3・前世も苦労人でした
「ティーヌ……ティーヌ……」
あの時と同じ狂おしい熱情をこめた声が、アルベルティーヌを深い眠りから引き上げた。
(……そう……私は『ティーヌ』……)
今も、その前の人生でも、親しい人からはそう呼ばれていた。
今生はアルベルティーヌ。
前世ではセレスティーヌ。
似た名前をつけられたのは、なにかの因果なのだろうか。
(前も今も、私はろくでもない王家に苦労させられる星のもとに生まれてきたのね)
じわじわとよみがえる、前世の記憶。
前世のアルベルティーヌ――セレスティーヌもまた、アルベルティーヌと同じ公爵令嬢だった。生まれたのはカラガレナ王国。今から三百年ほど前に滅亡した国だ。
滅亡の原因は数代にわたり愚王が続いたこと。最後の王となったエドモンは母親に溺愛されて育ち、面倒事からは逃げ出し、努力をなによりも嫌う怠惰の化身のごとき男だった。
幼少期から出来損ないとささやかれていた彼を支えるため、高い魔力と知性に恵まれ、神童と名高かったセレスティーヌは幼くしてエドモンの婚約者になったのだ。もちろんセレスティーヌの意志ではなく、次の王の外祖父になりたい父親が取りつけてきた縁談である。
王妃に相応しい女性になろうと、セレスティーヌは幼いころから努力を重ねてきた。それ以外、自分の価値はないと思っていたから。
けれどそんなセレスティーヌをエドモンは『可愛げのない女』と疎み、月に一度の約束の面会はほとんどすっぽかされた。夜会や舞踏会ではいつでもお気に入りの愛人を連れ歩き、婚約者のセレスティーヌをエスコートしてくれたことは一度もない。
誕生日には侍従が見繕ったのだろう、セレスティーヌの趣味には合わないドレスが届けばいい方。それすらない時も多かった。
会うたび悪態をつかれ、どうしてお前なんかと結婚してやらなければならないんだと詰られた。
セレスティーヌだってまったく同じ気持ちだった。けれどどんなに望んでも、婚約破棄だけは許されなかった。王家にはエドモンの政務を肩代わりしてくれる王妃が必要で、公爵家には次の王を産んでくれる娘が必要だったから。
だがエドモンは結婚後、一度もセレスティーヌに触れようとしなかったから、公爵家の血を引く王など生まれるわけがなかった。
義父の急死により予定より早く王位についたエドモンは、最悪の財政や国内状況から逃げ、酒と女に溺れた。セレスティーヌの仕事は朝から晩まで執務室にこもり、夫の尻拭いをすることだった。
だがそんな努力は報われなかった。
度重なる飢饉と、義父が戦費のために続けた増税、さらにエドモンの遊興、そこへ歴史的な不作が死に体の王国にとどめを刺した。怒り狂った民衆は貴族や富豪の屋敷を次々と襲い、蝗の群れのごとく王宮にまで押し寄せた。
夫に置き去りにされたセレスティーヌは、民衆がたどり着く前に自ら命を絶った。それでやっと、利用されるだけの人生から解放されたと思ったのに。
(生まれ変わっても、同じような人生を歩んでいるとはね)
生命の危機がなく、理解してくれる人々がいるだけ、アルベルティーヌの方がマシなのかもしれない。ニコレットあたりなら、『比較対象がひどすぎますよ』とか言いそうだけれど。
ああ、でも。
まさか……まさか彼までもが……。
「……ティーヌ。早く起きてください、ティーヌ」
熱っぽいささやきと共に息苦しさが増し、抱き締められているのだと気づいた。……起きたくない。叶うなら永遠に眠ってしまいたい。誰か『これは夢ですよ』と言ってくれないものか。
「お嬢様、これは夢じゃないです。可及的速やかに起きることをお勧めします。じゃないと拉致されます」
「っ……!?」
馴染んだ侍女の声にさらりと恐ろしいことを告げられ、アルベルティーヌは一気に覚醒した。ぱちんと開いた視界に、かつてと同じ……いや、より輝きを増した紅い双眸が映り込む。
「ティーヌ、ティーヌティーヌティーヌ!」
「ふみゃっ!」
肩口に顔を埋められ、手加減なしに抱きすくめられる。思わず淑女らしからぬ呻きを漏らし、アルベルティーヌは気づいた。自分が彼の膝に横向きに乗せられ、ぎゅうぎゅうと抱き締められるという、とんでもない体勢を取らされていることに。
「やっと目覚めてくださった! 良かった、本当に良かった……このまま、し、死んでしまうのかと……」
「神獣様、お嬢様は神獣様にお会いした衝撃で気を失われただけです。純粋に疲労が溜まっていらっしゃるせいでもあるでしょうけど」
アルベルティーヌを抱えた彼が陣取るソファのかたわらにニコレットが控え、淡々と指摘する。どこも怪我をした様子がないのに安心したのもつかの間、アルベルティーヌは再び混乱する。
(……なんなの、これ?)
ラマリアン王国の色である青で統一されたこの部屋は、ラザレースを統治する代官の屋敷の客間だ。
アルベルティーヌやフレデリクたちはこの屋敷の貴賓室に滞在しており、ヨゼフィーネ皇女を迎えてからは嫁入り行列を仕立て、王都へ帰還する予定だった。皇女を大切に扱うという帝国への配慮とフレデリクの権威の高揚、両方を兼ねて。
だが華やかな行列の中心になるはずのフレデリクは床に膝を折り畳む格好で直接座らされ、後ろ手に縄で拘束されている。この国の若き王が、罪人かなにかのように。
フレデリクの左右を固めるのは、帝国の制服をまとった騎士たちだ。フレデリクを守っていたはずの近衛騎士たちの姿はない。他に部屋にいるのはフレデリクの背後に同じくひざまずかされた宰相マルタンと、もう一人。
「お付きの方々は別室にて待機させております。身の安全は保証いたしますのでご安心ください」
対面のソファに座す桜色の髪の少女が微笑みながら告げた。話すのはこれが初めてだが、愛らしくも気品に満ちた美しい顔立ちには覚えがある。帝国から送られてきた肖像画で。
「……ヨゼフィーネ皇女殿下、でいらっしゃいますか?」
「はい、つがい様。お目にかかれて光栄に存じます。グエル帝国皇帝ヴァレリアン三世が娘、ヨゼフィーネにございます」
少女――ヨゼフィーネ皇女はすっと立ち上がり、スカートの裾をつまむと、深く腰を落とし首を差し出す礼を取った。
アルベルティーヌは慌ててしまう。それは目上に対する礼の中でも、皇帝に対してのみ行われる礼だと知っているからだ。アルベルティーヌはヨゼフィーネ皇女の大姑に当たるが、しょせんは小国の王族。大帝国の皇帝には遠く及ばない存在である。
「おやめください、殿下。私にそのような礼を取られる必要はありませんわ」
「そうは参りません。貴方様は神獣様のつがい様でいらっしゃるのですもの。皇族として最高の敬意を捧げるのは当然ですわ」
「……神、獣? つがい……?」
誰が神獣で、誰がつがいだって?
ヨゼフィーネ皇女はちゃんと告げてくれたのに、頭が理解することを拒否している。




