12・追い詰められるつがい
神々の血を色濃く宿そうと、神獣は獣であり、その本性は本能に刻まれている。
最たるものが、『つがい』だ。
神獣は永い生の中で、たった一人の伴侶しか選ばない。その人の匂いを嗅ぐだけで理性を失い、姿を目にすれば、たとえ人妻だろうと奪い去らずにはいられない。完璧であるはずの神獣にとって唯一の弱点であり猛毒とも言える存在。
それが、つがいである。
神獣の生は、どこにいるともわからないつがいを得られるかどうかで、天国にも地獄にもなるという。
「……ゆえあって俺は長い眠りの中にありましたが、ティーヌが皇帝に送って寄越した手紙。あの匂いを嗅いだ瞬間に目覚め、確信したのです。俺のティーヌが生まれ変わってくれていたのだと」
「手紙……もしや、皇女の輿入れを願う書状のことでしょうか」
「はい」
迷いなく頷かれ、アルベルティーヌはぞっとした。
皇帝への書状は間違いなくアルベルティーヌがしたためたものだが、触れたのはせいぜい指先くらいだ。匂いが移るほど接触はしていないはずなのに、事実だとすればまさしく獣並みの嗅覚である。
ニコレットが無言でアルベルティーヌを振り返った。東峽人特有の黒い瞳に浮かぶ感情を読み取るなら、『お嬢様、こいつ変態です』だろうか。アルベルティーヌも同感だが、ここでイグニアディスの機嫌を損ねるわけにはいかない。
(せっかくアディの方から話し出してくれたのだもの。できるだけ情報を聞き出さなければ)
アルベルティーヌは深く息を吸い、背筋を伸ばした。うっとりと自分に見惚れるイグニアディスに、再び問いかける。
「もしや、ヨゼフィーネ皇女殿下が我が国へお輿入れくださることになったのは、神獣様のご意向だったのでしょうか?」
「はい。皇帝は最初、第三皇女を再嫁させるつもりでしたが、ティーヌが俺のつがいだと告げるとヨゼフィーネ皇女を指名しました」
それはヨゼフィーネ皇女自身が言っていた通り、イグニアディスと意志疎通がかなう数少ない存在であり、正妃腹の皇女という皇族でも特に尊い血筋の主だからだろう。皇帝ヴァレリアン三世は婿となるフレデリクではなく、アルベルティーヌに最大の敬意を払ったのだ。……アルベルティーヌが帝国の神獣のつがいだから。
とばっちりを喰らったヨゼフィーネ皇女には申し訳ないが、第三皇女が嫁いでこなくて安心してしまった。
第三皇女は悪い意味での有名人だ。歌姫出身の側室から生まれた彼女は母譲りの美貌の皇女で、帝国の属国の一つである小国の王子に見初められ、熱心な求婚の末に嫁いだ。王侯貴族には珍しい恋愛結婚だと、一時はもてはやされたのだ。
しかし華やかな婚儀の翌年、第三皇女は帝国へ送り返された。複数の貴族男性との密通が発覚したのだ。仮にも宗主国の皇女を送り返すくらいだから、よほどひどい行状だったのだろう。
出戻ってからも男をはべらせ、反省の色もないという第三皇女と、潔癖なフレデリクは絶対に合わない。新婚早々喧嘩が絶えないだろうし、ラマリアンでも浮気されたらとんでもない事態になってしまう。
「船がラマリアンに……貴方に近づくにつれ、この胸は高鳴りました。貴方を喪ってから、脈打つことすら忘れた心臓が、熱い血潮を巡らせたのです」
紅い瞳に熱情の炎が灯った。
「港で初めて貴方のお姿を拝んだ瞬間、生き恥をさらしてまで生き延びた意味を思い出しました。貴方に会うために、今度こそ貴方と共に在るために、俺は生きてきたのだと」
「……、……神獣様」
アディ、と呼びそうになり、アルベルティーヌは細い指を握り込んだ。……少しでも心を揺さぶられては駄目だ。今度こそ捨ててしまわなければならないのだから。
「神獣様にとってつがいがどれほど大切な存在かは理解しました。……ですが私は、神獣様のつがいなどではございません」
「ティーヌ……」
「私は神獣様に、なにも感じません。きっと神獣様は勘違いをなさっておいでです」
くら、とまた視界がゆがむ。
『どうして……どうしてわかってくださらないのですか?』
心の中で、檻に閉じ込められたぼろぼろの少年がかすれた声で問いかけてくる。
『俺にはティーヌしかいないのに……貴方が俺を救い出したのに……』
(思い出しては駄目)
あふれそうになる思いごと、忘れ得ぬ記憶を封じ込める。……大丈夫、大丈夫だ。感情を殺すことには慣れている。前世でも、現世でも。
「……っ……、ティーヌ……」
紅い瞳の奥の虹彩が獣のそれのように細くなる。もしかしたらここで殺されるのかもしれない、とぼんやり思った時、全身を押さえつけていた魔力の圧力が消えた。
「貴方が認めてくださらなくても、貴方は俺の主人であり、つがいです。そう扱うよう、俺は貴方以外のすべての人間に要求します」
ふっと微笑まれ、ぞくりと背筋に寒気が走った。
この馬車は王都へ向かっている。王都には『悪女王太后』にも礼を尽くしてくれた人々や愛する家族……そしてフレデリクやマルタンの言い分を信じ、アルベルティーヌを冷遇してきた人々がいる。
『悪女王太后』が帝国の神獣のつがいだったことや、事実無根の醜聞でアルベルティーヌの名誉を汚したマルタンが捕縛されたことは、耳の早い貴族には遠からず知れ渡るだろう。
アルベルティーヌの味方でいてくれた人々はともかく、冷遇してきた者たちは気が気ではないだろう。王よりも重要人物と言っても過言ではない神獣が、よりにもよって『悪女王太后』をつがいに選んだのだから。
「優しいティーヌはどれほど愚劣な人間だろうと慈悲を垂れるのでしょうが、俺のティーヌに礼を尽くさない人間に、俺は決して容赦しません」
「……」
「王都に到着するのが楽しみですね、ティーヌ?」
アルベルティーヌは否応なしに理解した。
王都の人々は……人質なのだと。




