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皇帝陛下の不採算な溺愛~転生コンサル、契約外の執着で定時に帰れません!~  作者: 深山 凛
第1部『隠れ家の監査役』

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共犯の握手、あるいは深夜の雇用契約

肋骨を内側から叩き壊さんばかりの激しい拍動が、喉の奥までせり上がっている。


逃げ道は、どこにも存在しない。

対峙しているのは、この帝国の頂点に君臨し、指先一つで私の呼吸を止めることができる絶対権力者。


だが、真っ白に燃え尽きかけた脳内では、極限まで加速した論理回路が、生存確率数パーセントの細い糸を必死に手繰り寄せていた。


(……「陛下」と認めた瞬間に、死が確定(フィックス)する。ならば――)


泥沼の会議を切り抜けてきたコンサルタントとしての本能が、唯一の脱出ルートを指し示す。

――「気づいていない」という体を、一秒の淀みもなく演じきれ。


ここで跪けば、私はただの「禁を侵した罪人」として処理される。

だが、もし私が、目の前の男を「身分を隠して徘徊する高官」だと勘違いした世間知らずの女を演じ通せれば。


彼の気まぐれという名のバグが、事態を「無礼な女の独り言」へと書き換えてくれるかもしれない。


イチかバチかの賭けだ。


私は大きく、肺が軋むほど息を吸い込み、震える膝を隠すように指の節が白くなるまで衣の裾を握りしめた。


「……私の独り言を、盗み聞きなさるとは。随分と趣味の悪いお役人様ですね」


喉の震えを殺し、精一杯の虚勢を吐き出す。



書庫の空気が、瞬時に氷点下まで凍りついた。



不規則に揺れていた蝋燭の炎さえ、見えない巨大な圧に畏れをなして縮こまる。

重苦しい闇が、背中にのしかかった。


遠く、夜警が鳴らす拍子木の音が、カァン、カァンと、乾いた余韻を引きずりながら通り過ぎていく。


やがて、頭上から微かな、けれど確かな空気の震えが降ってきた。

龍の喉が、愉悦に揺れている。


「役人、か。……悪くない」


抜き取られていた帳簿が、無造作に私の手元へ放り投げられた。

パサリ、と古紙の乾いた音がして、不正の証拠品が私の膝に重みを残す。


直後、男が一歩、私のパーソナルスペースを侵食してきた。


龍脳の香りが、逃げ場のないほど濃密に立ち昇る。

逃げようとする私の顎を、白磁のような冷たい指先が捕らえ、強引に上向かせた。


「ならば、その『役人』から業務命令だ。……この帳簿の続き、洗い出しておけ」


「は……?」


「氷と胡瓜だけではないだろう? この城の腐敗は、もっと根深い」


至近距離で私を射抜く黒曜石の瞳。

そこにあるのは、女を口説こうとする甘い色気などではない。


使い潰せる有能な手駒を見つけ出した経営者が、無理難題(デスマーチ)を突きつける際の、あの残酷なまでに澄んだ光だ。


「見逃してやる。その代わり――お前のその計算高い脳みそを、俺に貸せ」


それは、死と隣り合わせの契約(アサイン)だった。

拒絶は消滅を意味し、受容は修羅の道への片道切符。


だが、私の本能は、死への恐怖を塗りつぶすほどの、ひりつくような昂揚に震えていた。

この不透明なブラック組織において、初めて私の「機能」が必要とされたのだ。


「……残業代は、弾んでいただけるんでしょうね?」


痙攣しそうな唇を、不敵な弧へと無理やり歪めて条件を提示する。

男は目を細め、満足げにその美しい口角を上げた。


「交渉次第だ」


顎を解放した指先が離れる。

男は翻るように背を向けた。


赭黄の衣が闇の粒子に溶け、足音一つ立てず、吸い込まれるように扉の向こうへと消えていく。



◆◇◆



残されたのは、私と、暴き出された帳簿。

そして、部屋の隅々にまで染み付いた、冷たく甘い龍脳の残り香。


私は支えを失った人形のように、へなへなとその場に崩れ落ちた。

床についた掌から、石の冷たさが伝わってくる。膝の震えが、どうしても止まらない。


助かった。


けれど、自由という名の「定時退社ライフ」は、今度こそ完全に破綻を告げた。


街鼓が止んで久しいうちに、私はこの帝国の最も深い闇へと、その身を投じることになった。

読んでいただきありがとうございます!

もしよろしければ、「リアクション」や「ご感想」をいただけると嬉しいです。


また明日[19:00]にお会いしましょう。

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