分散管理の提言、あるいは論理の消火活動
――ザパァァァン!!
長安中の井戸から人海戦術でリレーされた冷水が、鉄製の激桶の吐水口から一気に噴き出す。
焼け焦げた木材の熱気と水が衝突し、粘り気のある白い蒸気が視覚を暴力的に奪い去った。
睫毛に熱い雫がまとわりつき、瞬きをするたびに視覚が白く濁る。
夜明け前、空が冷めた鉛のような色に変わり始めた頃、ようやく猛威を振るった紅蓮の牙がその勢いを削ぎ落とされた。
けれど、足元に広がるのは希望ではない。
運び出された帳簿は全体の三割に満たない。残りは消火活動による浸水で「黒い泥」と化した、文字の読めない紙屑の山だった。
「……終わりだ。重要書類の七割が焼失した……」
戸部尚書が、炭化した紙片を指先で握り潰し、その場に膝を突く。
彼の官服は煤と泥で無惨に汚れ、その背中からは帝国の統治機構が音を立てて崩壊していくような、重苦しい絶望が立ち上っていた。
(……情報の単一障害点。バックアップを考慮せず、原本を一箇所に集中管理していた構造上の欠陥だわ)
私は煤だらけの顔を拭うことさえ忘れ、尚書の前に歩み出た。
網膜の裏側で、高速の計算式が組み上がっていく。
失われたのは「紙」というハードウェアだ。ならば、ソフトウェアである「データ」をどう復元するか。
「……終わってはいません」
乾いた声が、自身の擦る。
「原本は消えましたが、データは残っています。……各州には、徴税のために作成された『副本』が保管されているはずです」
「副本? だが、あれは簡易的なもので精度も低い。各地に散らばった数万の断片を照合するなど、何年かかるか……」
「いいえ。……『パレートの法則』を適用します」
私は焼け残った三割の帳簿――それは運良く、長安、洛陽、揚州といった主要大都市圏の記録だった――を、泥のついた指先で指し示した。
「帝国の税収の八割は、全体の二割に過ぎない主要都市から生み出されています。この三割の原本と各州の副本を突き合わせれば、帝国の基幹財源は直ちに復元可能です。……残りの末端の数値は、過去三年間の統計から『フェルミ推定』で論理的に補完します」
私の言葉に、周囲の官僚たちの虚ろな瞳に微かな「理性」の灯が宿る。
実体のない「絶望」という名の化け物は、計算可能な「課題」へと解体された瞬間、その牙を失うのだ。
「全州に早馬を! 副本を強制回収し、緊急照合チームを編成しなさい! ……これは撤退戦ではありません。帝国の『情報の再構築』です!」
私の号令に、硬直していた組織が血流を取り戻したように動き出した。
馬を飛ばす衛士、書類を分類し始める書記。彼らの背中を見送りながら、私は小さく息を吐いた。
ふっと、意識の緊張が緩む。
膝が、震えていた。
アドレナリンだけで立っていた身体が、急速に冷え込み始めた大気に晒され、限界という名の悲鳴を上げ始めていた。
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