8・フレデリクの悪あがき
『お前がお祖父様をたぶらかした悪女か』
結婚の直後未亡人となり、王太后の地位を押しつけられてすぐ、アルベルティーヌは喪服を着せられジェローム王の葬儀に参列させられた。その時にはすでにアルベルティーヌが王をたぶらかし妃におさまったのだと悪評が周到にばらまかれており、アルベルティーヌに向けられる参列者の視線は氷のように冷たかった。
そんな中、当時八歳のフレデリクは、燃えるような目でアルベルティーヌを睨み付けた。さすがに周囲が止めたが、さもなくばアルベルティーヌに殴りかかっていただろう。
『恥知らずの売女! 貴様が王太后など、私は絶対に認めないからな!』
両親を亡くしたばかりのフレデリクにとって、祖父は唯一自分を庇護してくれる肉親であり、後ろ楯であり、敬愛と崇拝の対象だった。そんな祖父の最期を穢したも同然のアルベルティーヌへの憎悪は、祖父への思いが強かった分、フレデリクの中で膨れ上がったのだろう。
哀れな王子がアルベルティーヌを憎み、罵倒すればするほど、アルベルティーヌに対する周囲の態度は悪化していった。少し考えれば十五歳の深窓の令嬢にそんな手管などないと、わかるはずなのに。
「……マルタンが……、宰相が申したのだ。王太后がお祖父様をたぶらかしたと……」
フレデリクが必死に紡いだ反論を、ヨゼフィーネ皇女は一笑に付した。
「貴方はすぐ他人のせいになさるのがお得意ですのね。ご自分の意志というものを持ち合わせていらっしゃらないのかしら」
「なっ……」
「先王陛下が亡くなられたばかりのころなら、仕方がなかったかもしれません。八歳だった貴方に周囲の思惑を読み取れと言うのは酷でしょう。……ですが、それからもう八年が経ったのですよ。なぜ宰相がことさら自分の娘を貶めるような言動を取るのか、それが誰のためなのか。一度くらい、お考えにならなかったのですか?」
一度もなかったと、アルベルティーヌは知っている。ヨゼフィーネ皇女ももう察しているだろう。
「……仕方が、なかったのです」
マルタンが震える声を絞り出した。
「あの時……ご両親と祖父君を立て続けに喪われ、陛下のお心は壊れる寸前でした。だから私は、やむを得ず……」
「ご自分の娘に悪女に仕立て上げたのですね。そうすれば陛下はつがい様を恨むことで心を支え、つがい様の人生を犠牲にしたと罪悪感に苦しまずに済む上、立太子も叶い、周囲からは同情してもらえる。いいことずくめですわ。……つがい様以外は」
鋭い糾弾にマルタンは反論もできず項垂れる。
八年間、アルベルティーヌがどん底であがくはめになった元凶のみじめな姿を見ても、胸は晴れなかった。
(私がどれほど苦しんでも見て見ぬふりをしてきたくせに、皇女殿下の言葉なら聞くのね)
黒いものが心にもやもやと立ち込めそうになると、大きな手がアルベルティーヌの頬を撫でた。目が合えば、うっとりと微笑まれる。
「ティーヌ、ティーヌ。泣かないで、俺のご主人様」
「貴方……」
――泣かないで、俺のご主人様。
セレスティーヌだった前世にも、落ち込むたびかけられた言葉。
「貴方は……本当に……」
「そう、本当にティーヌのアディですよ。ティーヌを悲しませる者は、絶対に許しませんから」
またうっとりと笑い、彼はヨゼフィーネ皇女に紅い瞳を向けた。不可視のベールが消える気配がする。
「――そろそろ終わらせろ、皇女。ティーヌが怖がっている」
直後に下された命令は、別人かと思うほど冷たかった。一礼するヨゼフィーネ皇女の指先が、かすかに震えている。
「かしこまりました、イグニアディス様。……貴方たち、連れて行きなさい」
「はっ」
皇女の命令を受けた帝国騎士たちがマルタンを拘束し、引っ立てていく。同時に客間の扉が荒々しく開き、なだれこんできた騎士たちがフレデリクを強引に立ち上がらせた。
「ま、待て! 宰相をどこへ連れて行くつもりだ!?」
「その者は実父でありながらつがい様の名誉を地に落とし、地獄の苦しみを味わわせた大罪人です。帝国皇女として、王の妃として、相応しき罰を与えます」
「そのような無体、許さぬぞ! ……誰か! 誰かある! 帝国の無法な者どもを捕らえよ!」
フレデリクは声を張り上げるが、王都から引き連れてきたはずの騎士たちは一人も現れなかった。抵抗せず連行されていくマルタンは一度だけ振り返り、アルベルティーヌに頭を下げる。
「……すまなかった、ティーヌ。この身がどうなろうと契約は守る」
「……」
返すべき言葉が見つかる前に、マルタンは騎士たちに腕を引っ張られ、連れて行かれてしまう。絶望の面持ちで見送っていたフレデリクが、ばっとこちらを睨んだ。
「契約とはなんのことだ!? まさかマルタンにまた無理難題を押しつけたのではあるまいな!?」
ことここに至って、アルベルティーヌに噛みつけるフレデリクの根性だけは誉めてもいいかもしれない。そんなふうに感動しているのはアルベルティーヌだけで、ニコレットとヨゼフィーネ皇女は汚物でも見るような顔になり、彼は殺気混じりの魔力を発散しているのだが。
はあ、とヨゼフィーネ皇女が嘆息した。
「また、とはどういう意味ですの?」
「王太后は身の程をわきまえぬ豪奢なドレスや宝飾品で飾り立て、あまつさえ王宮中の男どもに秋波を送り、見目麗しい者どもを愛人としてはべらせ、そのたびに宰相を困らせてきたのだ。……そうだ! 皇女の申すことが真実だとしても、その女が男好きの娼婦であることは変わらぬ!」
己の言葉に活路を見出だしたように、フレデリクは顔を輝かせる。さんざん現実を見せつけられても、いや、だからこそアルベルティーヌを悪女だと思い込みたいのか。アルベルティーヌが無実なら、信じてきたものすべてがひっくり返ってしまうから。
(確か、ああいうのが『鬼の首を取ったよう』と言うんだったかしら?)
ニコレットから教わった東峽語を思い浮かべていると、ヨゼフィーネ皇女が素早くフレデリクの前に回り込み、両手を突き出した。その細い指に嵌められた指輪から淡い光が放たれた直後、紅い炎が皇女たちを包む。
「っ……、お鎮まりください、イグニアディス様! もう少し……もう少しだけ……!」
必死の形相で懇願する皇女とフレデリクを、指輪の淡い光が覆い、炎から守っている。
おそらくあの指輪は強力な結界魔法を込められたアーティファクト……神々の遺産と呼ばれる宝物なのだろう。だが彼が放つ炎は神の守護さえもやすやすと焼き尽くし、指輪ごと破壊しようとしている。
「俺は終わらせろと言ったんだ。クソガキを喚かせろと言ったのではない」
彼の低い恫喝と同時に、指輪がびしりと不吉な音をたてる。壊れてしまえば、その時は。
「……っ、やめて、アディ!」
アルベルティーヌはたまらず彼の首筋にしがみついた。




