龍の腕、あるいは共犯者の重力
ガガガッ、ガガ……ッ。
指先に食い込む、冷たく硬い感触。
中央に鎮座する紫檀の長机は、まるで大地に根を張っているかのように動かない。
密度の高い木材特有の、鉛のような重圧が両腕にのしかかる。
壁際へ退けなければ、私の「監査拠点」としての動線が確保できない。
だが、この時代の高級家具は、無駄なまでに頑丈で、理不尽に重厚だった。
「……んぐ、うう……っ!」
腰を落とし、全体重を預けて押し込む。
摩擦熱で手のひらがじりじりと焼け、舞い上がった埃が肺の奥を直接撫でる。
不快な咳が漏れ、額を伝った汗が目頭に沁みた。
このままでは、夜明けというタイムリミットまでに「オフィスの基盤」すら整わない。
焦燥が心拍を跳ね上げる。
ふと視線を上げると、李宵は入口の木箱に腰を下ろしたまま、優雅に腕を組んでいた。
塵の舞う空間で、その一角だけが静止画のように完成されている。
まるで、巣作りを急ぐ働きアリの生態を愉しんでいるかのような、残酷なまでの高みの見物。
カチン、と脳内の何かが爆ぜた。
疲労と苛立ちが、身分差という名のファイアウォールを強制終了させる。
プロジェクトが遅延している時に、リソースを遊ばせておく余裕など私にはない。
「ぼーっとしてないで、そっちの端を持ってください! これ、動かしますよ!」
空気を震わせたのは、紛れもなく私の「業務命令」だった。
言葉が鼓膜に届いた瞬間、背筋に氷を押し付けられたような戦慄が走る。
相手はスポンサーどころか、この帝国のCEO。
不敬罪の一言で、私の首は文字通り物理的に「解雇」される――。
だが、彼は怒らなかった。
きょとんと目を丸くした後、口元を片手で覆い、肩を小刻みに震わせる。
「……俺に、指図したのか?」
「あ、いえ、その……」
「いいだろう」
彼はすっと立ち上がると、迷いのない動作で黒衣の袖を無造作に捲り上げた。
露わになったのは、月の光を吸い込んだ白磁のように滑らかな肌。
だが、そこには意外なほど強靭な筋肉の筋が、彫刻のように浮き上がっている。
文弱な貴公子という私の認識は、その肉体的な質量を前にして、即座に修正を余儀なくされた。
李宵は私の対角線上に立ち、紫檀の縁にその大きな手を掛けた。
龍脳の香りが、かすかな労働の熱を帯びて漂ってくる。
「せーの、でいくぞ」
「は、はい!」
「せーの!」
ズズズズズ――ッ!
岩のようだった紫檀が、羽毛に変わったかのように滑り出した。
石床を擦る振動が足裏から背骨を伝い、心地よい重低音となって鼓膜を揺らす。
壁際まで押し込み、ドン、という鈍い衝撃と共に設置が完了する。
「ふう……」
深く息を吐き、乱れた前髪を払ったとき、目の前に彼の顔があった。
端正な額に、うっすらと透明な汗が滲んでいる。
整いすぎた美貌が、剥き出しの労働の熱に曝され、生々しい「雄」の輪郭を持って迫る。
肺が圧迫される。宝石の輝きなど足元にも及ばない、生命力の暴力。
「……悪くない」
彼は土埃で汚れた自らの掌を、不思議なものを見るように見つめた。
「誰かに命じられて体を動かすなど、生まれて初めてだ。……案外、気分がいいものだな」
彼はニヤリと、唇の端を吊り上げた。
その瞳は、獲物を狙う捕食者ではなく、一つの悪巧みを共有する共犯者の光を宿している。
「次は何だ? そこの棚か?」
そこからの彼は、もはや制止が効かなかった。
埃まみれの棚を担ぎ、散乱した建材を積み上げ、建付けの悪い窓枠を力任せに修理していく。
一国の皇帝を物理的なパシリとして酷使する才人。
もし歴史家がこの惨状を見れば、私は間違いなく「帝を惑わす傾国の悪女」として断罪される。
だが、粉塵の中で互いの呼吸を合わせるこの瞬間の奇妙な連帯感は、何物にも代えがたい「チーム」としての熱を帯びていた。
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また明日[19:00]にお会いしましょう。




