っていたフィナンシェも、たくさん用意させるわ」
そう言って、エレナはカイに手を差し伸べる。
さっきまでの不貞腐れた顔が嘘のように、カイは満面の笑みでその手を握った。
「姉様、覚えていてくださったのですか? 嬉しいです。僕、これから一生、お茶菓子はフィナンシェにします」
「ふふ。カイは大袈裟ね。本当に可愛い、私の大切な弟」
幸せだった。
国王である父はカイを見ようともせず、母もいない。
そんなカイにとって、エレナだけが唯一の家族だった。
エレナがそばにいてくれるなら、周りから影で悲劇の王子さまと呼ばれようと平気だった。
父に無視されることさえ、どうということはなかった。
「今日はエレナ様の晴れの日です。殿下も、失礼のないようになさいませ」
乳母のカミラは、カイの服装に乱れがないか細かく確かめていた。
「それにしても、カイ様のお瞳は本当にリリア様にそっくりですね。この瞳を見ておりますと、まるでいつでもお母上がそばにいるようですね」
鏡越しにその瞳を見つめながら、カミラはいつものようにそう言った。
鏡の中には、宝石を散りばめた真紅の礼服をまとった、美しい9歳の少年がいた。
仏頂面のまま、緑がかった金の瞳をこちらへ向け、落ち着いた赤茶の髪が額に少しかかっている。
カミラは、カイが生まれる前に母リリアが自ら選んだ乳母だった。母と親交が深く、厚く信頼されていたのだと聞いている。
国王は、皇后の死の原因がカイにあると決めつけ、息子と向き合おうとしない。
そんな王の姿をそばで見てきたからこそ、カミラは亡きリリアのためにも、カイを立派な王太子に育て上げようと躍起になっていた。
金色のこの瞳が嫌いだ。
父様もカミラも、母様を知る人はみんな、この瞳に僕の知らない母様を見ている。
これは僕の瞳じゃない。
僕だけの瞳がほしいな…。
姉様のような、あたたかい橙色の瞳だったらよかったのに。
カミラに返事を返さぬまま、部屋を出る。
今日は姉様の祝福の儀が行われる。
そのあとには、誕生日を祝う宴もある。
用意した贈り物を渡したら、姉様はどんな顔をするだろう。
カイはそっとポケットの中のそれに触れ、知らず口元をゆるめた。
「ベルナール、今日はエレナ殿下の御生誕祝宴だ。くれぐれも無礼のないよう気をつけなさい。お前は王城に勤めている兄たちの代わりに参列できるのだから、その意味をよく心得ておけ」
「まあ、あなた。そんな言い方はないでしょう。この子は立派な公爵家の人間ですもの。上の子たちにも引けを取らないわ」
「はあ、お前がそんなに甘やかすから、15になっても従者見習いすら終えていないんだ」
「あら、そんなこと気にする必要はありませんよ。この子は誰より頭がいいんですもの。作法だって完璧ですわ」
また父上と母上の、いつものやり取りだ。
まったく、頭が痛くなる。どうして私が、誰かに仕えなければならないんだ。くだらない。
「ほら、こんなにも完璧ではありませんか」
マリーはベルナールの肩を後ろから抱き、鏡越しにグレルへ誇らしげに告げた。
そこに映るのは、黄みを帯びた茶髪に眼鏡をかけた15歳の少年だった。
非の打ちどころなく飾り立てられているくせに、本人の表情はどうにも白けている。
「これほど素敵な紳士でしたら、殿下に見初められて、婚約者にと望まれてしまうかもしれませんわね」
グレルはぎょっとして、マリーとベルナールに向かってまくしたてた。
「何を言うんだ。そんなこと、口が裂けても陛下の前で言うな。陛下がどれほどエレナ殿下を大切にしておられるか、お前たちも知っているだろう。あえて婚約者を決めておられない、その意味を考えろ」
「まあ、そんなこと、ちゃんと分かっていますわ。ほんの言葉の綾ではありませんか。大袈裟ですわ」
マリーが楽しげに笑うと、グレルは深いため息を漏らし、こめかみを押さえた。
ベルナールは、父と母のやり取りを内心で嘲りながら聞き流していた。
王女の婚約者など、冗談ではない。
10歳の子どもなど、婚約者というより子守役ではないか。
だが、ふと考えが変わる。
エレナ王女の婚約者になるのも悪くないかもしれない。気が強いと聞いてはいるが、しょせん10歳の子どもだ。今からうまく躾けておけば、いずれ自分の思うままに動かせるはずだ。
そんな浅ましい考えが脳裏をかすめたものの、二人がそれに気づくことはなかった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
なかなか更新できず申し訳ありません。
まだまだ書きたい話がたくさんあるので、これからもよろしくお願いします。




