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2・よみがえる前世

 初めて出逢った時。

 彼は粗末な檻の中に閉じ込められていた。



 悪趣味な両親に連れて行かれた、奴隷市場の片隅だった。もう七歳になったのだから、貴族令嬢たる者、奴隷の一人くらい持たなければ。そう言って笑い合う両親に寒気がした。



 森人エルフの血を引くという美形、魔力豊富な魔法使い崩れ、罠に嵌められ売られた元闘技場の覇者、亡国の王族という触れ込みの美少年。幼くも高貴な令嬢のため、奴隷商人は選りすぐりの奴隷を用意していた。



『なんでもいい。お前の好きなものを選びなさい』

『選びきれなかったら全員でもいいのよ』

『……では、あれを』



 にこにこと両親から勧められ、彼を指差したのはせめてもの反抗だったのかもしれない。あるいは極上のルビーみたいなのに、妙に空虚な瞳に惹かれたのか。



 両親は『あんな粗悪品はお前に相応しくない』と猛反対したが、最終的には折れてくれた。

 銀貨三枚。

 それが彼の命の値段だった。



 出逢いから五年後。

 彼は簡素だが質のいい使用人用の制服に身を包み、這いつくばった。いつの間にか炎のきらめきを宿したルビーの瞳は、ひたとこちらに据えたまま。



『俺の、妻になってください』



 試しに家庭教師を付けてみたら異様なまでの賢さに驚かされたというのに、なぜかたどたどしいままの口調で懇願され、思わずあたりを窺ってしまった。万が一使用人の誰かが聞いていて、両親に告げ口でもしようものなら、彼は処分されてしまう。



 幸い誰の姿もなく、ほうっ、と安堵の息を吐いた。



『……なれるわけがないでしょう。お前の妻になんて』

『なぜ?』

『貴族の娘で未来の王妃たる私と、奴隷のお前が結ばれるわけがないわ』

『なぜ? 結婚は一番好きな人とするものでしょう? ティーヌはあの王子が一番好きではないし、王子だってティーヌが一番好きではないのに』



 痛いところを突かれ、小さな拳を握りしめる。婚約者の王子がこの屋敷を訪れたのなんてほんの一、二度なのに、彼は主人と王子の間に流れる空気を正確に感じ取ったのだ。



『好きな人と結婚できるのは平民だけよ。貴族の娘は家のため、一番利益をもたらしてくださるお相手に嫁ぐの』

『では、俺が一番利益をもたらせるようになったら、ティーヌは俺と結婚してくれるのですか?』



 するわけないでしょう、と突き放すべきだった。利益うんぬんの前に、二人の間には高位貴族令嬢と奴隷というなにがあろうとくつがえらない身分差の壁が存在する。未来の王妃と奴隷の結婚など、身分を重視するこの国で実現するわけがない。



 でも、見上げてくるルビーの瞳はあまりに純粋で。

 怖いくらい澄んでいて。



『……夫は無理だけど、犬にならしてあげてもいいわ。お前が私に相応しい、立派な犬になれるのならね』



 つい、そんなことを口走ってしまった。どこへ行くにも後を付いてくる彼が、昔飼っていた犬みたいだと思っていたからかもしれない。



『……本当に?』



 歓喜に燃え上がった紅い瞳が、ぎらつく光を帯びた。



『俺は絶対立派な犬になります。そうしたら俺を、一番近くに置いてくださいますね?』

『……え、ええ……』

『約束ですよ、ティーヌ』



 その翌日。彼はこつ然と姿を消した。

 両親は恩知らずなと怒り狂ったけれど、追っ手をかけてまで探そうとはしなかったので安堵した。



 きっと彼は喜んでみせたものの、犬扱いされて嫌気がさし、出て行ってしまったのだろう。



(それでいい)



 この家も国も、彼のような存在には決して優しくはない。性癖はどうあれ、優秀であることは間違いない彼だ。広い世界で羽ばたいた方がいい。



 ……だから……胸がずきりと痛むのは、気のせい。



 出奔から六年後。

 彼は見違えるほどの美丈夫に成長し、かつての主人の前にひざまずいた。六年前からは想像もできないほど洗練された仕草だった。



『立派な犬になったので、ティーヌの犬にしてください』



 胸を張る彼は、大陸にその名をとどろかせる傭兵団の長になっていた。彼には高い魔力と炎魔法の素質があり、出奔してからその才能を大きく花開かせたのだ。



 魔力は基本的に貴族しか持たないものだから、彼は貴族の落し胤だったのだろう。きっとそうだと思っていた。汚れてぼろぼろだった彼を洗い清めたら、驚くほど美しい少年が現れた時から。



(私のために、ここまで……)



『……立派、ですって? お前のどこが?』



 熱いものがこみ上げる心の中とは裏腹の冷たい声を出したのは、すぐにでも彼を遠くへ追いやらなければと思ったからだ。

 彼は、有益すぎる。

 破綻寸前のこの国を統べる王……未来の義父が彼の存在を知れば、嬉々として諸国の侵略を命じるだろう。銅貨一枚の報酬すら与えず、積もりに積もった負債と民の鬱憤を晴らすためだけに。



 そんなことは許さない。



『たかが傭兵ごときが、私の犬になれるとでも? この国で最も尊く由緒正しい血統の、間もなく王妃になる私に相応しいとでも?』



 心にもない言葉を紡ぐたびに吐き気がした。彼に心酔する部下たちは憎々しげに睨み付けてきた。でも、破滅しか見えない運命に彼を巻き込むわけにはいかない。



『……もっともっと立派になります。今度こそティーヌの犬にしてもらうために』



 ルビーの瞳を燃え立たせ、彼は再び姿を消した。

 二度と会わなければいい、と思った。彼のためにも、自分のためにも。



 それからさらに四年後。

 彼は燃え盛る王宮に単身乗り込み、血の海に横たわる主人を抱き上げた。



『ティーヌ、ティーヌ、なぜ、どうして!? 今度こそ立派な犬になったのに……ティーヌの犬にしてくれると約束したのに……!』



 少しだけ、遅かったのだ。



 夫との結婚から間もなく暗愚王とささやかれていた義父が死に、夫は王になった。だが義父が遺した負の遺産はあまりに多く、現実を受け止められなかった夫は酒と女に逃げた。



 代わりに妻たる自分が可能な限り政務を肩代わりした。元よりそのための結婚だった。



 だがどれほど身を粉にして働こうと、穴の空いたひしゃくで海の水を汲み出そうとするようなもの。傾ききっていた財政は崩れ、民の不満は爆発し、とうとう津波のごとく王宮へ押し寄せた。



 夫は迷わず持てるだけの金貨を鞄に詰め込み、愛人の手を引き、王族のための秘密通路から逃げ出した。妻にはなるべく人目につくよう逃げ惑い、夫が逃げる時間を稼ぐよう命じて。



 怒れる民に捕まればどんな目に遭わされるか、考えるまでもない。

 肌身離さず隠し持っている短剣で、胸を突くのにためらいはなかった。せめて最期くらい、夫の思い通りにはさせたくなかった。

 ……彼が駆けつけたのは、その直後だった。



『ティーヌ、ティーヌ、ティーヌ……っ、駄目、駄目です、いかないで……』



 ぼやけていく視界に、彼の瞳だけが鮮明に映る。



(ああ……、良かった……)



 最期に見るものが、この世で一番綺麗なもので良かった。



 幸福に満たされながら、意識を手放した。



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