全権委任、あるいは魂のM&A
卓上の灯火が爆ぜ、不安定な朱色の光が李宵の彫の深い貌を、研ぎ澄まされた刃のように削り出している。
彼は、両手で包み込んだ「伝国璽」――この帝国の全資産を象徴する結晶を捧げ持ち、私の眼前で、音もなくその膝を石床へと突いた。
肺胞が凍りつき、酸素の供給が停止する。
頂点が底辺へ、支配者が被支配者へ。
宮廷の指揮命令系統が根底から反転し、物理的な重力が狂ったかのような錯覚。
「……林鈴。手を出せ」
私の右手が、自律神経の制御を離れて、操り人形のように前へと突き出された。
差し出された掌に、ずしりと沈み込むような、尋常ではない質量が加わる。
冷たい。
最高級の羊脂白玉が湛えた数千年の冷気が、皮膚の奥の毛細血管を鋭く突き刺す。
けれど、その玉璽をさらに外側から包み込む彼の両手は、火傷しそうなほどの熱量を放っていた。
「……これは、この国の心臓だ」
耳朶を震わせるのは、祈祷にも似た掠れた囁き。
「俺の命も、国の命運も、すべてお前の計算通りに使え。……お前が右と言えば、俺は右へ行く。お前が殺せと言えば、俺は殺す」
「……へ、陛下……」
「俺には、武力と権威しかない。……だが、それを正しく使うための『脳』がない。……お前が、俺の脳になれ」
愛している、という安価な情緒的表現は、そこには存在しない。
けれど、それはどんな誓約書よりも重く、理性の深部まで侵食する、逃げ場のない「永久契約」。
全権委任。
李宵という名の巨大な個体を、私の論理の下に完全に譲渡(M&A)するという、狂気的なまでの事業提案。
彼は、玉璽を握る私の震える拳を、自身の両手で恭しく包み込み、指の関節に唇を落とした。
唇から伝わる、湿った熱と、絶対的な服従の振動。
それは主君への忠誠などではない。自らの命を捧げることで神の加護を乞う、狂信的な信徒の「崇拝」そのものだった。
「……俺を、最強の皇帝にしてくれ。……お前という名の、計算式で」
灯火を映し込み、溶けた黄金のように煌めく双眸。
その視線に射抜かれた瞬間、私の脳内にあった「定時退社」や「早期リタイア」という甘い事業計画書は、一瞬で灰へと帰した。
逃げ場はない。
私は、この銀河よりも重い愛と責任という名の「負債」を、生涯をかけて運用していくのだ。
沈香の香りが、逃走を許さない重圧となって、私の肺を深く満たしていった。
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