凱旋将軍、あるいは鉄と汗の異物混入
ジャラッ、ジャラッ――。
静謐を至上の規律とする紫宸殿の空気が、重厚な金属の摩擦音によって物理的に掻き回される。
肺の奥を沈着させる沈香の香りに、場違いな鉄錆の匂いと、皮膚を焼くような砂塵の熱気が強引に割り込んできた。
「神策軍大将軍、張、ただいま帰還いたしました!」
床に叩きつけられた膝が、鈍い衝撃音を立てる。
腹の底から響くその声音は、磨き上げられた石床を震わせ、私の鼓膜を野蛮に揺さぶった。
張雲。
赭黄の衣を纏った李宵の隣、皇后の座に収まった私の網膜に映るのは、真夏の太陽を鎧の隙間に凝縮したような、圧倒的な「陽」の質量を放つ男だ。
浅黒く焼けた精悍な横顔。
澱んだカビ臭さを一掃するその熱量は、この後宮という名の不採算部門において、明らかに過剰なエネルギー供給だった。
「大義であった。……辺境の賊討伐、見事な手際だと聞いている」
隣から響く李宵の声は、いつも通り絶対零度の平坦さを保っている。
けれど、彼の指先が黒檀の肘掛けを僅かに叩く規則的なリズムが、一秒間に一度、不自然に早まったのを私は見逃さない。
彼の内側で、微細な「不機嫌」という名のノイズが演算されている。
「はっ! ですが陛下、今回の勝因は私の武勇ではございません」
張将軍はニカッと白い歯を見せ、相好を崩した。
彼が懐から取り出し、高く掲げたのは、砂に汚れ、端が捲れ上がった一冊の書冊。
「これです。『兵站改革案』。……この通りに輸送ルートを再編したおかげで、我が軍は一度も補給を絶たれることなく、万全の状態で戦えました。これを作成された軍師殿に、ぜひ御礼を申し上げたい!」
その表紙に記された、見覚えのある筆跡。
私の心拍が、一拍だけ不規則なスキップを刻む。
(……あれは)
先月、尚書省の隅で、非効率な物資調達ルートに苛立ちを覚え、ただの「在庫回転率改善メモ」として書き散らした殴り書きではないか。
なぜあんな末端の最適化案が、前線の最高指揮官の手に渡っている。
「……それは、朕の妻が書いたものだ」
李宵の声音が、一気に数オクターブ低まった。
大気中の水分が、彼の周囲で一瞬にして氷結したかのような、逃げ場のない冷気。
張将軍の瞳が驚愕に見開かれ、次の瞬間、獲物の急所を捕捉した猛禽のような鋭さで私を射抜いた。
「皇后陛下が!? ……なんと! 美貌だけでなく、これほどの知略をお持ちとは!」
熱い。
物理的な熱量を伴った彼の視線が、私の頬の皮膚をじりじりと焼く。
左半分から押し寄せる李宵の凍てつく独占欲と、正面から叩きつけられる張将軍の灼熱の賞賛。
二つの相反する極端な気候の板挟みになり、私の胃袋は、早くも「コンプライアンス違反」を訴えるような鋭い悲鳴を上げ始めていた。
◆◇◆
読んでいただきありがとうございます!
もしよろしければ、「リアクション」や「ご感想」をいただけると嬉しいです。
また明日[19:00]にお会いしましょう。




