廃材の墓標、あるいは闇のスポンサー
深夜の静寂が、肌に刺さるような冷気を帯びて後宮を浸食していく。
北西の隅、尚功局の裏手へと続く道は、剥き出しの小石が靴の裏で硬質な音を立てた。
カンテラの火屋から伝わる微かな熱だけが、冷え切った私の指先をかろうじて繋ぎ止めている。
「……それで? 業務改善のための『拠点』が必要だと言ったのはお前だぞ」
闇を凝縮したような黒い衣が、主の動きに合わせて重厚な衣擦れの音を立てる。
昨夜の、あの目を灼くような赭黄の袍ではない。
けれど、顎をしゃくる何気ない動作一つに宿る圧制的な気品は、隠しようもなく夜の空気を震わせていた。
「ええ、申し上げました。機密文書を扱う監査業務を、あんな開放的な図書室でやるわけにはいきませんから」
私はカンテラを高く掲げ、闇の奥に沈んでいた朽ちかけた建物を暴き出した。
尚功局が管理する、地図からも忘れ去られた資材置き場。
「立ち入り禁止」の札が力なく傾き、湿った木の匂いが鼻腔を突く。
事前に宮中のロジスティクスを洗い出し、人の目が最も届かないデッドスペースとして目をつけた物件だ。
「ここです。鍵は……壊れてますね」
指先が触れた南京錠の錆が、ボロボロと冷たい粉になって崩れ落ちた。
セキュリティ・ゼロ。管理部門の職務怠慢が、指の腹から伝わる不快なざらつきとして露呈する。
ギギギ、と耳の奥を逆撫でする金属音を立てて、湿気を吸った重い木扉を力任せに押し開ける。
――ボフッ!!
「……ごほっ、ごほっ!」
数十年分の静止していた時間が、乾いた粉塵の爆発となって肺の奥を直撃した。
カンテラの光が、舞い上がる粒子の乱反射によって白く濁る。
目を細め、その向こう側に広がった光景に、私は思わず手枷をはめられたような息苦しさを覚えた。
「これは……」
足の踏み場など、どこにも残っていない。
床一面を埋め尽くしているのは、ひび割れた漆器、糸が絡まったまま放置された刺繍台、真鍮の光を失ったくすんだ髪飾り。
宮中の工芸品を司る尚功局において、検品で撥ねられた「失敗作」や、流行の変遷によって価値を失った「死に筋在庫」の墓場。
「ひどい……。5S以前の問題ね」
無意識に吐き出した言葉が、冷え切った室内に反響する。
乾燥した木材と可燃性の端材が山をなしている。火種一つで全焼を免れないリスクの塊。
在庫管理の概念すら存在せず、資産価値を失った「負の遺産」が何層にも堆積していた。
典型的な「ダメな倉庫」の標本が、そこにはあった。
眉間の皺を指で揉み、私は目の前の惨状を再評価しようと試みる。
ここを、私の執務室にする?
まずは産業廃棄物の処理ルートを確保するところから始めなければならない。
コスト意識が、脳内で警告アラートを鳴らし続ける。
だが、背後で気配を消していた李宵は、埃を払う素振りすら見せず、獲物を品定めするような鋭い視線で瓦礫の山をなぞっていた。
「ほう。尚功局の闇はここにあったか」
彼は足元に転がっていた螺鈿の小箱を、指先で無造作に拾い上げる。
カンテラの光を吸い込んだ貝細工が、歪んだ蓋の隙間で虚しく明滅した。
「高価な材料を使い、職人の工数をかけて、出来上がったのがこのガラクタか。……実に非効率だ」
吐息のような低い声。
けれどその指摘は、私の脳内にある収益計算書と完璧に同期した。
彼はこの惨状を「不潔」だと嘆いているのではない。
投下された資源が「成果」に結びついていない事実を、冷徹に指弾しているのだ。
(……やっぱり、この人とは話が合う)
不敬という名の震えが、今度は別の熱となって背筋を駆け抜けた。
視覚的な暴力のような美貌の下にあるのは、血も涙もない合理主義の刃。
「気に入った」
彼は小箱を暗がりに放り捨て、私を射抜くように向き直った。
「ここを使え。掃除も、改装も好きにしていい。必要な資材があれば俺の名義で調達してやる」
スポンサーからの「決済」が下った。
喉に張り付いた埃っぽい空気を飲み込み、私は腹を括った。
劣悪な環境?
上等だ。
何もない、価値ゼロの空間を、自分好みの最強の「城」へ再構築する。
それはコンサルタントとしての意地を超え、私のオタク的な構築欲を狂おしいほどに刺激するミッションだった。
「……承知いたしました。では、さっそく着手します」
盤領袍の重い袖を、肘の上まで力強く捲り上げる。
まずは最適な動線を確保し、この負債を「資産」へと書き換える。
私と、正体不明の「お役人様」による、秘密の大掃除の幕が上がった。
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また明日[19:00]にお会いしましょう。




