将軍の退場、あるいは爽やかな敗北宣言
カサリ、カサリ。
御花園を通り抜ける秋風は、数日前までの粘りつく熱気を完全にパージし、代わりに砂塵の匂いを含んだ透明な乾きを運んできていた。
張雲将軍の、出立の刻。
彼の肉体を守っていた重厚な甲冑は姿を消し、代わりに纏っているのは、長旅の過酷さに耐えうる、機能性を重視した地味な旅装束だ。
手綱を握る指先が、愛馬の首を愛おしげに叩く。
「……世話になったな、皇后陛下」
彼は私に向かって、剥き出しの白い歯を見せた。
網膜を焼くようなギラついた「求婚者」の気配は霧散している。
そこにあるのは、血生臭い戦場という名の現場へ帰る、清々しいまでに削ぎ落された武人の輪郭だった。
「軍への勧誘は、諦めていただけましたか?」
私は、自身の職業倫理に照らし合わせるような、硬質な聲音で問いかけた。
「ああ。……ここ数日、お前たちの様子を見ていて悟ったよ。俺が入る隙間なんて、針の穴ほどもないってな」
張将軍は苦笑を漏らし、視線を私の右腰へと落とした。
そこには、李宵の大きな掌が、逃亡経路を遮断するように添えられている。
白絹の衣越しに伝わる、所有権を一方的に宣言するような強固な圧力と熱。
それは不採算な独占欲の現れだ。
けれど、その大人げない重みが、今の私にはどんな合理的な契約書よりも確かな安らぎとして、心拍を安定させていた。
「李宵。……いい『主』を見つけたな。お前がここまで骨抜きにされるとは、正直傑作だ」
「……黙って行け。二度と戻ってくるな」
李宵の喉の奥で、獣のような低い振動が響いた。
対する張将軍は、その殺気すらも清涼な風のように笑い飛ばす。
「そう冷たいことを言うな。……お前らがこの国をどう変えるか、辺境から楽しみにしている」
彼はヒラリと軽やかに、馬上の人となった。
一度だけ、鞍の上で上半身を捻り、振り返る。
その黄金の瞳が射抜いたのは、私ではなく、かつての探花郎であり、今は孤独な改革者である李宵だった。
幼馴染としての、そして敗北を認めた男としての、熱を帯びた、けれど湿り気のない視線。
「……あばよ!」
乾いた石畳を叩く、蹄の音。
タッタッタッ――。
そのリズムが、秋の空へと吸い込まれ、小さくなっていく。
視界の端で舞い上がった砂埃が、私の睫毛に触れて消えた。
胃の腑の奥に、わずかな寂寥という名の空白が生まれる。
けれど、腰に添えられた李宵の腕が、その空隙を埋めるようにさらに力を増した。
彼の龍脳の香りが、遠ざかる馬の匂いを強引に上書きし、私の世界を再び、彼という名の「聖域」へと固定していく。
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