皇帝の執務室、あるいは機密情報の海
紫宸殿の最深部。
重厚な扉が閉じられた瞬間、外界の喧騒は厚い石壁に遮断され、真空に近い静寂が鼓膜を圧迫した。
空間を支配するのは、数百年かけて柱の芯まで染み付いた、苦みの強い沈香の重奏。
足を踏み出すたび、毛足の長い絨毯が膝下までを飲み込み、歩行の振動さえも無機質に吸収していく。
「……座れ」
李宵が顎で示したのは、部屋の中央に鎮座する巨大な黒檀の椅子――この帝国の意思決定機関のみが占有を許される「玉座」だった。
「え、でも……そこは陛下の……」
「いいから座れ。これは命令だ」
低く、揺るぎのない声音。
私は促されるまま、冷たく滑らかな革張りの感触に身を預けた。
大きい。
背もたれに深く腰を下ろせば、私の体格では爪先が床から浮き、宙に放り出されたような不安定な浮遊感に襲われる。
ここから見えるのは、左右に整然と並ぶ、見たこともない古色の装丁を纏った秘密書簡の海。
すべてを俯瞰し、冷徹な数字で帝国の寿命を削り出す、孤独な演算者の視点だ。
李宵は私の正面に回り込むと、卓の上に次々と紫檀の木箱を並べ始めた。
ゴトリ、ゴトリ。
石床まで伝わる重い衝突音。
彼が指先で蓋を弾くと、そこには夕闇の中で怪しく発光する、大小様々な「印章」が蠢いていた。
血を吸ったような瑪瑙、鈍い光沢を放つ黄金、そして、月光を凝固させたような白玉。
これらは単なる文房具ではない。
一つの押印が、数万の軍勢を国境へと走らせ、法律という名のアルゴリズムを書き換え、数多の命を紙の上で消去する――絶対的なアクセス権限の象徴だ。
「……陛下。これは、機密保持違反では?」
うなじから背筋にかけて、氷の粒が滑り落ちるような悪寒が走る。
見てはいけない。
このレベルの情報資産に触れてしまえば、私の「傍観者」としてのログは完全に抹消され、二度と組織の外側へは戻れない。
李宵は私の懸念を一瞥で黙らせると、最後の一つ――他の追随を許さない威圧感を放つ、羊脂白玉の「伝国璽」を、その大きな掌で掴み上げた。
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