9・暴かれる真実
「……ティーヌ……」
呆然としたつぶやきが聞こえた直後、温かい液体がアルベルティーヌの肩口を濡らした。彼が流した涙だと気づいたのは、喉仏の浮かぶ首が嗚咽に上下したせいだ。
「ティーヌ、ティーヌが……俺を、呼んでくれた……」
「……」
「俺に……触れてくださった……!」
ぎゅうう、と背骨がきしむほど強く抱かれる。
不思議な気分だった。前世ではせいぜい手に触れられた程度なのに、抱き締められる感覚が懐かしいなんて。
「……アディ。皇女殿下は私の名誉を守ろうとしてくださっているのだと思うの。だからもう少しだけ、待ってあげられないかしら」
「もちろん、俺のティーヌの仰せのままに」
歓喜に震える返事の後、室内を満たしていた魔力の圧力が失せた。そろそろと振り返れば、皇女たちを包む紅い炎も消えている。
「感謝いたします、つがい様」
ヨゼフィーネ皇女は一礼し、ぱんぱん、とてのひらを打ち鳴らした。すると開いた扉の向こうから地味な紺色のドレスをまとった女性が現れる。アルベルティーヌの祖母くらいの年代の、柔和な顔立ちの女性だ。
彼女はビロードのクッションを敷いたトレイを捧げ持っていた。クッションに透き通った宝玉が載せられている。見た目は水晶のようだが、底知れぬ存在感と魔力を感じる。
「それは……」
「我が帝国に伝わるアーティファクト、『ユニコーンの瞳』ですわ」
フレデリクが息を呑んだ。アルベルティーヌも目を見張る。
『ユニコーンの瞳』は伝説の聖獣ユニコーンの魂を凝らせて造られたというアーティファクトだ。様々な権力者の手を渡り、現在の所有者はグエル帝国皇帝である。ヨゼフィーネ皇女の父だ。
その効果は、触れた者が男性経験のない乙女であれば青い光を、すでに経験のある者であれば赤い光を放つというもの。帝国に輿入れしてきた姫は清らかな身体かどうか、このアーティファクトに必ず触れさせられ、確かめられるというのは有名な話である。
女性としては眉をひそめたくなる風習だが、万が一にも皇帝以外の男の子を身ごもられていては一大事、という帝国側の事情も理解できる。
帝国にとって重要なアーティファクトの持ち出しを、皇帝ヴァレリアン三世は許した。すなわちこんな事態が起きうると、ヴァレリアン三世も予想していたわけだ。
(でも、だからと言って国宝を持ち出させる?)
アルベルティーヌの身の潔白など、帝国皇帝にとってはどうでもいいことだろうに。
(重要なのは……やはりアディなの?)
ヨゼフィーネ皇女はアルベルティーヌが神獣の、彼のつがいだと言った。帝国にとってなにより大切な神獣のつがいだから、アルベルティーヌにもここまでするのか?
「そちらは私の侍女、コラス男爵夫人です。私の乳母でもあり、こたびの輿入れにも付いてきてくれました」
「コラス男爵夫人デジレにございます」
侍女が小さく頭を下げ、アルベルティーヌの前のテーブルにトレイを置いた。
「コラス男爵夫人、触れてみて」
「はい」
コラス男爵夫人が命じられるがまま触れると、『ユニコーンの瞳』は赤い光を放った。皇女の乳母で既婚者なら、間違いなく男性経験はあるはずだから当然の反応だ。
続いてヨゼフィーネ皇女が触れると、宝玉は青く光った。皇女はまだフレデリクと褥を共にしていないから、これもまた当然の反応だ。
「つがい様。……ご不快とは思いますが……」
「いいえ、良いのです。これも必要なことでしょうから」
トレイをアルベルティーヌのもとまで運んでくれたヨゼフィーネ皇女に首を振り、今にもまた炎を燃え上がらせそうな彼をなだめてから、そっと宝玉に手を伸ばす。
固唾を飲んで見守っていたフレデリクの前で、アルベルティーヌの触れた宝玉は青い光を放った。
「な、な、なっ……、ありえない! その女は……」
「愛人をはべらせる娼婦だと、まだ仰るのですか? そのようなことはありえないと、もうおわかりになったでしょう?」
ヨゼフィーネ皇女が冷たい空気を漂わせる。
アルベルティーヌがフレデリクの信じているような、何人もの愛人を寝室にはべらせるような悪女なら、『ユニコーンの瞳』は赤く輝いたはずだ。だが真実を告げる宝玉は、アルベルティーヌの手の下で青い光を放ち続けている。
「離して、アディ」
「ティーヌ……」
「これは私がつけなければならないケジメなの。……お願い」
絡みつく腕が一瞬緩んだ隙に、アルベルティーヌは立ち上がった。びくんと肩を震わせるフレデリクを、まっすぐに見据える。
「私の『愛人』は皆、立場こそ違えど、才能があるにもかかわらず理不尽な理由で王宮から追放されそうになっていた者たちです。彼らの才能を王宮に留めるためには、私の愛人ということにするしかありませんでした」
人間の国では差別の対象にされる森人の血を引く騎士や、大貴族出身の上官に逆らったがゆえ地位を追われた平民の魔法使い、皆の仕事を押しつけられ過労死寸前だった文官など、野に放つには惜しすぎる人材ばかりだった。身分差の激しいラマリアンにおいて、彼らのような者たちを庇護するには、不本意ではあるがアルベルティーヌの……王太后の愛人ということにするのが最も手っ取り早く確実な手段だったのだ。
今回のラザレース行きにも同行してくれた彼らは、いずれ優れた家臣としてフレデリクの治世を支えてくれるはずだった。……こんなことになってしまった今は、どうなるかわからないが。
「それと、身の程をわきまえぬドレスや宝飾品と仰いましたが、あれらはすべて実家の母が届けてくれた、私の祖母の形見です。王家から公爵家へ降嫁なさる際の嫁入り道具ですから、豪華なのは当然かと」
王女の嫁入り道具は、王家の威信を賭けて用意されるものだ。一流の職人が選りすぐりの素材で造り上げた最高の品ばかりで、輿入れから数十年が経った今でも問題なく使用できる。ドレスはさすがにデザインが古くなってしまっているので、ニコレットがリメイクしてくれたが、あしらわれていた宝石や手編みのレースなどはそのままだ。
「……馬鹿な……王太后には相応の予算が組まれているはずだろう。なぜわざわざ実家から……」
「『愛人』たちには一切の給金が支払われませんでしたし、なぜか王宮の使用人たちは私の食事や日用品の支度を忘れてしまいがちでしたので、そちらに回しました」
フレデリクの顔が強張る。使用人たちがアルベルティーヌを嫌うフレデリクのため、わざと食事を用意しなかったのだとさすがに察したようだ。




