龍の逆鱗、あるいは所有権の主張
――ドスッ。
肉と肉がぶつかり合う鈍い衝撃音が、私の脳漿まで揺さぶった。
視界を横切ったのは、目に刺さるような「赭黄」の閃光。
重厚な絹が空気を切り裂く鋭い音がした瞬間、私の両手を監禁していた張将軍の野性的な熱量が、強引に剥ぎ取られた。
「……誰の許可を得て、朕の所有物に触れている」
地を這い、石畳を微震させるような低音。
私の首筋をなぞったのは、先ほどまでの芍薬の甘い香りではない。
急激な気圧の変化を伴った龍脳の、雨を孕んだような冷徹な芳香だ。
李宵の瞳孔は、光を呑み込むブラックホールのように開ききっていた。
そこには知性という名の制御を失った、捕食者の青白い熱情だけが渦巻いている。
「所有物? 人聞きの悪い。彼女は才能ある軍師だ。皇帝陛下といえど、才能を飼い殺しにする権利はないはずですが?」
張将軍がたじろぎを消し、ニヤリと唇を吊り上げる。
対照的な二つの熱が、私の頭上で衝突し、火花を散らす。
「飼い殺しだと? ……笑わせるな」
私の右腕が、有無を言わせぬ質量で捉えられた。
橈骨と尺骨が軋むほどの圧力。
それは慈しむような抱擁などではない。
逃亡を物理的に封殺する、鋼の錠の感触。
「この女は、俺の『半身』だ。……心臓であり、肺であり、脳だ。切り離せば、俺が死ぬ」
「は……?」
耳朶に直接打ち込まれたその言葉は、私の培ってきたコンサルタントとしての論理を根底から粉砕した。
皇后でも、妻でも、愛人でもない。
生物学的な「維持に不可欠な臓器」。
それは、いかなる対価を積まれても譲渡不可能な、究極の独占宣言に他ならなかった。
「張雲。お前がどれほど戦功を上げようと、この女だけはやらん。……いや、見ることさえ許さん」
言い捨てた瞬間、重力が反転した。
李宵の強靭な腕が私の腰と膝裏へ差し込まれ、視界が乱暴に回転する。
私の身体が軽々と宙に浮き、彼の胸板――堅牢な防壁のような熱に叩きつけられた。
「行くぞ、林鈴。……消毒が必要だ」
「ちょ、陛下!? 下ろして……!」
抗議は彼の赭黄の衣に吸い込まれ、一顧だにされない。
彼は大股で、御花園の柔らかな土を蹂躙するように歩き出す。
揺れる視界の端で、呆然と立ち尽くす張将軍の姿が遠ざかっていく。
私は落ちないよう、必死に彼の首筋にしがみついた。
うなじから立ち上がる、激しい運動の後のような熱と、焦燥の入り混じった龍脳の匂い。
私の肋骨の裏で、早鐘を打つ心拍の振動。
それが恐怖によるものか、あるいは予測不能な「不規則事態」への高揚なのか。
今の私には判別する余裕など、微塵も残されてはいなかった。
◆◇◆
読んでいただきありがとうございます!
もしよろしければ、「リアクション」や「ご感想」をいただけると嬉しいです。
また明日[19:00]にお会いしましょう。




